第二十八話  握り飯

 佐久良売さくらめは、殿に直接、縁談はなかった事と考えてほしい、婚姻したいなら、他のおみなを探してください、と言いに行く事にした。

 木簡もっかんより、直接のほうが、心が伝わると思ったからだ。

 殿伯団戍所はくのだんじゅしょにいるという。


 佐久良売さくらめはカツカツと鼻高沓はなたかぐつ簀子すのこ(廊下)に鳴らし歩く。

 後ろには、赤紫蘇水あかしそすいの入った土師器はじきを、両腕で抱えた若大根売わかおおねめがつき従う。


 幸い、蜂蜜をたっぷり入手できた。

 紫蘇を揉んで水につけると、綺麗な赤色になる。紫蘇をし取り、蜂蜜を足せば、甘酸っぱく、疲労が良くとれる飲み物となる。

 桃生柵もむのふのきの為に戦ってくれている兵士たちに、ぴったりの土産だ。


 都々自売つつじめに相談しに行ったのは、話を聞いてほしかっただけで、もともと、佐久良売さくらめはぼんやりと、この縁談を断るつもりだった。

 だから今朝、この赤紫蘇水を仕込んでおいたのである。


 ぴた、と佐久良売さくらめは歩みを止めた。


「そうだわ、厨屋くりや(厨房)へ行こう!」


 突然、思い立った。

 飲み物だけより、きっと、握り飯があったほうが喜ばれる。

 あの兵士は、握り飯を、あれだけ美味しそうに食べていたのだから……。


(握り飯をふるまい、その握り飯をあたくしが手ずから握ったのよ、と言ったら、あのおのこはどんな顔をするだろう?)


 きっと、照れて、また、


「もったいない事です、もったいない事です。」


 と繰り返すかもしれない。


(きっと、驚くわ……。)


「ふふ……。」


 佐久良売さくらめが思わず笑みをもらすと、


「なんですか? 佐久良売さくらめさま?」


 と可愛い若大根売わかおおねめが訊く。佐久良売さくらめは上機嫌に、


「なんでもないわよ。さ、厨屋くりやへ行って、握り飯を作るわよ。あたくしが握るんだから。」


 と女官を促す。


「はあ……。」


 若大根売わかおおねめは首をかしげる。

 佐久良売さくらめは握り飯を作れると知らないのか。

 ああ、采女うねめになってから、身につけた事だった……。


 厨屋くりやへついた。

 六千人の征討兵は自分達で自炊をするが、やはり厨屋くりやは忙しそうであった。大勢の女官──うす紫と浅葱あさぎの衣のおみなが忙しく行き来している。

 八つのかまどがあり、大釜おおがまがぐつぐつと湯気をあげている。

 カッカッカッ、とまな板を小刀で叩く小気味良い音が響いている。

 若大根売わかおおねめが、すっ、と厨屋くりやの奥に入っていき、くるくる、ひときわ良く動いている若いおみなを捕まえ、二言、三言、言葉を交わした。

 十代半ばであろうか?

 雀色の衣の若いおみなは、明るい笑顔で、ぴょこぴょこ、と入口で立つ佐久良売さくらめのもとに走ってきた。


郎女いらつめ、ようこそ。握り飯がお作りになりたいんですね?

 あたしは小鳥売ことりめ。さ、こちらへどうぞ!」


 と佐久良売さくらめ厨屋くりやへ招き入れた。若大根売わかおおねめがニッコリ笑顔で、


小鳥売ことりめはお喋りが大好きで、話してると楽しいんです。あたしと塩売しおめの友達なんですよ。」


 と言うので、


「はあ、なるほど……。」


 と佐久良売さくらめ小鳥売ことりめを見る。

 小鳥売ことりめは小太り……、と言ったら言いすぎだが、顔も体つきも、まるい。

 食べるに困らない女官とはいえ、贅沢に食事ができるわけではない。

 このようなふっくらした体形のおみなは珍しかった。

 雀色の衣も、女官のものではなく、百姓ひゃくせいのものだ。


桃生柵もむのふのきの女官……ではないわよね?」


 訊ねると、


「あはっ! そうです、違います。兵士つながりで、ここに置いてもらってます。やる事ないと、暇なので!」


 と明るく笑う。


「さ、握り飯、いくつ作りたいです? 具材は何にしましょう?」


 と小鳥売から訊かれる。


「ええと、伯団はくのだん戍所じゅしょへ持っていくのよ。」

「ふむ。五百!」


 佐久良売さくらめは、うっ、とその数の多さに、今さらながら尻込みした。


「もっと少なくても……、良いわ。」

「おや、喧嘩になりますよ。ま、いっか! 早い者勝ちでも。夕餉は別にあるんだし。」


 しししっ、と小鳥売ことりめは飾らず笑い、


「じゃあ、三百。そうね、梅干しの残りがここに……、あった! あたしは梅干しを細かく刻みます。二人は手を洗ってきてください。ねーえ、小竹売しのめ、炊いてたひえと米、こっちにもらうよ。悪いわね! 郎女いらつめのお願いなのさ!」


 と小鳥売が仕切りはじめた。

 佐久良売さくらめが握り飯を手慣れた様子で作ると、若大根売わかおおねめは、


「おお……。」


 と関心した。


「上手でしょ?」

「はい。とっても!」


 佐久良売さくらめ若大根売わかおおねめは、くすくす笑いあう。

 小鳥売は、楽しくお喋りしながら、他の女官にも、


「手伝って!」


 と声をかけ、あっと言う間に三百の握り飯を作り終わった。佐久良売さくらめは充分な謝礼を若大根売わかおおねめから渡させた。


 握り飯の入った大きな木桶きおけは、佐久良売が大事にかかえた。

 若大根売は赤紫蘇水あかしそすい土師器はじきを抱え、歩く。


 戍所じゅしょについた。兵士たちは戦から戻り、よろいを脱ぎ、ある者は談笑をし、ある者は夕餉ゆうげの準備に取り掛かっている。

 さっそく、


「なーっ、今度、剣を教えてくれよ! 強いの知ってるんだぜ!」


 という大きな声が聞こえてきた。


(あれはさまの声。でも、変ね。あんな甘えた口調で、剣を教えてくれ、って、軍監ぐんげんが口にするものかしら?)


 ちょっとの違和感。

 だが見過ごせない、と佐久良売さくらめは瞬時に感じ取った。

 佐久良売は顎をしゃくり、物陰に若大根売とひそんで、様子をうかがう。


 背の高いさまが、彼よりすこしだけ背の低い、ムスッとした顔のおのこの腕をつかまえて、駄々をこねるわらはのようにしている。


(なあに? 本当にわらはみたい……。いえ、十代のおのこに見える……。)


「いいだろー、教えてくれよ!」

「やらん! オレは大川さまの従者だぞ!」


 中肉中背の、新しい人影が近づく。


「なにぃ〜! みなもとだけずるいぞ! オレも混ぜてくれ!」

「や・ら・ん! バカなのか。みなもと! いいかげん、腕を離せ!」


 充分だ。頭から血の気が引き、手はわなわなと震えた。

 すぅ、佐久良売さくらめは息を大きく吸った。



    *   *   *



韓国からくにのみなもとッ!!」


 遠くまで響く大音声だいおんじょうでいきなり自分の名を呼ばれ、


「ヒッ!」


 と韓国からくにのみなもとは肩をすくめ、声のした方向を見た。

 物陰から姿をあらわしたのは、うつむいて顔の見えない佐久良売さくらめさまとお付きの女官だった。


 嶋成しまなりは呆然と佐久良売さくらめさまを見、三虎は、


「まずい……。」


 とその場から素早く消えた。

 ざり、と砂利のしかれた庭をみなもとが一歩、後退あとじさるうちに、カツカツカツ! と佐久良売さくらめさまは腕に木桶を抱えたまま、一直線にみなもとの前まできた。

 途中、嶋成とすれ違い、


「あ……。」


 と嶋成は目を見開いた。みなもとは、


「オレ、味澤夜あじさはふよ(しっつれーしまー)……。」


 くる、と踵をかえし、脱兎のごとく逃げ出そうとしたが、佐久良売さくらめさまに背中から、肩をがしっとつかまれた。


(すごい力だ……!)


 背中から妖気を感じる。

 怖い。

 振り向きたくない。


「これはぁぁぁ……、どういうこと……?」


 地獄の釜の底から響いてくるような声がする。

 おそるおそる、みなもとは振り向く。

 まだ、佐久良売さくらめさまはうつむいている。

 ゆっくり、顔をあげる。

 そこには、歯をむきだし、目が血走り、青筋が浮き、額に皺がうねうねと入った、伎楽ぎがく(お芝居)で見る鬼の仮面そっくりの鬼女がいた。


(ぎゃあぁぁぁ……! 怖ぇぇぇぇ!)


 みなもとは、ぴし、と全身石のように固まった。


「洗いざらい話します……。」




    *   *   *





 挂甲かけのよろいほどいた真比登まひとは、軍議で、皆より遅れて伯団はくのだん戍所へついた。

 なんだが兵士がざわざわとしている。


「なんだ?」


 と真比登まひと五百足いおたりがあたりを見回すと、物陰から。

 ゆらり。

 と木桶を抱えた、細身のおみながうつむきのままあらわれ、無言で仁王立ちとなった。

 顔は見えなくとも、髪型、衣、ほっそりした体つきでわかる。

 佐久良売さくらめさまだ。

 怒気であろう。どう、と真っ黒い淀んだ気をまわりに放っている。

 瞬間、真比登まひとはくるりときびすを返そうとした。

 生存本能というものである。

 おみなは無言で、す、と右手をあげ、真比登まひとを指さした。


!」


 と地獄の鬼の忠犬のように、韓国からくにのみなもとが全速力で真比登まひとを追いかけ、がし、と腕をつかみ、仁王立ちのおみなの前に罪人をひったてた。

 そこではじめて、おみなは顔をあげ、真比登まひとに顔を見せた。

 笑っている。

 何よりも怖い、見る人の血の気をひかせ、小便をもらさせるような顔で、笑っている。


「あひッ!」


 あまりの恐怖に、罪人は、がたがたと震えはじめた。


「はじめから騙してたのね。」


 佐久良売さくらめさまは、木桶を下においた。

 怒りのあまり頬が引きつり、青筋が浮いている。


「全て醜い嘘だったのね。」

「あうあうあう……。」


 真比登まひとは言葉がでない。口をぱくぱくとする。

 佐久良売さくらめさまは、そんな真比登まひとの両耳をひっつかみ、


「耳をそぎ手足の指を落とし焼けた大刀たち氷魚ひをを切り落とし塩つぼに漬けてやる。その上であたくしも井戸に身投げよッ! 死んでやるッ!」


 激昂した。

 きゃっ、と見守る兵士たちは耳やら指やら股間やらを押さえた。


「待たれよ!」


 そこに、凛とした美男の声が響いた。












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