第六十一話  名前を取り上げられた女、其の一

 豪族のおみなに生まれて、美しくなければ、おみなに価値はない。



 いっそのこと、百姓ひゃくせいの女に生まれていれば良かった。




 そうすればこのように、自分の顔に苦しむ事はなかっただろう。












 あたしの家、車持君くるまもちのきみの家では、伝説のように語られるおみなが二人、いる。


 一人は、遠い血族、与志古よしこのいらつめ

 采女うねめとなり、秀でた美貌で、中臣なかとみの鎌足かまたりの妻となった。


 もう一人は、あたしの伯母おば

 主家、上毛野君かみつけののきみの屋敷の女官として務め、上毛野君かみつけののきみの跡継ぎに美貌を見初められ、吾妹子あぎもこ(愛人)となった。

 それだけでは、珍しい事ではない。

 伯母は、跡継ぎのいもとなった。


 いも


 おのこにとって生涯たった一人の、運命の恋人である。

 上毛野君かみつけののきみの跡継ぎともなれば、妻を何人も持つのは当たりまえ。

 毛止豆女もとつめ(正妻)は、釣り合いのとれる家柄の大豪族の娘を妻に迎えるのが普通。

 しかし、伯母は、すでに迎えられていた毛止豆女もとつめ(正妻)を差し置いて、上毛野君かみつけののきみの跡継ぎのいもとなったのだ。


 伯母は、たいそう美しく、おのこが一目見たら忘れられない、まさに傾国の美女だったという。


 あたしの家は、この慶事に沸き返ったそうだ。

 だが、伯母は子を為す前に、若くして黄泉渡りをした。


「おまえの叔母、───のようになるんですよ。」

「───のように、上毛野君かみつけののきみの跡継ぎのいもとなり、車持君くるまもちのきみの家を隆盛させるのですよ。」

「おまえは───の血をひいてるのだから、必ずや、上毛野君かみつけののきみの跡継ぎの心をつかみ、いもとなれるはずだ。そして、車持君くるまもちのきみの家がつかみそこねた栄光を、手にいれよ。」


 そのように言われて、育った。


 見たこともない、あたしが生まれる前に黄泉渡りした伯母の名前を聞かぬ日はなかった。


 だが、だんだん、その声は小さくなった。


 あたしが、わらはの頃は気にならなかったのに、成長するとともに、顎が悪目立ちする顔となっていったからである。

 ある日、物陰で、


「あの子は、醜いな。これでは……。」


 と、あたしの話をするお父さまの言葉を、偶然、聞いてしまった。

 でも、あたしのそんな顎は、お父さまにそっくりだった。


 あたしは、美女じゃない。


 それどころか……醜女しこめだ。


 鏡を見れば、わかる。


 顎がいけなかった。


 顎をそっと手で隠せば、あたしだって、母刀自に似て、きちんと綺麗だった。


(いいえ、顎が大きいからって、何よ。あたしは車持君の娘。上野国かみつけのくにでは名家だもの。

 女官となり、跡継ぎに見初められて、いもとはなれずとも、妻の一人にはなれるかもしれない。)


 そう思って、教養を身に着け、しとやかな所作を磨き、刺繍や、舞や、琵琶びわなど、郎女いらつめにふさわしい学びに励んだ。






 そして運命の日。


 十六歳のあたしは、上毛野君かみつけののきみの主に引き合わされた。

 跡継ぎである大川おおかわさまは、陸奥国みちのくのくににいて、屋敷に長らく不在だった。

 だからあたしは、その父、広瀬ひろせさまに引き合わされたのだ。

 広瀬さまは、四十七歳だった。



 かまわない。

 あたしの若さが寵愛を得ることに役立つならば。



 だが、上毛野君かみつけののきみの主は、あたしの顔を一目見るなり、顎を見つめ、


「ぐうっ。」


 と不快そうにうめいた。


 あたしは緊張で胸が早鐘をうった。


 二人きりになり、あたしは舞を踊った。舞には自信があった。だけどすぐに、


「やめろ!」


 と広瀬さまは怒鳴った。


「血が連なる者と聞いたから、期待しておったのに、似ても似つかぬ。

 なんだその顔は! 

 その舞は!

 おまえの伯母は微笑むだけで飛ぶ鳥を落とし、舞うだけで万丈ばんじょう飛花ひかを天に吹き上げたぞ!」


 部屋を叩きだされ、


「おまえ、その名前を名乗ること、金輪際こんりんざい許さぬ! 今日から大鍔売おおつばめと名乗れ!」

「そんなっ……!」


 あたしは名前を、取り上げられた。


(あたしが何をしたというの?!)


 ぼろぼろ涙があふれた。主の怒りは収まらず、


鎌売かまめ!」


 と離れた簀子すのこ(廊下)に控えていた、女嬬にょじゅ(女官のリーダー)を呼んだ。


大鍔売おおつばめをこの屋敷から叩き出せ。

 即刻、車持君の屋敷へ送り返せ!」

「ひっ……!」


 あたしは恐怖で身体が硬直し、目の前が真っ暗になった。


 女官として務めながら、途中で生家に送り返されるのは、たいへんな不名誉。

 不出来なおみなよ、と噂になり、つまの成り手さえも失い、家族の失望と親族の嘲笑に耐えながら、一生を過ごす事になるのだ。


 鎌売が礼の姿勢をとりながら、


「恐れながら、生家に送り返されるのは、たいへんな不名誉。女官にとって死を賜るのにも等しい苦痛です。

 何卒なにとぞ、お考え直しくださいませ。」


 ととりなしてくれた。


「ふん! 陸奥国みちのくのくにに行っている大川のところに送り届けよ。

 手はつけておらぬ。

 明日には出立せよ! 

 その顔、二度と見たくはない。」


 あたしは女嬬にょじゅ日佐留売ひさるめに抱きかかえられるように、女官の部屋に戻り、次の日、本当に、陸奥国みちのくのくににむかって、旅立つことになったのだ……。




(どうして、どうしてこんな事になったの?)




 涙が枯れるほど、泣いた。





    *   *   *





 十二日かけて、陸奥国にきた。

 初めて会った、上毛野君かみつけののきみ大川おおかわさま、跡継ぎの君は、噂通り、目が覚めるような美男子だった。

 大川さまは孤高の方で、この年齢で妻はおろか、吾妹子あぎもこ(愛人)の一人もいないという。


(どうしても、何がなんでも、大川さまのお情けをいただかねば。

 そうでなくば、上野国かみつけのくにを離れ、道の果て、陸奥国みちのくのくにまで来た意味がない。

 せめて大川さまの吾妹子あぎもこになれれば、今までの屈辱をなかった事にし、堂々と上毛野君かみつけののきみの屋敷に戻れる。

 お父さまも母刀自ははとじも喜んでくださる。

 このまま、ただ惨めなまま終わるのは嫌……。)


 じっと大川さまの顔を見ていると、大川さまが眉根をつめ、目をそらした。


「三虎。」


 冷たく、従者の名前を呼んだ。


「はい。」


 と返事をした従者は、にこりともせず、


大鍔売おおつばめ。ここは手は足りている。おまえは、ここ、桃生柵もむのふのき領主の娘、長尾連ながおのむらじの佐久良売さくらめさまのもとに預ける。

 大川さまの世話は一切、しなくて良い。

 ───いや、するな。

 そのつもりで、佐久良売さまのもとで仕えろ。」

「はっ?」


 見たところ、上毛野君かみつけののきみの跡継ぎの仮住まいだというのに、女官の一人も、ここにはいなかった。

 あたしは、大川さまお付きの女官になったのだと、この時までは思っていた。

 ───違った。


「来い。」

「えっ……。」


 従者の三虎は、そう言って、さっさと部屋を出てしまった。にこりともしない、威圧感のある怖いおのこだった。


 あたしは急いであとをついて歩き、事態の飲み込めないまま、医務室……佐久良売さまのもとに連れていかれた。

 三虎は、佐久良売さまに手短に話をすると、すぐに姿を消した。















↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093078644825506



 

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