第二十九話  貔貅 〜ひきゅう〜

 背の高い大川おおかわと、その従者、三虎が、息を切らして、人垣を割った。


佐久良売さくらめさま、もとはと言えば、この私、副将軍である上毛野君かみつけののきみの大川おおかわがこのおのこを推したのですよ。」


 大川は容姿端妍たんけん(端麗で美しい)のおのこ。柔らかく微笑むだけで、歩くおみなは立ち止まり、老いも若きも、ほう、とため息をつく美貌である。

 その大川が、佐久良売さくらめを落ち着かせようと、意識して微笑みかけるが、ぎろり、と地獄の鬼もかくや、という一べつ佐久良売さくらめからうけた。


 ぎくり、と大川がひるむ。

 だが、ごく、と一回唾を呑みこんだだけで、立て直し、理知的な笑みを顔に浮かべ、穏やかな物腰で話しはじめる。


郎女いらつめのお父上は、妻子、吾妹子あぎもこがいない事が、絶対の条件とおっしゃっていました。

 今日び、おみなのほうから、そのような条件をつける事は、なかなか珍しいのですよ。

 その条件を満たした上で、このおのこは、智、信、仁、勇、厳、全てを兼ね備えた、類まれな武将です。

 その仁慈じんじは広く人の知るところであり、このおのこの武勇は私も頼りにするところです。

 しかし、顔に疱瘡もがさがある事で、自らを卑下し、おみなから逃げ回る始末。

 だから今回、縁談に代理をたてたのも、相手があなただったからではない。相手が誰でも同じ事だったでしょう。

 私は歯がゆいのです。真比登まひとはもっと幸せになって良い。私のおせっかいのせいで、あなたに恥をかかせてしまった事、陳謝します。

 ただ、こいつが自分を恥じ入っての愚行である事だけ、ご理解いただきたい。」

「もうけっこう!」


 佐久良売は大川の頭のてっぺんから、赤紫蘇水あかしそすいをビシャア! とひっかけた。


「!」


 爽やかな紫蘇の香りがぷんと匂い立ち、赤い水まみれになった大川は、たいそう驚きつつも言葉が出ず、ひくひく、と頬を引きつらせた。


 左手だけ、大川をかばう事が間に合った三虎が、遅れて佐久良売さくらめと大川の間に割って入った。

 佐久良売さくらめはその従者を睨みつけ、からになった土師器はじきかめを、足元に勢い良くぶつけた。


 ガシャン!


 土師器はじきが粉々に砕け、再度、赤紫蘇水あかしそすいの匂いが濃く香り立つ。

 佐久良売さくらめの目から、たまらず涙がこぼれた。怒りで真っ赤に歪んだ顔に、あとからあとから、涙が流れる。


(悔しい。)


 騙されたのも悔しければ、豪族の娘の泣き顔を衆目にさらすのも悔しい。


 佐久良売さくらめは、神妙な顔で事の成り行きを見守る聴衆を、ぱっと睨みつけ、良く聞こえるように声を張り上げた。


「皆であたくしを騙して、笑いものにしていたのね!

 さぞや良い酒のさかなになったでしょう!」


 その言葉に、真比登まひとが鞭打たれたように背すじをのばした。




    *   *   *



 真比登まひとは激しい悔恨と混乱のなかにいた。

 目の前で、佐久良売さくらめさまが泣いている。

 怒っている。

 傷ついて。

 恥をかかされて。


 そうさせたのはオレだ!


 こんなの望んだ事じゃない。傷つけたかったんじゃない。違うんだ。本当に恋うているんだ。心から恋うているんだ。オレの天女。


 どうすれば良い。

 どうすれば、あざむかれた心の傷をすこしでも癒せる?

 どうすれば、傷つけられた誇りを、すこしでも回復できる?


 一番、オレにできる事をしろ!



   *   *   *



「ちがう、そんな事はない、オレは、オレは、佐久良売さくらめさまを妻にしたい!」


 真比登まひとは大声でハッキリと言った。


 わあ。

 妻問つまどい(プロポーズ)だあ。


 とまわりがどよめくのと、佐久良売さくらめが足元に置いていた木桶を真比登まひとの顔にむかってぶん投げたのは、同時。

 木桶は命中し中身の握り飯がぶわっと広く散乱し、真比登は、倒れた。

 佐久良売は身体を前に折り、力のかぎり大声を出せる体勢になり、


「玉のえね!(死ねバカ)」


 喉がさけるほど叫び、わああ、と泣き声をあげながら走り去った。

 若大根売わかおおねめがぼろぼろと泣きながらその後をついていこうとし、くる、と踵をかえして大川ににじりよった。


「お恨み申し上げます。副将軍殿。佐久良売さまが朝から摘んだ紫蘇で作った赤紫蘇水あかしそすいと、お手ずから握った握り飯だったんですよ。あんまりです!」


 それだけ言うと、


「佐久良売さま、佐久良売さま!」


 と名前を呼びながら、さっと駆け去っていった。

 大川は、まだ呆然としていたが、三虎に白い手布てぬのを渡され、顔をふき、頭をふるふると振った。


「……まさか、本当に井戸に身を投げたりしないよな?」


 三虎は困ったように無言でいる。


「身投げなど、間違ってもないように、ひそかにお守りしろ。」

「はい。」


 三虎は頷き、姿を消した。

 兵士たちはばらけて、後片付けを始めた。


「ああ〜、もったいねぇなあ。」

「うべなうべな。(そうだそうだ)」

「怖いおみなだったなぁ。」

「斬首じゃなかった。」

「あやうく氷魚ひをが塩漬けになるところだった。」

「怖ぇな。」

「うべなうべな。」


 など口々に、握り飯を拾う。


「うっ……、うっ……。」


 真比登まひとは地面にうずくまり、丸く小さくなり、米にまみれて、泣いている。

 五百足いおたりが米粒をとりながら、


真比登まひと……。」


 と声をかけているが、反応がない。

 大川は、


「皆の者、今夜の事は他言無用。郎女いらつめの名誉を傷つける話だからな。もし、話を漏らした者を見つけたら、即刻、首を伐る。いなか!」

!」


 と兵士たちに有無を言わさず了承させた。そしてダンゴムシのような真比登まひとを見、


「今は話せないな。私は着替える。う〜、べたべたする。」


 とすこし涙目になって、自分の部屋に戻っていった。風にのって、


「───はぁ、怖かった……。」


 というつぶやきが、大川の消えた方角から聞こえてきた。


「ほら〜、こういう時は呑むにかぎるよ、元気だせ、真比登よぉ。」


 と数人の兵士で、ダンゴムシの真比登を焚き火の側に移動させる。

 真比登まひとはまだ、


「うっ……、うっ……。」


 と泣き、皆から進められるまま、浄酒を呑む。

 呑む。

 呑む。

 べろべろに酔いはじめ、目がすわり、


「ううううう。」


 と唸りだし、おもむろに立ち上がり、近くのクヌギの木を拳で殴りはじめた。

 ガン!

 ガン!

 容赦なく拳は打ち込まれ、怪力に幹はしなり、葉はざわざわと揺れる。


「真比登……、悪い呑みかただぞ。」


 五百足いおたりがたしなめる。

 目のすわった真比登が、じろ、と五百足いおたりを見、いきなり、がっ、と右手で首ねっこをつかまえた。


「わっ!」


 と驚く五百足いおたりの口に、浄酒きよさけの壺をつっこんだ。


「ん〜!」


 と五百足いおたりは抵抗をするが、怪力の真比登まひとである。ふりほどけない。


 ぽん。


 酒壺が空になって、やっと解放され、できあがったのは、


「な、な、なにするんだよぅぅ〜、ぅひっく。」


 泣きっつら五百足いおたりである。

 このおのこ、いつも上手に、呑みすぎないよう酒を呑むが、実は酒が弱く、呑みすぎると、泣き上戸じょうごなのである。


「ひどいよおおぅ〜。うわああああん!」


 五百足いおたりが、おんおん泣く側で、真比登まひとは今度は、大きな岩を無言で蹴りはじめる。


「おい、足を痛める。やめろよ、真比登まひと。」


 と兵士が声をかけるが、真比登まひとに胸ぐらを捕まれ、ばきっ、と左顔面に拳を叩きこまれた。兵士は倒れた。


真比登まひと!」

「やべえ! 止めろ!」


 皆、顔色を変え、慌てて真比登まひとを押さえにかかるが、伯団はくのだん最強と謳われるおのこである。勢いが止まらない。


「オレ大川さま呼んでくる!」


 と韓国からくにのみなもとはその場を離れた。



   *   *   *




 夜着やぎに着替え終わった大川は、兵舎の部屋に、韓国源の訪問をうけた。


真比登まひとが酷い酒で、誰も手がつけられません。五百足いおたりも役に立ちません。助けてください! 大川さまじゃないと駄目なんです。」

「わかった。」


 と伯団はくのだん戍所じゅしょに向け走り出す。

 白い絹の夜着が闇夜にひらめく。


 大川と源が戍所につくと、庭の中央に、真比登まひとが赤い顔で座りこんでいる。

 手には浄酒きよさけ

 まわりには、十人ほどのおのこが、あざを作って倒れている。

 離れたところでは、五百足いおたりが大木を抱いてオイオイ泣いている。


「まるで貔貅ひきゅう(猛獣)だな、真比登まひと。酔いをさませ。」


 大川が秀麗な顔をひそめて、至極まっとうな事を言う。

 じろ、と大川を睨んだ真比登まひとは、すぐさま立ち上がり、浄酒きよさけの入った土師器はじきの壺を地面に叩きつけ、ぱん、と割り、土師器の欠片が飛び散るなか、大川に殴りかかってきた。

 大川は軽い動きでかわす。

 真比登まひとは酒の匂いをぷんぷんさせながらも、動きは、これで酔っているのか、というほど、早く鋭い。続けて拳打をくりだし、膝蹴り、肘打ち、蹴り、と技を放つ。その一つ一つに、当たれば大柄のおのこでも吹っ飛ぶ威力が込められている。

 高速の応酬。

 両者、止まらない。

 大川は木の幹が天にむかい伸びるように、背筋をまっすぐ保ち、足さばきは川の流れのように、するする、無駄なく動く。

 全てさばく。

 真比登まひとの攻撃が当たらない。

 大川の髪の毛上半分を結ったもとどりに、銀色の簪が、焚き火を映し輝き。

 髪の毛の下半分、胸下まで垂れたまっすぐの黒髪が、絹糸のようにさらさらと舞う。

 無駄のない美しい動き。

 まるで舞い。

 顔面狙いの真比登まひとの左拳を、ぐん、と蘭陵王らんりょうおうの動きで膝を深くしずめ、かわした大川が、


「はっ!」


 懐深く、低い姿勢から、真比登まひとの顎を掌底で鋭く打ち抜いた。


「良い一発、だ、ぜ……。」


 真比登はどこか満足そうな笑顔を浮かべ、仰向けに倒れた。

 沈黙。


「ふう。」


 汗をかいた大川が肩で息をつくと、


 おおおお〜。


 まわりから喝采と、拍手がおこる。

 韓国源がすかさず、


「ありがとうございます。大川さま。」


 と礼の姿勢をとり、感謝を述べた。大川は眉目俊秀びもくしゅんしゅうなる顔に優しい笑顔を浮かべた。


「いいさ。元はと言えば、私が種をまいたようなものだからな。呼びに来てくれてありがとう。ついでに、こいつを私の部屋に運んでくれ。」

「え?」

「こいつは、今夜、私の部屋で寝かせる。明日、軍議の前に話がしたい。」

「わかりました。」


 ここは戰場である。人を運べる荷車がある。源はじめ、何人かで、真比登まひとを荷車に載せ、大川の部屋へ向け出発した。

 その人影を見送った兵士たちは、


妻問つまどいまでしたのになぁ。」

「皆見てるなかで断られて……。」

「可哀想になぁ。」


 と、しんみりとした。







 大川は荷車には触らず、ただ先導をする。荷車を運ぶみなもとが、何を思ったか、じーっと、前を歩いてる大川の背中を見つめ、


「あの赤い水、乾くとどうなんの?」


 と大川の長髪に手を伸ばし、ギュッと握った。


「あっ、やめて! 触らないで! べたべたしてるんだよ! あれ蜂蜜入ってたんだよ! 夜じゃ髪の毛洗えないんだよ!」


 と振り返った大川は真剣に嫌そうな顔をした。


「えっへ……、ごめんなさい。」


 源はすぐに手を離し、愛嬌たっぷりの笑顔で謝った。


 皆で真比登まひとを大川の部屋の床に、ごろん、と降ろしたあと、大川はずっしり米の入った小袋を、一人一人に労賃として渡した。







 その頃、五百足いおたりは。


「うわーん、うわーん!」


 と大岩を抱いて、庭で泣き続けていた。


「しょーがねぇ。こっちも一発、やるか。」

真比登まひとよりかは殴りやすい。」

「うべなうべな。」



 その後すぐに、五百足いおたりの泣き声は消えた。








 さて、佐久良売さくらめを見守りにいった三虎は、まだ帰ってこない。







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