第二十四話 いさよひ、其の二
真比登は、理想的な主だった。
左頬に
(
と怖かったが、贅沢を言ってられる状況ではなかったし、一緒に暮らしてみて、
「ほう! オレは読み書きできん。すごいな!」
と感心して、翌日帰宅した時、
「こいつは土産だ。」
と、墨と硯と筆を
五百足はその優しさが嬉しかった。
五百足が食事を美味しく作れないと、
「おいおい、こう作るんだぜ。」
と笑顔で鍋の作り方まで実践して教えてくれた。
十三歳の五百足は、二十歳の真比登と並んで一緒に鍋を作っていると、
(まるで頼れる兄みたい。)
と、温かい気持ちになり、自然と笑顔がこぼれた。
何より助かったのは、寝たきりの小鳥売に嫌味を言ったりせず、
「精のつくものを、何でも食べさせてやれ。ゆっくり休んで、早く回復すると良いな。」
と優しい声をかけてくれた事だ。
左頬に
「妻を迎えないんですか?」
真比登は優しくて、これだけ立派な家に住んでいるのに、妻がいない方がおかしい、と思った。
真比登は寂しそうに笑い、
「こんな
と苦しそうに目をそらした。
衰弱した小鳥売は、はじめは
「ありがとう、
と目を潤ませながら、五百足を見るのが、たまらなく、可愛かった。
「
「良いんだ。オレは親父を、家を捨てた。もう下人同然さ。真比登は、良い主だ。
小鳥売、おまえが黄泉渡りしないでくれて良かった。生きてくれ。早く元気におなり。」
「わかった。」
小鳥売の頭を撫でてやると、小鳥売は安心した顔で、気持ち良さそうに目を細めた。
真比登の家に来て、七日。
雲で月が見えない夜。
親父がならず者十人をかき集めて、家を急襲した。
「
親父はそう叫び、ならず者たちは
真比登は母屋からすっ飛んで来た。
それからはすごかった。
真比登は闇夜に巻き起こる疾風。
剣を持ったならず者たちに素手で立ち向かい、素早く懐にもぐり、顎を打ち、肘で側頭をぶち抜き、剣を危なげなくかわし、足蹴りを腹にめり込ませ、ならず者をふっとばした。
「野郎!」
「やっちまえ!」
「うおー! 覚悟しやがれぇ!」
ならず者は野太い声で叫びながら、真比登の前後左右、いっせいに大人数で襲いかかる。
真比登は喋らず、闇夜ゆえどんな表情か見えない。
ダッ、ドカッ、バキッ、ゴスッ、という打撃音が重なり、真比登が一回転すると、真比登を中心に花弁が開くように、身体の大きいならず者たちが四方八方にふっ飛ばされた。
真比登が剣を持ったならず者の腕をつかめば、
「うううっ。」
とならず者は顔を苦しそうにうめき、すぐに剣を手放した。
(いったいどれだけ力持ちなんだろう? ……すげえ。)
ならず者の顎に鋭い肘打ちをくらわせ、昏倒させた真比登が、不自然にぐにゃりとのけぞった。
肩先を、矢がかすめていった。
(狩猟ではなく、人相手に弓矢を使うなんて、卑怯な!)
それと同時に、
(なんで真比登は矢を避けることができるんだ? 信じられないよ……。)
と目をみはった。
真比登は弓矢を持った男のもとに素早く駆け寄り、弓を左手でつかんだ。
「あわわっ……!」
とみっともなく慌てた男の腹を、右足でドオンと蹴った。男はふっとんだ。
あっという間に十人、真比登が一人で倒した。
ならず者は、誰一人、炊屋に近づきもできなかった。
地面に伏せ、座り込んだならず者達からは、うめき声にまじり、恨みがましい、
「なんだよ、
「強すぎる……。」
「あんなの
という声が聞こえてきた。
その場で立っているのは、真比登と、五百足の親父、二人きり。
真比登と親父が、対峙した。
真比登は、ならず者から奪った弓を両手で持ち、親父に向かって掲げて見せた。そして手に力を込め、
「ふん!」
ばきっ! と素手で弓を真っ二つに折った。
木の折れた音が、夜に良く響いた。
「ひ───! この鬼、近寄るなぁ───!」
親父の膝がガクガク震えた。
雲間。
月の光が差し込み、二人の顔が見えた。
真比登は静かな顔で、ひたと親父を見据えている。
親父の顔は、引きつった顔。初めて見た親父の恐怖の顔だった。
(ああ。こんな顔、するんだ。)
真比登はさっと動いた。
折れた弓をポイと捨て、大股の一歩で親父に近づき、右手で親父の顔を
「むぐっ!」
「おまえ、もう喋るな。」
真比登はそのまま、親父を上に少し持ち上げた。
「ぐぅ、ぐぅ……!」
親父はぎりぎり、つま先が地面につく。
「
いいか、鎮兵っていうのは、腕がモノ言うんだよ。
荒くれ者八百人のなかで二番目に強い、それが小毅なんだよ。
こんな
親父は、喋る事ができないので、必死な目で、頷く動作を何回もした。
「ここにはオレが保護してる
そこで真比登が、親父にぐっと顔を近づけ、声を低くした。
「……弱い
あの子の痣を見たか!
おまえを同じ目にあわせてやりたいぜ!」
親父は激しくもがき、真比登の手を外そうとした。
でも、真比登の手はびくともしない。
(真比登……。ありがとう。)
「ま、おまえがあいつらの親父なら、って話だ。」
真比登は優雅に己の左耳をかっぽじって、左の小指にとれた耳くそを、ふっ、と吹き飛ばす動作をした。
「あー、どうりで聞こえが悪かったわけだぁ。
良いか。オレは何もお前から聞いてない。
ここにいるのは、オレの家を襲った阿呆ども、それだけだ。
もう二度と来るな。わかったな?」
そこでやっと真比登が親父を下におろし、頬から手を離した。
「あ、顎らっ、はずれ……。」
と己の顔の心配をする親父に、
「こいつは土産だ。」
真比登は鮮やかに右の拳を親父の頬にめりこませた。
親父は気を失って仰向けに倒れた。
他のならず者と違って、ふっとばされなかったので、少し手加減をしたようだ。
真比登はちらっと、炊屋のほうを見て、
(かっこいい。真比登。ありがとう。ありがとう……。)
真比登がまわりを見渡した。
「おーら、おまえら、人の家の庭でいつまでも寝てるんじゃねぇよ。とっとと帰れ!」
動ける者がわらわらと逃げ出そうとした。
「……あ、待て!」
ならず者達はぴたりと全員動きを止めた。
真比登はさっぱりした足取りで、
「誰も殺してねえよ。全員連れて帰れ。今、歩けるようにしてやるからな。」
と気絶してる何人かのところに向かい、後ろから抱き起こし、
「……せぇいっ!」
と気合をいれて、目覚めさせた。
真比登は何もかも、鮮やかな男だった。
五百足は、ならず者全員と親父が
涙を拭き、まだ満足に起き上がれない小鳥売を振り返り、
「もう安心だ。」
と笑顔で告げてから、炊屋を飛び出し、真比登に抱きついた。
「真比登、ありがとうございます!
すごい格好良かったです!」
「ふっ、ありがとう。
怖い思いはしなかったか?」
「怖くありません!
真比登に守ってもらいました。
真比登は頼もしいです。
それにオレ、
「はは……、そうだな。
「真比登、どうして矢を避けれたんですか? すごい!」
「油断してなければ、気配でわかる。
わかっていれば、避けるのは難しい事じゃない。
……真似しちゃダメだぞぅ。危ないからな。」
「はい、わかりました!」
真比登は笑顔で、腰に抱きついた五百足の頭を優しくわしわしと撫でてくれた。
(優しい。強い。格好いい!)
「オレもいつか、真比登みたいになりたい!」
「あはは、五百足、オレは生まれつき、人よりちょっと力持ちみたいなんだ。
オレと同じって目指すと、苦労するぞ。」
「真比登は
オレも鎮兵になりたい!」
「お、それは良い考えだな。
おまえがよーく勉強して、強くなって、オレを支えてくれたら、オレも嬉しい。
まだこの年齢じゃ早いから、大きくなったら、な。」
「うん!」
五百足は炊屋に戻り、小鳥売に、
「もう、親父はここに来ないと思う。
オレたちは、あいつから自由になったんだ。
もう、安心して良いんだ。」
と言うと、小鳥売は五百足を見て、無言で顔をくしゃっと歪め、
「…………。」
静かに涙を流した。
「オレ、大きくなったら鎮兵になる!
真比登と一緒に働くんだ。
強くなるよ。」
(そして、どんな悪者が来ても、小鳥売を守れる
オレが、新しくみつけた夢を興奮しながら話すと、小鳥売は笑ってくれた。
「うん。
その日は、気持ちが昂って、なかなか寝付けず、遅くまで小鳥売と語らった。
親父は二度と、五百足たちの前に姿を現さなかった。
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