第四十八話  坂盾

 ※活火激発かっかげきはつ……盛んに燃え盛る炎が、激しくわき起こる事。



   *   *   *



 不審者は、おのことして普通の背丈。

 みなもとのほうが遥かに背が高い。

 みなもとは気軽な微笑みを顔に浮かべ、すぅっと、青丹あおにの衣のおのこの背後に忍び寄り、


「隠れるの、下手だねえ。」


 とささやいた。


「!」


 と驚いた男が振り返る前に、膝を蹴り、かくっと姿勢の崩れた男の右手を背中に捻り、そのまま、ドスン! と男の背中を倒す。


「うう!」


 とうめいた青丹あおにの衣のおのこは、草の生えた地面にうつ伏せになり、背中に乗った源に右手を捻りあげられ、動けない。

 制圧完了。


「あんた、オレたちが桃生柵もむのふのきに帰ってきてから、ずっと物陰から見てただろう?」


 淡々と言った源は一転、言葉を荒げ、


鬱陶うっとうしいんだよ!」


 と、背中にあてた膝で、ぐっと男の肺腑を圧迫した。

 仲間には向けない、源の活火激発かっかげきはつな一面である。

 おのこはうめく。

 源は口調を静かなものに戻す。


蝦夷えみし間諜かんちょう(スパイ)にも見えないが、さて、何者だ?

 オレたちがただの軍団じゃない、鎮兵ちんぺいの軍団だって知っていたかな……?」

「うっぐ、……離せ! 怪しい者ではない!」


 そう必死に源のほうに首をまわそうとする、二十代なかばの男。

 抗議の声は、あたりを気にしてか、小声だ。

 源が見るに、やはり見覚えのない、知らない男だ。

 やけに質の良い衣。

 ぷんと身体から、高い匂い袋の香りが立ち上る。

 武芸の心得は無し。


(武人ではない。金持ちの気配がしゃらくさい男だな。何者だ?)


 髪も艶がある。真葛さねかずらの油をふんだんに使い、手入れの行き届いた髪。

 おのこは逃れようともがくが、源が背中にのせた膝は、少しも動かない。


「怪しい者ではない、ねえ。こそこそ隠れて見てて、その言葉を信じろってえ? 軍監ぐんげん殿のところに連れてってやるよ。歯の二、三本は覚悟しておくんだな。」


 源は用意してきた荒縄で、男の両手首を背中で縛りあげていく。

 おのこは小声で、


「軍監殿でも、副将軍殿でも、征夷大将軍殿のところでも、好きに連れていけ。だが、騒ぎにしないでくれ! 嶋成さまに見られたくないのだ!」

「なんだって……?」

「オレは、丸子まるこの忌寸いみきの坂盾さかたて道嶋宿禰みちしまのすくね家令かれいの息子だっ!

 今宵、浄酒を呑んだろう、あれは、道嶋みちしまの宿禰すくねの嶋足しまたりさま、嶋成さまのお父上の心尽くしだ!」


 信じきれぬ、と表情を固くする源の耳に。


 わあっ。


 という鎮兵たちの一際ひときわ大きな歓声と、花麻呂の、


「はーい、古志加の勝ち。」


 という落ち着いた声と、古志加の、


「嶋成、もっと集中して剣を持たないと。悩みながら剣をふってるね。それが一番の隙だよ! あと太ももの力が弱いね。もっと足腰を鍛えて。踏ん張りが全然違ってくるから。」


 という実に的確な助言と、嶋成の、


「うわあああああん!」


 と泣きながら遠くに駆け去っていく足音が聴こえた……。





   *   *   *






 真比登の部屋にて。

 軍監ぐんげん、真比登と、その擬大毅ぎたいき(副官)、五百足いおたりの前に、源は不審者……丸子まるこの忌寸いみきの坂盾さかたてを突き出した。

 念の為、ここまで、人目につかないように連れてきた。

 それは正解だったようだ。

 坂盾を見た途端、真比登も五百足いおたりも驚き、


「嶋成のとこの使者殿!」


 と口にしたからである。


「ふんっ、早く縄をとけ!」


 と青丹の衣の男は威張った。源は、


(ずっとコソコソ、オレ達を影から見ていた、怪しい男という事に変わりないじゃないか!)


 と不満に思いつつ縄をとき、渋々、謝罪をした。

 坂盾は、嶋成の父親から、


 ───放蕩息子を鍛えてもらって、感謝する。


 という伝言と、贈り物である大量の浄酒きよさけを運んできた使者だった。

 以前も浄酒を運んできて、その時は、すぐに帰った。

 今回は、嶋成の様子を観察し、何か困っている事があるなら、陰ながら手助けせよ、という命令を授かってきたらしい。


「この陰ながら、というのが曲者でしてな。絶対、ずぇーったいに、嶋成さまに知られたくないのです。そして、良い報告を、お父上である嶋足さまにオレはしなきゃならんのです。」


 腕をすりすり、坂盾は言った。真比登が、


「すまないな、源。これは内密に、と副将軍殿から言われていてな。

 知ってるのは、五百足いおたりまでだったのさ。まさか、おまえが使者殿を捕まえるとはな……。」

「ふんっ!!」


 坂盾は怒ってそっぽを向いた。

 真比登は困ったように笑い、


「ああ、ええと、使者殿も災難でしたな。でも幸い、この源は、嶋成……殿と仲の良い、同時に入団した者です。この者はいろいろ有益な事を教えてくれるでしょう。」

「これはこれは……。」


 坂盾は怒りの表情を瞬時にひっこめ、すっと姿勢をただし、ぴしり、と整った礼の姿勢を、源にとった。

 源も慌てて、礼の姿勢をとる。


道嶋宿禰みちしまのすくねの家の若子わくご、嶋成さまと仲良くしてくださり、感謝申しあげます。褒美はいかようにもとらせましょう。今後とも、嶋成さまをお助けください。」

「オレは、嶋成の友です! 仲良くする事で褒美なんていりません!」

「あ、いや……。」


 坂盾は、源の激昂に驚き、礼の姿勢を深くした。


「これは失礼いたしました……。」


 坂盾は、しばらく無言になり、うつむき、肩が震えた。


「あの方は……、ここに来て、顔つきがすっかり変わられた。私は……、命の危険があるこのような場所は、と、ずっと反対でした。でも……。嶋成さまは、友を得られたのですね……。」


 青丹の衣の男の目には、うっすら、光るものがあった。



   *   *   *



 佐久良売が部屋で、猫の里夜りやを膝にのせ、


「良し良し……。」


 と背中を撫でて、柔らかい毛並を楽しんでいると、


「佐久良売さま……。」


 と妻戸つまと(出入り口)の外から愛子夫いとこせの声がした。

 夜。

 つまが妻の部屋に通う時間だ……。


「真比登。」


 と佐久良売は弾む声をだし、にっこり笑顔になり、倚子から腰を浮かせる。

 里夜りやは、


「にゃあん。」


 と、ゆっくり、佐久良売の膝から降りた。

 若大根売が妻戸つまとを開けた。

 そこには、真比登と、


「えっ?」


 五百足いおたりと、源と、青丹の衣の見知らぬ男が立っていた。

 

夫婦めおとの時間を、何をぞろぞろやってきたのよ〜!)


 佐久良売は、きゅっと唇を不機嫌に曲げた。


 四人の男の足元を、里夜りやがするするっと抜けて、外に出ていった。










 挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093078148376932



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