第二十二話  あたしを守る為に生きると

 真小薦まをごもの  ふし近くて


 はなへば


 おき真鴨まかもの  なげきぞがする



 麻乎其母能まをごもの  布能知可久弖ふしのまちかくて

 安波奈敝波あはなへば

 於吉都麻可母能おきつまかもの  奈氣伎曽安我須流なげきぞあがする





 真小薦まをごもの編み目のように、あなたと近くにいるのに、逢う事がかなわない。

 あたしは沖の真鴨まがものように、ため息をついて嘆いてますよ。





 ※真小薦まをごもは、イネ科の多年草のこもこもむしろ(つまり、草で編んだ、かけ毛布)の編み目の間近いことと、あなたと距離が近いことを掛ける。

 ※鴨は水中から浮かびでて息をつく。

 ※この逢うは、逢瀬おうせ共寝ともねのこと。




     万葉集  作者不詳






    *   *   *






 真比登まひとは……。真比登さまって呼ぶべきでしょうが、この呼び方でずっと過ごしてきてるので、真比登と呼ばせてください。

 真比登は、あたしの命を救ってくれました。

 詳しくお聞きになりたいですか?

 わかりました。



 あたしは、八歳で、母刀自ははとじの再婚相手に、奴婢ぬひとして売り飛ばされ、市に立たされました。



 

 あたしの実の父親が黄泉渡りし、母刀自が再婚した相手は、酔っ払って暴れるのが好きで、ケチでした。

 その再婚相手には、十三歳の息子、五百足いおたりがいました。


 ───黄泉渡りした前妻さきのつまのかわりに、五百足いおたりの世話をしろ。その為に再婚したんだ。しっかり働け。


 と母刀自とあたしに偉そうに言い、自分と息子の五百足いおたりにだけ、たっぷりご飯を出させ、あたしと母刀自には、


 ───大喰らいめ! おまえらの食事の量は半分にしろ!


 と言ってくるおのこでした。

 役人で、家に銭がないわけじゃないのに。

 あたしは、そんな再婚相手になつけるわけがなく、


 ───あんたなんか親父じゃない!


 と何回も口にしました。

 母刀自に、なんでこんなおのこと再婚したの、と訪くと、


 ───だって、裕福だったのよ。


 と母刀自は泣きました。

 あたしは八歳でも、口は一人前、黙っている事はありませんでした。随分口汚く再婚相手を罵りました。

 再婚相手は、次第にあたしを殴ったり、食事をさせないようになりました。母刀自が逆らうと殴って言うことをきかせました。


 義理の兄、五百足いおたりは、あたしと母刀自をかばってくれました。


 ───親父、やめてくれ、家族じゃないか、オレの万々妹ままいも(異母妹)だ! 


 とあたしに覆いかぶさって叫んでくれた時は嬉しくて、二人一緒に蹴られてる間、あたしは五百足いおたりの手を握り、離さなかった事を覚えています。


 五百足いおたりは二人きりの時に、


 ───秘密だよ。オレの本当の母親は、親父は死んだ事にしてるけど、出ていったんだ。

 オレは母親を守れなかった。だから、小鳥売と新しい母刀自は、オレが守る。


 と手を握ってくれました。

 わらはの頃から、優しい人だったのです。


 ご飯を抜かれたあたしは、痩せ細りました。空腹で寝ワラから起き上がる事ができなくなった頃、ごめんね、と言い残した母刀自が、唐突に、いなくなりました。

 再婚相手が、


 ───ちっ、また逃げたか。女童めのわらはは、こんなんじゃじきに死ぬな。

 死ぬ前に銭をかせげ。


 と言い、あたしは五百足いおたりの留守中に、家にきた人買いに売られました。

 あたしはその頃、立って歩くだけで、ふらふらで、抵抗ができなかったのです。

 市で立たされ、立ち続ける事ができず、すぐしゃがみこむあたしに、人買いはムチをくれました。

 そこに人垣を割って、五百足いおたりが駆けつけてくれました。

 沢山歩いて、あたしを探してくれたのでしょう。よろめきながら、泣きながら、


 ───やめてくれ! やめてくれ! 


 とあたしを抱きしめてくれましたが、奴婢ぬひ売りの市を守るならず者に殴られそうになりました。そこを、


 ───わらはを殴るな。


 と、ならず者の手を止めたのが、真比登だったのです。

 ……真比登は、その時、二十歳でした。

 五百足いおたりは、


 ───お願いです。親切な益荒男ますらお。この子を買ってください。こんなに細いんじゃ、誰も買ってくれないでしょう。

 誰にも買ってもらえなければ、この子は……、夜を越せない!


 とあたしを抱きしめながら泣き、真比登に懇願しました。

 たしかに、あたしはボロボロで、翌朝まで命が持ちそうもないな、とどこか冷静に思ったことを覚えています。

 真比登は自分の顎に手をあて、困惑しているようでした。


 ───オレもこの子と一緒に、あなたのところに行きます。オレが、この子の仕事の分、全部やります! 何でもします! お願いです。


 五百足いおたりが重ねてそう言いました。

 真比登はしゃがみ、五百足いおたりに抱きしめられたあたしと目をあわせ、真剣にあたしを見ました。


 ああ、疱瘡もがさがある、怖い。


 と思いましたが、あたしはこのまま今晩にも死んでしまいそうなのに、えやみもへったくれもないわ、と自分の考えがおかしくなりました。


 真比登は笑って、あたしを人買いの言い値で買ってくれました。


 





 五百足いおたりは父親を捨て、家を捨て、あたしを守る為に生きると言ってくれました。

 真比登の家で、あたしは回復し、あたしは一人で家事を全て任されるようになりました。

 真比登は、


 ───働きだからって、遠慮することはない。この家の事は任せる。足りない鍋があったり、欲しい食材があったら、市で好きなものを、好きなだけ交換してくれ。


 と言ってくれました。

 多賀郷たがのこほりの家は、真比登と、五百足いおたり、あたし。ずっと三人で住んでいます。


 ……佐久良売さま、お聞きになりたい事はわかります。

 真比登は、おのことして、あたしの弱い立場につけこもうとした事はありません。

 ただ一度だけ……、肝を冷やした事があります。

 これから、そのお話をします。




 あたしが十三歳。国の決まりでは、婚姻ができる年齢。

 五百足いおたりは鎮兵になりたてで、夜の警備で、家を留守にした日。

 家事が終わり、さあ、寝ようと思ったら、真比登が、


 ───浄酒きよさけが呑みたい。


 とからの酒壺を持って、あたしが住んでいる炊屋かしきやに現れました。

 そんな事は初めてです。

 炊屋には浄酒きよさけをいつも切らさないようにしているので、あたしはすぐに酒壺に浄酒を満たしました。

 夜遅く、炊屋で真比登と二人きり。

 あたしを見る二十五歳の真比登の様子が、いつもと違う、なんとなく怖い、と身がすくんだ事を覚えています。

 真比登は、


 ───五百足いおたりを恋うてるのか。


 と訊いてきました。あたしは、


 ───はい。


 と真比登の目を見て答えました。

 あたしは、五百足いおたりを、兄として慕っているだけでなく、おのことして恋うています。


 ……若大根売わかおおねめ、叫ばないで。あたしの片思いなんだから。


 真比登はうなずき、


 ───五百足いおたりは鎮兵だ。これから、危険なこともあるだろう。もし、五百足いおたりが死んだら、オレを恨むか?


 と暗い表情で訊いてきました。


 ───いいえ。人の生き死には、神様の決めること。恨みません。あたしの親父は、川の氾濫に呑まれて黄泉渡りしました。でも、あたしは、誰も恨みません。それが親父の教えだからです。


 あたしは正直に答えました。真比登は、


 ───そうか。わかった。小鳥売、ここにずっといてくれ。この炊屋かしきやも、この炊屋に置いてある品物も、全部、おまえにやるよ。夜に邪魔したな……。


 と帰っていきました。




 佐久良売さま。

 あたし、思うんです。きっと、真比登は、あたしが多賀たがの家に来る前に、誰かと、何かがあったんです。


 だって、あたしと五百足いおたりが真比登に救われて、多賀たがの家に来た時、暮らしてるのは、真比登一人だけでした。

 でも、炊屋かしきやには、ちょうど四人分の食器があって、つい最近まで使われていた大人数用の鍋もありました。

 清潔でたっぷりの寝ワラも敷いてありました。


 あたしは、この事は真比登に訊けていません。

 佐久良売さま、どうぞ、あたしと五百足いおたりが真比登に拾われる前に何があったのか、真比登に訊いてください。

 きっと、佐久良売さまが知るべき事なんだと思います。



 まあ、佐久良売さま自ら化粧してくださるんですか。

 紅を顔にのせるのは初めてです。緊張する……。

 


 ……五百足いおたりは、今まで誰か恋仲の女を作ったことはない、はずです。


 ……五百足いおたりは優しくて、頼りになって。

 いつも穏やかにあたしに微笑んでくれます。

 そんなところに、恋してます。

 五百足いおたりは、あたしを守る為に生きると言ってくれました。

 あたしも、五百足いおたりがいてくれるから、何でも頑張ろうって思えるんです。

 これから先、誰かのところに嫁がされたくなんてありません。

 あたしは五百足いおたりの妻になりたいんです。


 ……くすくす、若大根売わかおおねめ、何それ?

 ふひゃおびゃ───っ、て、真似できないわ。くすくす……。


 あたしは、そう思ってるんですけどね。

 あたしと五百足いおたりは、仲が良い本当の兄妹みたいなんです。

 多賀たがの家では、同じ炊屋かしきやで寝てるし……。


 若大根売わかおおねめ! はしゃがないで。

 百姓ひゃくせいの家族なら当たり前の事よ?

 寝わらのはじとはじで離れて寝てるんだから、何もやましい事はないのよ。

 五百足いおたりは、あたしの事を常日頃、


 ───万々妹ままいも(異母妹)だから。


 と言うの。

 血はまったく繋がってないのに!

 はあ……。こんな調子で、真比登に拾われてから、八年もたってしまったわ。

 あたしもう、十六歳よ。

 五百足いおたりから恋うてると言ってくれないかなってずっと待ってるのに、一向にその気配がないの。

 そんなにあたしに魅力がないかバカヤローッ!


 あっ、こほん。

 佐久良売さま、失礼しました。

 真比登と五百足いおたりが、桃生柵もむのふのきの戰に、何年かかるかわからないが行くことになった、と聞いて、あたしは絶対一緒に行く、と言いました。

 真比登は苦笑して許してくれました。


 桃生柵もむのふのきに来てから、前より五百足いおたりの顔を見る機会が減って、恋しさが募って。

 あたし、待ってるだけじゃ駄目なのかなって真比登に相談したんです。

 そしたら、真比登が佐久良売さまにこのようなお願いを……。

 佐久良売さま、ありがとうございます。

 あたし、告げなむ、頑張ります。



 待ってろよぉー! 五百足いおたりー!



 








 ↓挿絵です。

 https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093076213563530





   *   *   *




 著者より。


 少しわかりにくいので、真比登の経歴をざっと整理します。


 ●真比登は十二歳まで、小田郷おだのこほりで、家族で暮らしていた。

 ↓

 ●自分以外の家族が全員、疫病で死んで、真比登は疱瘡もがさのせいで小田郷の人から爪弾きにされ、ここで生きていくのは嫌だと、小田郷を出る。

 ↓

 ●鎮兵ちんぺいとなり、多賀郷たがのこほりで、、つまり真比登+三人で暮らしていた??

 ↓

 ●桃生柵で戦がおこったので、多賀郷から桃生柵もむのふのきに、兵士が移動させられた。(今ここ)

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