第五十七話  三日月を顔に持つ女、其の一

 医務室の寝床に、嶋成は横たわっている。

 医師が焼けた鉄を、嶋成の傷口、左足の脛につけた。


 じゅう、と肉を火で炙る音がし、


「ううぅっ。」


 嶋成の口から苦悶の声がもれる。医師が薬草の指示を女官にだし、


「はい、これで大丈夫。」


 と倚子を立つ。


「……ありがとうございます。」


 嶋成は、戰場で敵の手刀で斬りつけられた左足、今は火傷で傷口を塞いだ足を見下ろし、脂汗をかきながら、医師に礼を伝える。


「まあ、道嶋みちしまの宿禰すくねの嶋成しまなりさま!」


 医務室の天女、佐久良売さまが、嶋成を見つけ、近寄ってきた。


「嶋成さまの世話はあたくしがいたします。」


 麗しい美女は、近くにいた女官にどくように指示をした。簡易な倚子に腰掛け、傷口に丁寧に、すりつぶした薬草を塗布してくれる。


桃生柵もむのふのきを守る為に、いつも力を尽くしてくださり、感謝しておりますわ。」


 微笑みながら、嶋成の足に手際よく荒布を巻き、


「……早く良くなりますように。」


 艶のある、桜色の唇で、優しくそう言ってくれた。嶋成の心が、ほわぁっと癒やされた。


(あ〜、人妻になる前に、こんな風に優しくして欲しかったな! やっぱり佐久良売さまは佳人かほよきおみな……。)


 嶋成は顔を引き締める。


(いやいや、もう、真比登のいもなんだから、オレはこれっぽっちもよこしまな思いは抱かんのだ。こうやって佐久良売さまに優しくしてもらうだけで、充分です!)


「ありがとうございます。」


 隣の寝床で、寝たきりの男が、


「うう、何も見えない!」


 と声をあげた。この男は、腹に布をたくさん巻き、顔が土気色だ。

 医師が、もう長くない、とさっき判断をくだしていた……。

 佐久良売さまは、


「たたらき日をや。(失礼いたしますわ)」


 と、嶋成に告げ、隣の寝床に向かう。


「見えない、見えない、助けて。」


 男は上の空で口走る。佐久良売さまは、迷わず男の手を握った。


「ここにいます。気を確かに。」


 佐久良売さまは、微笑を浮かべ、声音は明瞭かつ優しい。


「ありがとうございます。

 親切な方。

 水をください。

 水が欲しいんです。」

「……わかったわ。」


 佐久良売さまがお付きの女官、若大根売わかおおねめに頷く。

 若大根売わかおおねめが、水の入った土師器はじきの水差しを佐久良売さまに渡す。

 郎女いらつめは、優雅な手つきで、おのこの頭を上に少し持ち上げてやり、口元に水差しをあてた。


 こくり。


 男の喉が動き。


「はあ……。」


 最後の息吹を残し、男は事切れた。


 佐久良売さまはそっと男の頭をおろし、


「あな安らけ。鎮め御魂みたま。」


 と潤んだ瞳で、魂を送る言葉を添える。


「あな安らけ。鎮め御魂みたま。」


 若大根売わかおおねめも、オレも。そばでそれを見た女官の何人かも。

 いったん手をとめ、礼の姿勢をとり、同じように魂を送る言葉を口にする。

 佐久良売さまが立ち上がり、


下人げにん。」


 と、医師の手伝いをしているおのこの下人に声をかける。

 下人は心得ていて、二人、すぐにやってきて、寝床をあける。


 兵士の骸は、桃生柵もむのふのきから外に運ばれる……。


「佐久良売さま……。」


 大変ですね、とか、残念ですね、とか、月並みな言葉しか、嶋成は考えられず、なんと声をかけたら良いか迷ってしまう。

 佐久良売さまは無言で、にこり、と嶋成に微笑んだ。


(ああ、この方の胆力はすごいな。)


 嶋成は感心してしまう。


 入口から骸と入れ違いに、怪我をした兵士が入ってきた。

 顔をやられている。


「痛いぃ、痛いぃ……。助けてくれ。」


 佐久良売さまが良く通る声で、


「こちらの寝床に。」


 凛と立ち、指示を出す。

 



「もう嫌──────ッ!!」




 突然、若いおみなの金切り声が医務室に響き渡った。


「嫌っ、嫌っ、血なまぐさい、汚い、臭い、こんな仕事、嫌っ!!」

大鍔売おおつばめ、落ち着いて!」


 まわりの女官が声をかけるが、顎が大きく、三日月のように前にせりだした顔立ちの女は、わめき続けた。


 そのおみなは、ちょっと変わった髪型、美豆良みずらを耳上の左右に二つ結い、肩下で髪を二つに結った髪型で、衣も蘇比そび(赤茶)色のもの。

 薄紫色と浅葱色の女官たちの間で、明らかに浮いた姿だった。

 

 十五、六歳ほどで、若い。

 ふくよかな体型だった。


 佐久良売さまが、カツカツカツ、と鼻高沓はなたかくつを高く木床にならし、おみなに詰め寄った。


大鍔売おおつばめ、今日初めて医務室に来て、驚くのももっともです。

 でも、辛いのはあたくし達ではなく、怪我をしている兵士たちですよ。桃生柵もむのふのきを守る為に……。」

佐久良売さくらめ! 

 ※おためごかしはやめて!」


 なんと、蘇比色そびいろの衣のおみなは、佐久良売さまを呼び捨てにした。

 嶋成はぎょっとし、女官たちは、ひっ、と息を呑み、怪我をした兵士たちまでもが、しん、と静かになった。

 医務室の温度が一気に冷えた。

 佐久良売さまが、ピクピク、と眉を細かくひきつらせながら、低い声をだした。


「……ここでは、あたくしは一番たふときおみなです。その呼び方はおやめくださる?」






   *   *   *





 ※おためごかし……表面は相手の為になるよう言せかけて、実は自分の利益をはかること。




 ↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093078307292262

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