第三十四話  米菓子が食べ終わりません。

 都々自売つつじめは、真比登まひとにむかい、真剣な顔で話しだした。


「お姉さまは縁談のたび、相手のおのこに好かれるどころか、嫌われるような、高圧的な態度を何故かとるそうです。

 いろんなお相手を父上が見つけてきましたが、全員にそうでした。

 まるで、自分に恋をするな、そう威嚇いかくしているような態度だそうです。

 お姉さまは、あたくしや、塩売……、あたくしの女官から、恋の話を聞くのは好きですが、お姉さま自身の恋の話となると、貝のように口を閉ざし、けして話してくださいません。

 なぜかはわかりませんが、心の扉をかたく閉ざして、おのこは誰も心に住まわせないと、お姉さま自身が決めてしまわれたのでしょう。

 ですが、あれは一昨日のこと……。」


 そこで都々自売つつじめがふと微笑んだ。


「例え話に、はじめて乗ってくれました。好みのおのこをあげるなら、馬上でいだかれたら腕の力強さを感じる男。

 怖くない、と言ってくれる男。

 花束をくれる男。

 領巾ひれに口づけをしてくれる男。

 例え話にしても、ずいぶん具体的ね? 

 まさか、誰かお姉さまに、実際にしたのかしら? こんな大胆な事を……。」


(!)


 真比登まひと心臓しんのぞうが強く、ドッ、と脈打った。


(それはオレだ。領巾ひれに口づけなど、オレ以外考えられない。)


 この身分の高い初対面の郎女いらつめの口から、自分が佐久良売さくらめさまにしでかした数々かずかずを聞かされると、死ぬほど恥ずかしい。

 真比登まひとは真っ赤になった。のみならず、汗が湯気となって吹き出てきそうなほど、一瞬で発汗した。

 その様子を、都々自売つつじめは悪戯が成功したわらはのように、満足そうに見た。


「明らかね。あのね……、昨日、お姉さまが泣いたのも、騙された屈辱だけじゃないと思うの。

 きっと、あなたは初めて、お姉さまの心の扉の取手に、手をかけられたおのこなのよ。

 そんなおのこが、始めから縁談に身代わりを立て、騙していたなんて。

 許せませんし、残念です。

 お姉さまの心の傷は、計り知れません。

 でもね、こうも思うのよ。

 もし、真実、いも愛子夫いとこせ(運命の定めた恋人)なら、あらゆる障害の波をかぶっても、いずれは鳳凰于飛ほうおううひ(空想上のおおとりの、オスとメスが一緒に仲良く空を飛ぶ。)の夫婦めおとになれると。」


 そこで都々自売つつじめはパチリと片目をつむり、


「穢れを避ける時期をすぎたら、あたくし、疱瘡もがさ持ちが義理の家族になっても、避けたりしないわ。だから頑張ると良いわ。」

「えっ?!」


 真比登まひとは驚いた。

 もう何を言われているのか、言葉は耳に入ってきているはずなのに、頭がまったく理解してくれない。

 真比登は真っ赤な顔で狼狽うろたえ、


「あわあわあわ。」


 と言った。

 都々自売つつじめはこほん、と咳払いをし、真面目な表情になった。


「話はこれで終わりではないわ。覚えておいてほしい事があるの。

 お姉さまは、これまで五回、縁談をしているけど、そのうち、四回、当日に火事が起こっているの。

 残り一回は、軍監ぐんげん殿の縁談の日。あれは賊の襲撃のせいでしょうけど、それをいれると、五回。」


(なんだ、その火事の数の多さは。)


「そんな……、あり得ない。」

「事実よ。」


(まさか、付け火……?)


「どんな火事だったんですか?」

厨屋くりやから出火したり、倉が燃えたり、うまやに火がおこったり、腐渣ふさ(この場合は野菜くずなどの調理ごみ)置き場が燃えたり、場所は様々よ。

 規模も、そんな大きくないの。

 でもね、必ず、縁談が行われる、夜の時間に火事がおこるの。

 偶然にしては、誰かの悪意を感じるわ。」


(そうだ。偶然とは考えにくい。)


 真比登まひとは嫌な予感で、ぐらぐらと血が沸き立ってきた。


「心あたりは……?」

「ハッキリとは……。ただお姉さまは、これまで縁談のお相手を断る時、なかなかひどい断りかたをしてきたそうなの。もしかしたらそれで……。」


 真比登まひとの目が剣呑な光りを帯びる。


「一番ひどかった奴は?」

「一番始めに、縁談をなさった方よ。

 縁談の最中に、料理の入ったお皿をお姉さまから顔面に投げつけられて、激怒して帰っていかれたそうよ。

 貴族の息子、我々豪族より位が上のお方だから、きっと誇りが大きく傷ついたと思うわ。」


 都々自売つつじめはため息をついて、指を折り数えた。


「残りの三人の方は、もう、別のおみなと婚姻してしまわれたそうよ。」

「その貴族の息子の名前は?」

正四位上しょうしいのじょうの陸奥国みちのくのくにの大国造おおくにのみやつこの道嶋みちしまの宿禰すくねの嶋足しまたりさまの息子、嶋成しまなりさまよ。」




    *   *   *




 真比登まひとは駆けた。

 六千人の兵が移動するなか、伯団はくのだんの持ち場に真比登まひとは到達した。


「嶋成───ッ!」


 響神なるかみ(雷)のごとく名を呼んだ。

 声の大きさに、まわりの兵がぎょっとして足を止める。しかし、応答する声はない。


道嶋みちしまの嶋成しまなりはどこだ!!」


 嶋成ではなく、金ぴか挂甲かけのよろいの副将軍、大川さまが、従者を伴い、人垣ひとがきから現れた。


「真比登。遅かったな。軍議の内容は五百足いおたりに聞けよ。」


 真比登まひとは気がたっている。大川さまの長閑のどかな口調にイライラとする……。

 だが、次の言葉を聞いて、目をいた。


「そうだ、嶋成しまなり……。

 今朝言いそびれたが、おまえ昨日、浄酒きよさけを呑んだな? あれは道嶋みちしまの嶋成しまなりのお父上からの差し入れ、浄酒きよさけ五百壺だ。息子をよろしくとのことだ。少し気にかけてやれよ。」


 なんでもないように、そんな重要な事を言う大川さまに、真比登まひとは怒りが湧いた。

 両肩をつかみ、言葉を叩きつける。


「嶋成の父親が貴族だなんて知らなかったぞ!

 なんで貴族の息子が、富民とみん(金持ちの郷人)にまじって軍にいるんだ! あり得ないだろ!」

「本人が桃生柵もむのふのきを守る進士しんし(志願兵)になりたいって、親の反対を押し切って入団してきたからだ。

 道嶋宿禰みちしまのすくねである事は黙っていてほしい、ただの道嶋みちしまの嶋成しまなりとして扱ってほしい、と……。」


 真比登まひとは血がのぼって、顔が真っ赤になった。手をはなし、


五百足いおたり───!」


 呼ぶと、ひょっこり五百足いおたりが顔を出した。真比登まひとの愛馬、麁駒あらこまの手綱と、自分の馬の手綱を持っている。


「どうしました?」

道嶋みちしまの嶋成しまなりはどこだ!?」

「え? 新入り? 今日は……見てませんね。おい、誰か見たか?」


 皆、首をかしげる。

 そのうちの一人が、


「多分、非番じゃないか?」


 と言う。真比登まひとは、


「クソッ。」


 と吐き捨てる。

 ざわざわ、と一の輝慕門きぼもん(南門)から騒ぎがおこり、伝令兵が真比登まひとのもとへ駆けてきた。


小田団おだのだん大毅たいき熊手くまてさまより伝令!

 南の平原へ、増援願う! 強い賊有り、軍監ぐんげん殿の支援をこいねがう!」

「……!」


 真比登まひとは、ぎり、と奥歯をかんだ。

 額には青筋が浮かび、鬼神のような憤怒の表情をしている。近くにいた兵士に、


汗志うし、道嶋嶋成を探せ! 見つけたら、オレのところへ連れてこい。抵抗したらふんじばれ!」


 と怒鳴るように言いつける。汗志うしは、


!」


 と頷き、引き返し、人波ひとなみに消えた。真比登まひと麁駒あらこまへひらっとまたがり、


「騎馬兵、騎乗! 輝慕門きぼもんを抜ける! ついてこい!」


 疑念と怒りを振り切るように、風のごとく、南門へむかい駆けてゆく。




    *     *    *





 その頃。

 佐久良売さくらめは、たった一人、医務室へ向かい、桃生柵もむのふのき内の木立の道を歩いていた。

 頬からは涙がつたっている。


(涙が止まらない……。どうしよう。)


 早く、医務室へ行かねば。

 なのに、足が重く、のろのろと歩いてしまう。


 心が虚ろのがらんどうだ。


(そんなに……、あのおのこに裏切られ、傷ついたのか、あたくしは……。)


 騙された。許せない。酷い。もう嫌い。


 そう思うのに、なぜか、あのおのこの顔を、思い浮かべてしまう。

 悲しそうな顔を。


 そう。あの縁談の場で、さみしいぞ、とのつぶやきが聞こえたあと。怒りのまま振り返ったら、あの男は、とても悲しい顔をしていたのだ。

 助けられた帰り道、馬上で目があった時も。

 若大根売わかおおねめにジロジロ顔を見られて、うつむいた時も。


 深い悲しみを、その顔に浮かべていた。


 あれも。


 佐久良売さくらめの手を握って、怖くない、と言ってくれた時の真剣な顔。


 あれも。


 佐久良売さくらめがからかったら、顔を赤くしたり、青くしたりしていた。


 あれも。


 全部、偽りだったの?


 そんなの悲しい、やるせない。


(あれは偽りじゃない……。)


 そう思いたい自分がいる。

 なんでだろう? どうして、こんな酷い裏切りをした相手のことを、まだ、信じたいと思うのだろう?

 あんなおのこのことなんて、すっぱり忘れてしまえ。

 そう思うのに。

 一兵士だろうが、本当は軍監ぐんげんだろうが、怪我をして医務室に来ないかぎり、豪族の娘である佐久良売さくらめが、もう会うことはない。

 もう二度と会うことはないのだから。

 そう思うのに。


 涙がでる……。


 駄目だ、こんな顔では。今日も、負傷兵が待ってる。医務室で、頑張らなくては。桃生柵もむのふのき領主の娘が、泣き顔なんてさらせるものか。

 しっかりしなさい、佐久良売さくらめ


「うっ……。」


 佐久良売さくらめは小さく嗚咽を漏らしながら、ぱん、と己の右頬をうった。

 足りない。

 まだ涙が止まらない。

 ぱん。

 反対の頬も打つ。

 まだ。

 再度、右頬を打とうとしたが、その右手首を掴む手があった。


「あっ!」


 佐久良売さくらめが驚き、右に振り向くと、そこには鷲鼻の目立つおのこ道嶋みちしまの宿禰すくねの嶋成しまなりが、佐久良売の右手首を捕らえて立っていた。










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