第四十七話  花麻呂いいの? 食べちゃうよ!

 翌日。

 戰が終わり、ほどほどの勝ち戰であったが、夕餉には珍しく、鎮兵たちに浄酒きよさけがふるまわれた。


(間に合え!)


 新入りである嶋成しまなりは、荒海あるみの久自良くじらに夕餉の片付けを代わってもらい、吉弥侯部きみこべの古志加こじかのもとに走った。


(たゆらちゃん!)


 彼女はいつも、夕餉が終わると、さっさと女官部屋に向かってしまうのだ。


(間に合った!)


 吉弥侯部きみこべの古志加こじかはまだ地面に座って、浄酒をちびちび、笑顔で呑んでいる。隣には北田きただの花麻呂はなまろが座っている。


「古志加! 少し、は、話そうぜ! ほら、干し柿!」


 古志加は食べ物全般に弱い。あげるなら食べ物。酒は弱いから、古志加に浄酒をあげちゃダメ。

 昨日聞き出した、貴重な花麻呂情報である。


 古志加は、浄酒でほんのり赤らんだ顔で、ぱちぱち、とまばたきして、


「干し柿! 食べる!」


 と目を輝かせた。


(本当だぁ。食べ物で釣れる!)


 オレは古志加に干し柿を渡す。


「ありがとう!」


 古志加の輝く笑顔が、焚き火に照らされる。耳たぶの紅珊瑚の耳飾りが、紅とも橙ともつかぬ光を放つ。


(たゆらちゃん……、可愛い。

 もし、オレの妻になってくれたら、干し柿どころか、もっとご馳走、好きなだけ、食べさせてあげるよ!

 目がくらむような豪華な衣だって、かんざしだって、あげるよ。

 きっと着飾ったたゆらちゃんは綺麗だ……。

 おっと、いけない。

 だから、銭ではないのだ。

 愛は銭ではない。

 オレのこの思考は改めねば。)


「花麻呂! 干し柿もらったよ!」


 古志加はニコニコと花麻呂に話しかけ、干し柿を半分、花麻呂にあげようとするが、


「古志加が食え。」


 と花麻呂は、こちらをじろり、と見たあと、目をつむり、腕組みし、無言になった。

 このおのこは、このおのこで、何か葛藤があるらしい。難しい顔をしている。

 しかし、今のところ、邪魔はしないでくれる。

 それだけで充分だ……。


「花麻呂いいの? 食べちゃうよ!」


 と古志加は、干し柿にかじりつきはじめた。オレは、

 

「きょ。」


 声が裏返った。

 第一声から声が裏返るとは、なんたる腑抜けか!

 こほん、咳払いし、


「今日の戰はどうだった?」


 と無難な話題から始める。


 始めたのだが……。


 しばらくして、


「───オレのこと、どう思う?」


 と訊いたのがまずかった。

 古志加は真顔になり、


「……わかった、干し柿ももらった事だし、恩を返すよ。抜いて!」


 と立ち上がり、すらっと剣を抜いた。


「え?」

「剣を見てあげる。あ……、ちょっと偉そうに聴こえた? もちろん、師匠面するつもりは無いよ!」


 ぶはっ、と花麻呂がふいた。


「はは……、古志加はきちんと強いぞ。見てくれるってんだから、手合わせしたら良いさ。」

「でも真剣で……。」

「おまえは兵士。古志加は衛士だが、今は伯団預かりの兵士だ。真剣なのは当たり前だろう。」


 花麻呂は澄まして言う。


(たゆらちゃんに怪我させたくねぇよ!)


 とオレは思うが、


「さっ、さっ、早くぅ───!」


 と剣をかまえた古志加がおねだり顔をする。


(え───?? なんでこうなるの───??)


 オレは泣きたい、と思いながら、大刀たちを抜いた。




     *   *   *





「…………。」


 源は、息をひそめながら、木立を歩く。広場では、酒の入った鎮兵たちが、わっ、と、もりあがり、


「それ行け嶋成───!」

「古志加の郎女いらつめ(お嬢ちゃん)、頑張れ───!」

「嶋成を負かしていいぞー!」

「うべなうべなー!」


 と無責任な野次を楽しく飛ばしている。

 古志加は誰が呼んだか、郎女いらつめ(お嬢ちゃん)の愛称が定着しつつある。

 古志加はそう呼ばれるたび、


郎女いらつめじゃない……。ただの郷の女だよ。」


 と困り顔で訂正するが、今はその余裕はない。


 ギンッ!


 古志加と嶋成の剣が交差する。

 古志加の動きは早く、地を弾むように俊敏に動き、若い鹿のよう。

 腕の重い兵士なら、一撃しか打ち込めない間合いで、古志加は二撃打ち込む。

 その勢いは激しい。

 鍛錬に裏打ちされた剣。

 そして怒りの火花散る剣。

 このおみなは、こんなに荒々しいおみななのか。

 普段の顔、とくに笑顔などは、女らしい雰囲気の、普通のおみなだ。

 だが剣は、普段とはあまりにかけ離れた、苛烈な剣だ。

 何にそんなに怒っているのだろう?


 源のところには、会話は聴こえなかったが、さっき仕合を始める前は、険悪な雰囲気は皆無だったはずだ。

 きっと、剣を持つとガラリと変わるのだろう。


 今、嶋成と仕合う古志加は、ここに来た初日、真比登と仕合をした時とも、また違う。

 あの時は、古志加は豪剣をかいくぐりながら、


「あは……!」


 と楽しそうな声をあげ、妖艶に、背筋が薄ら寒くなるような顔で笑っていた。

 あれは、怖い顔だ。

 あんな顔して笑うおみなを、源は今まで生きてきたなかで、見たことはない。

 どうしておみなが、あんな顔をするようになるのか、理解できない。


 若大根売わかおおねめの可愛さあふれる笑顔のほうが、どんなに癒やされることか……。


 だが、古志加をおみなではなく、兵士、として考えると、ストンと理解できる。

 普段は穏やかな人柄で、剣を持つと豹変するおのこなんて、ざらだ。

 だから、そういう事なのだろう。

 古志加は、兵士だ。……本業は衛士か。


 源は慎重に歩みを進めながら、横目で古志加と嶋成の仕合を見る。


 今、嶋成は、古志加に押され気味だ。

 嶋成も、剣が弱いわけではないが、古志加が背負う気迫に押されている。


「やああああっ!」


 ギン、ギン、ギンッ!


 ほら、気合の声をあげ、速さのあがった古志加が一気に三撃叩き込む。

 嶋成は防戦一方。


(……恋うてるおみな相手だからね、やりにくい、か。)


 さて、源ものんびり見物していたいが、そうもいかない……。


 ちなみに、源は、今日、浄酒きよさけを一滴も呑んでいない。

 自分の分の配給された浄酒を、同じ(十人の炊事グループ)の汗志うしに譲る事で、夕餉の片付けを代わってもらったからだ。


 源は気配を消し、陽の落ちた木立、焚き火のぎりぎり届かない藪を、ゆっくり、ゆっくり、進む。


 目当てのおのこの背後にそっと回り込む。

 中肉中背。

 青丹あおにの衣。

 おのこは、古志加と嶋成の仕合を、木の陰に隠れ、じっと盗み見ている……。


 今日、さるの刻(午後3〜5時)に、源たちが戰場から桃生柵もむのふのきに帰ってきてから、ずっと源たちを物陰からコソコソ見ていた、不審者だ。






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