第二十六話  いさよひ、其の四

 紫草むらさきは   をかもふる


 ひとの  


 うらがなしけを  へなくに




 牟良佐伎波むらさきは  根乎可母乎布流ねをかもをふる

 比等乃兒能ひとのこの

 宇良我奈之家乎うらがなしけを  祢乎遠敝奈久尓ねををえなくに





 紫草むらさきは、根を終える事ができる(根から染料をとるのに根を使い尽くす)のに、人の子であるあの娘とは、こんなに愛しいと思っているあの娘とは、共寝を終えていないんだ。






     万葉集  作者不詳





    *   *   *





 五百足いおたりの兵舎の部屋で、たくさんの衣を物色ぶっしょくしていたみなもとが、


五百足いおたり、これにする!」


 と明るい声をだした。

 ぼんやりしていた五百足は、はっとする。


(おっと……。つい、昔の事を思い出してしまったな。)


 恋人への想いがまっすぐなみなもとにあてられてしまったらしい……。


 源は、高すぎず、安すぎず、ほどほどの刈安かりやす色(黄緑)の衣を手にとっている。


「もっと高いのでも良いぞ?」

「背伸びしすぎは、見栄のはりすぎ。良くない。」


 からっと源は笑い、


「オレの普段の、ぼろっちい衣じゃなければ、充分だ。これが良い。」


 と言った。

 五百足いおたりもつられて笑い、


「そうか、好きにしろ。」


 と了承する。帯一式、貸してやり、着替えた源は、背が高く美男であるので、ほどほどの衣でも、颯爽と立派に、良い男ぶりで着こなした。





    





 二人で伯団はくのだん戍所じゅしょの広場に戻ると、真比登まひとがいた。


 五百足いおたりをにやにや、含みのある笑顔で見てくる。

 真比登は、数日前に婚姻したばかりだ。幸せそうで、デレデレ笑っている事が多くなった。

 五百足は、やっと真比登に妻が見つかって、心から嬉しいのだが、今のこの含み笑いは、いつものデレデレとは、違うようだ。


「なんです?」

「ふふふ。」

「気味が悪いですね。」

「なんとでも言え。五百足、ちょっと佐久良売さくらめさまのところに、つきあえ。」

「はぁ? なんでです?」


 佐久良売さま。

 ずば抜けて美しい郎女いらつめは、いろいろあった後、真比登の妻となった。

 デレデレ笑う真比登の隣で、佐久良売さまはいつも品の良い微笑みを浮かべている。

 しかし、ここにいる鎮兵たちは皆知っている。


 ……佐久良売さまが怒ると凄まじく怖いことを!!


 だいたい、おみななんてものは、何をつついていきなり怒りだすかわかったものじゃない。

 佐久良売さまになるべくお近づきになりたくない。

 それが五百足の素直な思いである。


「オレが時々、おまえの話をするのを聞いて、顔を見たくなったんだとよ。」


 そう言われては、断れない。


「うへぇ……、どんな話をしたんですよ、怖いなあ。」


 五百足は肩を落として、にやにや笑いの真比登と、佐久良売さまの部屋にむかった。





   







 佐久良売さまは、きめ細かく白い雪膚せっぷ、すっと切れ長の瞳の、玲瓏れいろうたる美女である。


「いらっしゃい。いつもあたくしのつまを支えてくださってるそうね。」


 と上品な微笑みで五百足いおたりを迎えてくれた。


「座って。」


 真比登と五百足は、佐久良売さまと向かい合い、倚子に座る。

 佐久良売さまの後ろには、いつものお付きの女官が、静かに控えている。


「あなた、いくつだったかしら?」

「二十一歳です。」

「そう……。」


 と当たり障りのない話をしていると、後方で妻戸つまとが開き、人が入ってきた気配がした。

 にこーっ、とひときわ大きく、佐久良売さまが笑う。


淡竹葉たんちくよう(笹の葉)のお茶を用意させたわ。胡餅こべい(小麦粉のお煎餅。塩味。)と胡桃くるみもどうぞ。」


 新しく入室した女官が、手に持った盆から、須恵器すえきつきに注がれたお茶と、須恵器の皿に盛られた胡餅こべいと胡桃を、無言で机の上に置いていく。


「恐れ入ります。」


 五百足いおたりはそう言うが、違和感に気がつく。

 真比登が静かだ。


(ご馳走ですね、佐久良売さま! とデレデレ言いそうなものなのに。)


 隣に座った真比登をちらっと見ると、にこーっ、と大きく笑いながら、新しく入室した女官を見ている。

 その女官は、ふっくらした体型をしていた。


(ん?)


 その体型には見覚えが……。

 いや、そもそも、女官は、忘れな草色と浅葱あさぎ色の衣だ。目の前にいるおみな紫草むらさき色の衣を着ている。

 女官ではない。

 その顔は……。


「ひゃっ?! 小鳥売───?!」


 五百足は叫んで倚子から転げ落ちそうになった。

 











↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093076214349430

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