第四十九話  言寄せの代償、其の一

 ※言寄ことよせ……ナンパ。


 ※羞月閉花しゅうげつへいか……月が恥じらい、花が閉じるほどの美しさ。きわめて美しい女性を言う。しゅうは恥じる。羞月は恥じらいを含んだ月。


 ※美辞麗句びじれいく……美しく飾り立てたことば。





    *   *   *





 嶋成は、いきなり休日をもらった。

 ほぼ、十日に一回の休みがあるが、それとは違う休みだ。


(なんで?)


 と思ったが、丈部はつせべの五百足いおたりにそれを訊く事はしなかった。

 下手な事を言って、休みがなくなっても嫌だからな!

 ただ、丈部はつせべの五百足いおたりから一つ、小さな仕事を与えられた。


「これを佐久良売さまに届けてくれ。」


 と、木簡を一つ預けられた。


「……真比登が夜、渡せば良いじゃん。」


 どうせ、毎晩、佐久良売さまの部屋に通ってるくせに……。

 いつも穏やかなちょび髭の五百足いおたりが、顔に険をあらわした。


「黙ってさっさと届けろ! ……ああ、よろいはほどいてからで良い。」

。」


 嶋成は、風向きがそれ以上悪くならないうちに、朝餉の終わった広場から、一人、兵舎に向かって、小走りをした。

 よろいを脱ぎ、さっぱりした気分で、医務室に向かう。


 長尾連ながおのむらじの佐久良売さくらめさまはいない。

 女官が、


「今日は、薬草園で、薬草摘みをなさってるそうです。」


 と教えてくれる。

 嶋成が薬草園にむかうと、一人の女の歌声が聴こえてきた。

 女にしては低めの声。


(たゆらちゃんだ!)


 吉弥侯部きみこべの古志加こじかが唄っている。


「───菅叢すがむらのや、はれ……。


 小菅叢こすがむらのや。


 むらのや……。


 菅叢すがむらのや……。


 ば、われこそ、かいらめ……。



(つんつんした草のすが。それが集まったすがむら、生えてきたら、あたしが刈ってあげましょう。)」


 なんだか、切ない、優しい唄だ……。

 たゆらちゃんは、心も清く澄んだおみなに違いない。

 こんなに綺麗な唄をうたえるのだから……。


 薬草園には、三人のおみながいた。

 たゆらちゃんが唄いながら、葛の葉を鎌で刈り、佐久良売さまと、最近

 みなもとと恋仲になった若大根売わかおおねめは、唄を聞きながら、同じく葛の葉を刈っている。


 なんて幸運。

 尊い光景だ。

 美女ばっか。

 いつまでも見ていたい。

 しかし、そうもいかない。


「佐久良売さま。丈部はつせべの五百足いおたりから木簡を預かってきました。」


 と嶋成は声をかける。佐久良売さまは、地面から顔をあげ、


「あら、ありがとう、嶋成さま。」


 と鎌を地面に置き、立ち上がり、手を叩き、土を落としながら、嶋成のそばにきた。

 木簡を嶋成から受取り、その場で開封はせず、


「もうこんな時間ね。……良いわ。あたくしと若大根売わかおおねめは、医務室に向かいます。

 古志加? 悪いけど、この後一人で、葛の根堀りまで任せられる?」

「はい、わかりました!」


 吉弥侯部きみこべの古志加こじかは、にっこりと笑い、答える。


 葛は、葉も、根も、使う。

 見れば、葛はかなり広範囲に葉を広げていた。


(一人って、そりゃ無いだろ?)


「オッ!」


 声が裏返った。だからどうしてオレはこう、気張ると声が裏返ってしまうんだ!


「オレ、今日、休みですから、良ければ、手伝います! 一人じゃ、大変でしょう。」

「えっ?」


 と、たゆらちゃんは驚き。

 佐久良売さまは、にこ───っと。

 若大根売わかおおねめは、にんまり、と笑って嶋成を見た。


(な、なんだよ?!)


 佐久良売さまが、


「あら、まあ、なんと有り難い申し出でしょう。では、よろしく頼みますわ。」


 と、若大根売わかおおねめを伴い、その場をあとにする。


 良い日差しに恵まれた薬草園に、嶋成と、たゆらちゃん。

 二人だけが、残された。


「嶋成、ありがとう。じゃあ、そこの鎌を使ってね!」


 古志加はほがらかにそう言って、もう、葛の葉刈りに没頭しはじめた。

 ほのかに、口元が笑っている。

 その横顔を見ていると。


 とっとっとっ……。


 嶋成の心臓しんのぞうが、何故かうるさく早鐘を打ち始める。





   *   *   *





 薬草園からほどよく離れた木の影では。


 佐久良売と。

 若大根売わかおおねめと。

 嶋成の家の家令かれいの息子、坂盾さかたてと。

 みなもと

 四人がひしめきあっていた。


 佐久良売が、


「さあて、どうなるか。」


 にこ───っと笑い、若大根売わかおおねめが、ふんふん、と鼻息を荒くし、坂盾さかたては、


「嶋成さま、頑張るんですよ! 坂盾は影ながら応援申しあげております。」


 と目を血走らせながら拳を握り、みなもとは、


「…………。」


 常にない緊張の顔で見守っている。




    *   *   *





 源は、じっとり汗をかきながら、嶋成と古志加を見守っていた。



 兵士として働いてる古志加には、いつも花麻呂が張り付いている。

 花麻呂を引き剥がさないと、恋愛の芽は生まれない。

 古志加が一人になる女官の時に、嶋成と二人きりで会わせる時間が必要だ。


 そう、源は昨日、真比登と五百足いおたりに主張し。


「それなら、佐久良売さまの協力が不可欠だろう。」


 と、男どもでぞろぞろ佐久良売さまの部屋にいった。



 坂盾は、恭しく佐久良売さまに礼の姿勢をとり、


陸奥国みちのくのくにの桃生もむのふのこほり少領しょうりょう長尾ながおのむらじの佐土麻呂さとまろさまが娘子おとめ(ニュアンス的にご息女)におかれましては、ご機嫌うるわしゅう。

 羞月閉花しゅうげつへいか佳人かほよきおみなあいまみえる事叶いまして、至極しごくの喜びでございます。

 この坂盾、主より、嶋成さまをお引き立てくださるほうぼうに、良く御礼申しあげよ、と、言付かっております。

 これは、心ばかりの手土産にございます。お納めください。」


 と、何やらずっしり中身の詰まった小袋を懐からだし、佐久良売さまに捧げた。


「ほほ……、さすが、正四位上しょうしいのじょうの陸奥国みちのくのくにの大国造おおくにのみやつこの道嶋みちしまの宿禰すくねの嶋足しまたりさまね。心尽くしの行き届いておりますこと。」


 佐久良売さまは、美辞麗句びじれいくにも、重たそうな小袋にも、品の良い笑顔を崩さず、全く動じるところはなかった。


(佐久良売さまは大人の郎女いらつめだなぁ。)


 と源はあらためて思った。

 坂盾が人払いを佐久良売さまに要求したので、若大根売は部屋を出た。

 すれ違いざま、源と若大根売は無言で微笑みを交わした。


(可愛い若大根売……。)



 









     

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