第五十八話 三日月を顔に持つ女、其の二
「あたしは、
「……わかりました。
「ほほ、嫌です。このような場所、血と死を浴びて、穢れてしまうわ。」
目つきの据わった佐久良売さまのまわりから、ヒュゥゥゥ……、と、氷のような冷気が四方に放たれた。
嶋成はゴクリ、と
「副将軍殿から女官として好きにつかってほしいと言われたから、医務室に連れてきてみれば、なんという……。」
「あたしは医務室に来たいなんて言ってません!
豪族の娘が、よくこんな穢れた仕事ができますこと。
宮中では、穢れを避けて生活なさっていたのではなくて?
ああ、醜い
三日月顎の
ばしーん!
佐久良売さまの張り手が若い
「きゃあ!」
「なっ、何す……。」
またもや最後まで言えなかった。強烈な次の張り手が
「ぎゃっ!」
佐久良売さまは憤怒し、
「よくもあたくしの
「ひぃ……っ!」
なおも
「佐久良売さま、お鎮まりあれ!
副将軍殿から預かった
お鎮まりあれ!」
と必死に止めた。
「ええい、お離し!」
他の女官も、髪を振り乱し暴れようとする佐久良売さまを
「こんなところ、もう嫌───ッ!」
顎の張り出した
(可哀想にな、佐久良売さま。真比登をああ言われちゃ、怒りもするよな。)
佐久良売さまは、
「許せぬ、あの
としばらく荒れ狂い、
「ちょっと留守にします。」
としばらく、医務室をあとにした。
医務室に帰ってきた時には、すっかり落ち着き、何事もなかったように、医師の手伝いを再開した……。
嶋成は、薬草の替えを一回分、渡してもらい、医務室をあとにした。
左足を引きずりながら、ゆっくり、兵舎へ向かうと、道脇の木立から、
「うっ、うっ、うっ……、ぐすっ……。」
と
多分、さっきの三日月顎の
嶋成は、声をかけようか、無視してこのまま道を進もうか、しばらく迷ったのち、
(
佐久良売さまは、怒らせたら怖いけど、愛情深い優しい人でもある。それを伝えたいな……。)
と、泣き声が聞こえる木立に分け入った。
嶋成の気配に気がつき、涙の光る目で、きっ、と嶋成を睨みつけてきた。
やっぱり顎が三日月のように前にせりだしている。
「
「あのさ、叩かれたのは可哀想だけどさ……。」
「往ねと言ったのが聞こえなかったの。
嶋成はカチンときた。
「オレは
本当は
だがそれをいちいち自慢するつもりはない。
「きちんとした
「だから何よ! あたしは
偉いんだから!
正一位太政大臣、
あたしの家は立派な家なんだから!」
唇がまくれあがり、目つきは侮蔑に歪み。
醜かった。
もはや、顔立ちとか、そういう問題ではない。
心の暗さが、目や口からあふれて、黒い色を
そうか。
これは、オレか。
佐久良売さまにも、ごてごてに着飾って、縁談の席についた昔のオレは、こう見えていたのか。
「醜いな。」
「なぁんですってぇぇえ! 無礼な!」
「おまえこそ、鷲鼻の
真っ赤な顔で右手をふりかぶり、
「
びしり。
嶋成の左頬を強かに打った。
嶋成は、右に傾いた顔を静かに戻し、
「オレは顔の事を言ったんじゃない。心ばえの事を言ったんだ。
そんなに豪族が偉いのか?
何を言っても傷つかない、バカにして良いと思っているのか?
豪族の娘だ、偉いんだ、それだけを繰り返す自分の顔が、どれだけ醜いのか、知らないのか?
オレだって、耳がある。
心がある。
酷い事を言われれば傷つく。
佐久良売さまが怒ったのも当たり前だ。
愛する
あなたは佐久良売さまに謝るべきだ。」
「う……。」
「何よっ! 鷲鼻の
と、くるりと踵をかえして、ふくよかな身体を揺すりながら走り去っていった。
(やれやれ……。まだ年若い
三日月顎の
気にするほうが馬鹿らしい。
(オレはふっくらした体型の
やっぱり、人とは、中身なのだ。)
きっと、嶋成の言葉は、あの
(声をかけるんじゃなかったな……。)
左頬がじんじんする。
嶋成はため息をつき、兵舎へむかって、左足を引きずりながら歩きだした。
* * *
著者より。
次話、「【主要登場人物の現在まとめ】おまけつき」
は、必読です! おまけがBIGなので、読み飛ばさないでね!
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