第二十五話  いさよひ、其の三

 日を追うごとに小鳥売は回復し、五百足いおたりと二人で手分けして、家の仕事をするようになった。

 ありがたい事に、真比登は、小鳥売がいくら食べても文句を言わず、


「好きにしたら良い。いくらでもお食べ。」


 と言ってくれた。小鳥売は、満足に食べれなかった日々を取り戻すかのように、良く食べるおみなとなった。

 顔はまるまるとし、体つきはふっくらとなった。良く喋り、良く笑う。

 オレは微笑ましく、それを見る。


 真比登から遠慮がちに、


「えっと……、お前たち、血は繋がってないって聞いたけど、そろそろ、寝る場所、わける? 五百足いおたりは母屋でオレと寝る?」


 と訊かれたが、五百足いおたりは、


「いいえ。家族ですので、一緒に炊屋で寝ます。」


 と断った。


(……真比登を疑うわけではないが、小鳥売を一人で寝かせるべきではない。)


 しかし、一年も一緒に暮らせば、真比登が小鳥売をいやらしい目で見ることはない、と、理解した。


 それでも、五百足は小鳥売と一緒の炊屋かしきやで眠った。


(今となっては、小鳥売はオレの唯一の家族だ。家族は皆一緒に、寝ワラで眠るもの。当然のことだ。)


 それに、小鳥売は、普段は気丈にふるまうが、夜、炊屋で二人きりの時、ぽつりと、


兄人せうと。あたしの本当の親父は、川で溺れ死に、母刀自はあたしを捨てた。あたし、寂しい。」


 と泣きそうな顔で言うことがあった。

 そんな時、五百足いおたりは、すぐに小鳥売を抱きしめ、


「寂しくない。兄人せうとがいる。兄人せうとは、小鳥売を守る為に生きる。」


 と力強く言う。すると小鳥売は笑顔になり、


「うん! 兄人せうと、大好き!」


 と、ぎゅっと抱きついてくる。

 可愛かった。

 寂しさを押し隠す小鳥売が心配だった。

 こんな小鳥売を一人で寝かせておけるわけがなかった。



 それに、夜寝る前。

 寝ワラのはじとはじに別れ、寝転がり、こも(イグサで荒く編まれたむしろ、庶民の掛け布団)にそれぞれくるまり、他愛もない話をして、


兄人せうと、明日も頑張ろうね。おやすみなさい。」


 と小鳥売に言ってもらうのは、五百足いおたりの活力の源だった。

 その寝る前の大事な安らぎを、手放すつもりはなかった。





 五百足いおたりは十八歳になり、鎮兵ちんぺいとなった。

 真比登に、


「五百足……。前にも訊いたけど、小鳥売と寝る場所を別にしなくて、本当に良いのか……?」


 と言われたが、五百足は、


「家族ですから、一緒に寝ますよ。」


 と平然と言った。


(家族なら、当たり前。

 可愛い小鳥売が本当の、血のつながった同母妹いろもだったら良かったのに。)


 五百足はそう思っていたのだ。

 真比登は、なんとも複雑な、何かを案じる顔で、


「そうなの……? オレ、耳は良いからね?」


 と言ったが、


「?」


 その時の五百足は、真比登が何を言いたいのか、わからなかった……。


 半年ほどして、鎮兵の仲間たちに誘われ、遊浮島うかれうきしまに行き。


 おみなを、知った。


 翌日、十八歳の五百足は、己をどうしても抑えきれず、寝ワラで眠る十三歳の小鳥売に覆いかぶさろうとした……。






 血の繋がりは、全くないのだ。

 むしろ、同母妹いろもでなくて、血の繋がりがなくて、良かった。

 五百足いおたりは。

 小鳥売が。

 可愛くて。

 その寝息を聞いてるだけで。

 小鳥売の。

 衣の下が。

 昨日初めて知ったおみなと同じであるか。

 どうしても。

 見てみたくなって。

 きっと。

 衣の下は……。





 十三歳は、国の決まりでは、婚姻できる年齢だ。

 だが、郷では、十三歳の婚姻は早すぎるとして、女達が歌垣うたがきに行く(婚姻相手を大勢から選ぶ)のは、十六歳になってからだ。

 

 つまり小鳥売は幼い。幼なすぎる。わかっていながら……。







 小鳥売ことりめはその時、悪い夢を見ていたらしい。目を閉じたまま、眉をゆがめ、汗をかき、


「助けて……。怖い……。兄人せうと……。」


 と苦しそうにそうつぶやいた。


 五百足いおたりは己の行為を恥じた。


 怖い夢のなかで助けを求めるのは、この兄人せうとであるのに、その兄人せうとが小鳥売を襲ったら、小鳥売は今後、悪い夢を見たとして、いったい誰に助けを求めれば良いと言うのだろう。


 五百足いおたりは小鳥売を起こさぬよう、そっと離れた。







 小鳥売は、どんな怖い夢を見ていたのだろう。

 あの親父に殴られた夢?

 食事を抜かれた辛い日々?

 母刀自に捨てられた日?

 奴婢として市に立たされた絶望の日?

 心当たりがありすぎる。

 起きてる時には、けして、怖いなどと口にしないのに。

 どれほど、怖い思いをしてきたのだろう。

 可哀想な小鳥売!

 五百足いおたりは、万々妹ままいも(異母妹)を守るとうけひをしたのに!





(オレのバカめ……。

 オレは卑小な、こんな、いやしい男だったのか!

 小鳥売が起きず、何も気がつかなかった事がせめてもの救いだ。)




 小鳥売は、翌朝、何も覚えていなかった。


「悪い夢を見たんじゃないのか?」


 と訊いたら、きょとん、として、


「まったく覚えていません。あはっ! 今は幸せですから。」


 と明るく笑った。


 五百足いおたりは、真比登に、自分だけ母屋で寝かせてもらうように頼んだ。

 真比登は五百足の顔をにらむようにじっと見た。


「何かしたか?」

「…………な、にも…………。」


 五百足いおたりはその視線に耐えかね、そう言うのが精一杯だった。


「まあ良い。昨日、悲鳴は聞こえなかったからな。」

「……!」


 五百足いおたりは真っ赤になって唇を噛んだ。

 真比登は追求をそれだけで切り上げてくれた。

 その晩から、五百足いおたりは真比登と母屋で眠ることになった。


 それを聞いた小鳥売は、


兄人せうと、あたし寂しい……。」


 とうつむいたが、


「バカだな。一緒の場所に住んでる。一緒に食事もとる。寂しいなんて事ないだろ。」


 と頭をぽんぽん叩いてやると、


「うん。」


 と小鳥売は納得した。




 そして日々は平穏にすぎ……。




 その後も小鳥売は、家で人目がない時に、気まぐれに、


「あたし、寂しい……。」


 と甘えたように言ってきた。

 五百足いおたりはそのたび、


(もう、家族でも男女が不用意に抱き合って良い年齢じゃないだろう?)


 という言葉をぐっと呑み込み、そっと、大切に小鳥売を抱きしめる。

 ……抱きしめたいからだ。

 

兄人せうとがいる。」


 と言いながら、柔らかい背中を、腰をなでる。

 慎重に……、おのこを感じさせないように、警戒されないように……。

 その甘美な感触と、おみなの良い匂いにうっとりとしながら。


 


 


 

 小鳥売が十六歳となった、今年のはじめ。

 五百足いおたりは、


兄人せうとをやめ、一人のおのことして妻問つまどいをするべきだろうか。)


 と迷った。

 小鳥売の明るい笑顔を守るのは、この先も自分でありたい……。


 でも、心に伊佐欲比いさよひ(ためらい)が訪れた。


(もし、小鳥売に、

 ───兄人せうと、今までそんな目であたしを見ていたの?! 

 と軽蔑されたり、

 ───兄人せうと兄人せうとです。おのことして見る事はできません。

 と言われたらどうしよう……。

 兄人せうととして必要とされてる今を壊したくない。)


 結局、妻問いができず、良い兄人せうととして、ここまで来てしまった。




 小鳥売が誰かにとられる、という心配はない。

 五百足いおたりは唯一の家族。

 小鳥売の婚姻には、五百足いおたりの許可がいる。

 五百足いおたりは、どんなおのこが小鳥売を妻にしたいと申し出ても、片っぱしから断るつもりだった。


 あとはただ、五百足いおたりが思い切るだけなのだが……。



 さんざん、兄人せうととして振る舞ってきた五百足いおたりは、今さら、それをやめることができないでいる。







   






↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093076214163789

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