第四十五話  疾く駆けよ真比登

 スプセの郷で、アテリイから、


「泊まっていけ。」


 と言われて、みなもとが、


「ん!」


 と声をあげた。真比登まひとが顔をしかめる。


「なんだ源。失礼だぞ。」

「申し訳ありません、真比登。ただ、泊まるのはやめましょう。オレ、真比登に言う事があるんです。」


 突然あらたまった言葉遣いになった源に、真比登は面食らう。


「……わかった。我々は、これで帰る。おそらく、オレはもう、ここには来ないと思うが、くれぐれも意弥戸いみべを頼む、アテリイ殿。話をしてくれて、ありがとう。たたら濃き日をや(さようなら)。」


 源も同様に挨拶し、アテリイも頷き、挨拶を返す。

 想い人の形見、首にかけた白い貝殻の首飾りを、ぐっと握りしめた意弥戸いみべが、


「イヤイライケレ───!(ありがとう)」


 と大きな声で、真比登と源の背中を見送ってくれた。

 その声はいつまでも、森と川にこだました。




    *   *   *




 馬上で、真比登は源に、


「なんだ、言う事って。」


 とうながした。


「はい、一昨日、戰の最中、一人の日本兵が、蝦夷えみしが使う吹き矢の筒を口元に当てていたように見えたんです。

 口元から手を離した後、ちらっと笑っていたように見えました。

 その時は、何やってるんだ、というか、オレも戦闘中だったので、あまり気にとめてなくて、忘れてたんですが、思い返すと、真比登が倒れた時間と、同じ頃合いだったと思います。

 それを五百足いおたりに言ったら、オレは軍監ぐんげん代理でここを離れられないから、真比登に言ってこいって言われたんです。」

「おまえ……、もっと早く言え、バカッ!」

「申し訳ありません。」


 源は馬上で、頭を下げた。


「どんなヤツだ?」

「ちょっと変わった顔立ちでした。顔の左半分が、下に作られているというか……。でも、どこの団の日本兵かまでは、わかりませんでした。」

「わかった。」


(……オレを姑息な手段で狙う奴、か。)


 嶋成は、違う。

 ……佐久良売さくらめさまは、今まで、五回、縁談して、五回目は、賊の襲撃のせいだろうが、すべて、火事が起きている。

 付け火の犯人が、まだ、桃生柵もむのふのきに潜んでいるとしたら……。

 犯人が、佐久良売さまに執着してるとしたら……。

 オレはこの数日、佐久良売さまの傍に良くいた。

 吹き矢の犯人と、付け火の犯人は、同じ奴ではないのか。

 今、佐久良売さまは深い眠りについている。

 佐久良売さまは、危ないのではないか。


「クソッ! 急いで桃生柵もむのふのきに帰るぞ!」

!」

「はいやぁっ!」


 真比登は麁駒あらこまの手綱をぱんと打つ。麁駒あらこまは、真比登の願いに答え、素晴らしい脚力を見せてくれる。


(頼むぞ麁駒あらこまく駆けてくれ。)





 *   *   *






 佐久良売さまの部屋の前に早足で向かうと、簀子すのこ(廊下)に倒れ、動かないおのこがいる。


嶋成しまなり───!!」


 嶋成の左脇腹には傷があり、血溜まりを簀子すのこに作っている。

 真比登は走り、


「源、嶋成を見ろ!」

!」


 嶋成を源に任せ、佐久良売さまの部屋に走り込んだ。妻戸つまとそばに若大根売わかおおねめがあおむけに倒れている。

 ざっと部屋のなかを見る。

 若大根売わかおおねめ以外に人はない。

 気配もない。

 寝床に近寄る。

 ……寝床は冷えている。


「クソッ! やられた! 畜生!」


 真比登はすぐに若大根売わかおおねめの傍に行き、抱き起こし、


「おい、おい!」


 と声をかける。外傷はない。おそらく気絶させられたか……。

 源が簀子すのこから、


「嶋成、生きてます。意識がありません! 左脇腹に刀傷。傷は大きいですが、浅いです。それ以外は大きな怪我はありません。医務室へ連れていきます!」


 と言う。


「頼む。」


 若大根売わかおおねめが、うう、と声を漏らしながら、目を開けた。


「大丈夫か? 何があった? 佐久良売さまは?!」

「……あ、う……。」


 若大根売わかおおねめはキョロキョロとあたりを見て、からになった寝床を見て、ひっ、と声を呑み込んだ。


「何があったか話してくれ。」

「……はい。副将軍殿からのお使い、というおのこがやってきて、妻戸つまとを開けたら、知らないおのこで、何か変な感じがして……。そしたら、道嶋みちしまの宿禰すくねの嶋成しまなりさまが来てくださって……。あたし、は……、その賊に気絶させられたんだと思います。」


 そこで若大根売わかおおねめは涙ぐんで震えた。


「大丈夫だ、女官殿、ここには今、賊はいない。佐久良売さまは?」

「……わかりません。」

「賊はどんな奴だった?」

「中肉中背、年齢は二十歳ほど、よろいはなく、藍色の衣。顔立ちが……、なんというか、左側がきゅっと下がっている顔立ちです。」

「一人か? 賊は何か、言ってなかったか? 行き先を……。」

「一人のようでした。……すみません、行き先は何も……。聞いていません。」

「…………。」


(連れ去ったヤツ、許せねぇ! 串刺しにしてやる! 佐久良売さまに触れてみろ、容赦はしねぇ、クソッ!)


 真比登のなかで赤黒い怒りが渦をまく。どくどくと全身の血潮が熱く滾り、体を震わせる。

 駄目だ、これでは。

 冷静になれ。

 冷静にならなければ、見えるものも見落とす。考えろ、真比登。



(…………佐久良売さま、どこだ?!

 東西南北、せめて探す足がかりが欲しい!

 佐久良売さま。必ず救い出す。無事でいてくれ……!)





   *   *   *




 佐久良売は目を覚ました。


(?)


 見知らぬ場所、粗末そまつで狭い板張りの家、たっぷりのわらの上に寝かされ、手を後ろ手にいましめられている。足もだ。荒縄でいましめられている。

 無人。

 佐久良売は二十三歳まで生きてきて、このような貧しそうな郷人の住まいに足を踏み入れた事はない。


(おかしい……。あたくしは……。真比登の部屋にいたはず。たしか、ううう、だか、おおお、だか、耳障りな音が聞こえて……、駄目だわ。それから、さっぱり覚えていない。)


 手足を縛められている、という事は、悪い想像しか浮かばない。

 佐久良売は時間をかけて身体をおこし、藁の上に座った。


「誰か───ッ! 誰か来やれ───ッ!」


 大声をだしたが、人の気配がない。

 ざわざわざわ……、板張りの壁の隙間から、外の木々の梢が揺れる音が重なって聞こえる。

 ここは森の中なのかもしれない。


 ザッ、ザッ、足音が建物の外からし、バン! と勢いよく戸が開かれた。外から入る日光が眩しい。


「あ、起きたね。」


 聞き覚えのないおのこの声がした。逆光で顔が良く見えない。

 おのこが佐久良売に近づく。やっと逆光が外れた。

 知らないおのこ

 そのおのこは、左右対称の顔ではなく、左側がねじれたように下方向にひっぱられている顔立ちだった。




      *   *   *




 ※著者より。

 あまり源を責めないでやってください。

 死者の魂が、真比登の強さと優しさをたいそう気に入っておりまして、真比登が直接イムンペを護衛して、安全なところまで送り届けてほしい、と願っていました。

 源が「真比登、吹き矢を日本兵が。」と報告すると、真比登は警戒して桃生柵もむのふのきから出なくなるので、死者の魂が、源の意識に、報告しないように仕向けていました。

 無事イムンペがスプセの郷に受け入れられた、と判断した時点で、死者の魂はその操作をやめ、いきなり意識のもやが晴れた源は、びっくりしつつ、己の失敗を悟り、丁寧口調になりました。



 

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