第五十話  言寄せの代償、其の二

 坂盾さかたてが佐久良売さまに、嶋成と古志加の仲を取り持って欲しい、と話をした時。


「嫌です。」


 はじめ、佐久良売さくらめさまの答えはにべもないものだった。


「女官の仕事をなんと心得ているのかしら? 

 それにね、古志加には……、ええと、知っているのかしら、古志加の心を……?」


 源が、


「花麻呂が、他のおのこを恋うてるって言ってました。」


 と答える。佐久良売さまはうなずき、


「古志加の身分は、嶋成さまととうてい釣り合わないものです。

 普通なら吾妹子あぎもこにしてもらうだけでも、願ってもない幸運……。

 でもね、あたくしは、恋するおみなの味方なの。

 先ほど頂戴したお品は、お返しします。

 古志加の恋路の邪魔をする計画に手を貸したくはないわ。

 あたくしの関与しないところで、そういう事はやってちょうだい。」


 と、はっきり断ったのだ。

 そこを、源が凛とした声をはった。


「佐久良売さま!

 嶋成の恋路も応援してほしいんです!

 うわついた遊び心ではありません!

 嶋成は、身分を隠して、古志加に一人の男として恋してほしい、と願っているんです!

 ただ、戰場や伯団戍所だと、ゆっくり二人きりで話す場所がない。

 話す場所がなければ、恋の芽吹きようもない。

 ただ、嶋成を二人きりにしてあげて、古志加に言寄ことよせする機会を与えてほしいだけなんです。

 これは、佐久良売さまのご協力が、どうしても必要なんです。」

「…………。」


 佐久良売さまは、しばらく思案し、


おのこと二人きりにするのは、やっぱり……。」


 と渋い顔をした。

 源が、


「嶋成を信じてください! 

 前に、オレが嶋成に、恋とは何か、と尋ねた時に、嶋成は、無理やり率寝ゐねをしない、そのおみなの笑顔を守りたいからだ、それが恋だ、と教えてくれました。

 オレは嶋成を信じています!」

「言ったわね。」


 佐久良売さまは、ぱっ、と顔をあげた。


「あたくしは、おみなの嫌がるたわむれをするおのこが大嫌いです。

 もし、二人きりになった嶋成さまが、古志加に何かして、古志加を泣かせたら、あたくしは許さなくてよ? 

 その場合、

 それが、古志加と嶋成さま二人きりの時間を作る条件よ。

 どう? 呑めるかしら?」


若大根売わかおおねめとの婚姻の約束を白紙に戻すというのか!? 嫌だっ!)


 源の身がすくんだ。真比登が、


「佐久良売さま、それはあまりに……。もうちょっと……。」


 と助け舟を出そうとするが、きっ! と、佐久良売さまのくちなわ(蛇)のような一睨みで、うっ、と言葉に詰まった。

 佐久良売さまの気迫は、すごい。

 源も覚悟を決める。


「わかりました! オレは、オレは……、嶋成の友です! 

 そんな事には絶対にならないと、嶋成を信じています!」

「よろしい。協力しましょう。」


 佐久良売さまは満足そうに、雪膚花貌せっぷかぼうの美貌に、極上の微笑みを浮かべた。

 坂盾が源に、震える声で、


「ありがとうございます、源殿。ありがとうございます……!」


 と礼の姿勢をとった。









 その言葉に後悔はない。



 後悔するくらいなら、言葉を口にしない。


 源の信条だ。



 でも、こうやって嶋成と古志加が二人でいるのを見てると……。

 嶋成の顔が真っ赤になってるのを見てると……。


(心配だよ───!)


 多分、佐久良売さまは、嶋成が古志加に口づけして、泣かせたら、許さない。

 源は、恋するおみなと一緒にいるおのこが、どんなに自然に身体が動いて、口づけしたくなってしまうか、知っている。

 自分の事だ。

 あれは、若大根売わかおおねめは嫌がってなかったから良かったけど、事前に承諾を得る事もなく、口づけしてしまった。


(頼むよ、嶋成───!!)


 若大根売わかおおねめとの婚姻がなくなってしまうなんて、絶対に嫌だ。

 愛しい若大根売わかおおねめと別れたくなんてない。


 緊張で、源の手は冷たくなってしまっている。

 源は、己の運命を賭けて、じーっと嶋成を見守った。




   *   *   *




 佐久良売は、わくわくしながら、嶋成さまと古志加を見守ってしまう。


(嶋成さまは、身分を明かさず、古志加を振り向かせる事ができるかしら?

 身分を明かせば、普通はどんなおみなでもなびくでしょうに……。ずいぶん頑張るのね。純粋な気持ちで、古志加に恋したのね。)


 今は、こうやって楽しんでいる佐久良売だが、この機会を作るのに、厳しい条件をだした。


 古志加が、副将軍殿の従者を、心から恋い慕っているのを知ってるから。

 何も知らない古志加を、他のおのこから言寄ことよせされる為だけに、おのこと二人きりの場所に行かせるなんて、どうしても気が進まない。

 古志加が可哀想だ。


 もし、嶋成さまが───そんな人ではない、と思ってはいるけれど───人目がないのを良い事に、これぐらい良いだろう、などと無理やり古志加の唇を奪ったりしたら、他に恋うてるおのこのいる古志加は、深く傷ついてしまうだろう。

 そんな風に傷つき、涙を流すおみなを、佐久良売は見たくなかったからだ。


 

 

 佐久良売は、みなもとを横目でちらっと見た。


 今までで一番、蒼い顔をしている。

 過去を振り返って見ると、佐久良売と偽りの縁談をした時には、まだ、顔に余裕があったのだ。

 喰えない男。


(ふっふっふ。緊張した顔してるわ。

 当然ね。

 安心なさい。

 もし万一、古志加が泣く事になったら、嶋成さまにきつーく文句を言って、源、あなたの事は許してあげるわ。

 源は、友人を信じるまことを見せただけだものね。)


 若大根売わかおおねめには、この条件は伝えていない。余計な心配をかけさせるつもりはない。


(……さて、嶋成さまは、どう古志加に言寄ことよせするかしら?)





 

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