第二十話  どうやってその恐怖と

 ふたをした木の箱をかかえて、すぐに戻ってきた。

 充分気をつけて下さい、と口にし、蜂の巣の入った木の箱を地面に下ろす。

 佐久良売さくらめはねぎらいの笑顔で、


「ありがとう。腕のめでたき事、しかとこの目で見ましたよ。これは褒美です。」


 と若大根売わかおおねめに目線を送る。

 頷いた若大根売わかおおねめは、手にしていた竹編みのかごへ差し出した。


「ありがとうございます。」


 とおのこは礼の姿勢をとってから籠を受け取った。

 フタをとると、あわ、麦、ひえを混ぜて作られた、六つの握り飯。


「わあ。塩、ナズナ、梅、しそ、昆布、ひしおかな!」


 とが嬉しそうな笑顔になる。佐久良売さくらめは、若大根売わかおおねめに、


「一人の兵士が充分満足する量の握り飯を用意なさい。」


 と指示を出しただけなので、詳細は知らない。


「兵士は、戰場に出る前に朝餉あさげを取るのでしょう? その時にでも……。」


 佐久良売さくらめが言うが早いか、はもう、草の上にどっかと腰掛け、ナズナ握り飯を大きな口で頬張っている。


「あなたね……。」


 佐久良売さくらめはあきれるが、


「もったいない事です。」


 が頬をパンパンに膨らませながら、もぐもぐと言う。


「他の奴らには、絶対やらねえです。もぐ。うまい、うまい。」

「ぷっ。」


 佐久良売さくらめは笑ってしまい、口元を白い領巾ひれで覆う。

 しばらく領巾ひれをもてあそび、の口にナズナ握り飯がするする消えていくのを見ていたが、


(あれをきたい。)


 佐久良売さくらめは意を決し、の隣、草の上に座った。

 梅握り飯を手に持ったは、もぞ、と少し尻を浮かせて、距離をとった。


 「ねぇ……、戦況はどうなのかしら?

 父上にいつ訊いても、我々が勝つ。心配はいらない。それしか教えてくれないのよ。

 それなら何故、こんなに負傷兵が出るの?」


 はまっすぐな目でこちらを見た。

 梅握り飯を食べる速度が落ちた……が、食べる事はやめない。


「そうですね……。」


 梅握り飯を食べ終わり、ひえを指からめ取り、昆布握り飯に手を伸ばし、


蝦夷えみしの兵は、おそらく、三千人にも満たないでしょう。そんな蝦夷が戰を挑んできても、十日もあれば制圧できる。桃生柵もむのふのきの───、いや、平城京のお偉いさんがたは、皆、そう思ってましたよ。

 実際に、闘うまでは……。

 それがもう、五十日ですか。」


 塩握り飯に目を細めながら手を伸ばし、


「蝦夷は吹き矢を使う。あれはなかなか、やっかいです。やぶにひそんで気配を殺すのもうまい。

 藪にひそみ、いきなり襲いかかってくる戦法に、我々は想像以上の苦戦をさせられています。」


 しそ握り飯に手をのばし、


「でも、心配にはおよびません。馬や鉾は、蝦夷にはない強力な武器です。

 戦況は、けして悪くはないですよ。

 お父上のおっしゃる通りです。

 蝦夷からしてみれば、これは、勝つ事のない戦いです。

 兵の数が違いすぎる。たとえ陸奥みちのく六団がたおれても、兵は次々、投入される。坂東ばんどう八国、それで足りなければ、越前、能登、越後……。終わりはない。」


 ひしお握り飯に手を伸ばし、


「比べ、蝦夷はどんどん兵を投入できるわけではない。蝦夷の兵は減っていく一方です。

 それに蝦夷たちは、村ごとに独立が強すぎて、全てが一丸となって戦いに挑んできているわけではない。もともと、村同士でも争いあってたりした、独立性が高い奴らです、だから……あっ!」


 佐久良売さくらめは、いきなりの大声に、びくっ! と肩を跳ねさせる。

 はがっくりとうなだれて、小さな声で、


「我々は勝ちますよ……。」


 と言った。

 指が空になった籠を、名残惜しそうにほじっている。

 どうやら、もう握り飯がなくなったのを惜しんでいるらしい。

 佐久良売さくらめは、なんだか腹立たしくなった。


「ずいぶん緊張感がないのね。

 どうしてそんな風にしてられるの?

 大勢死ぬってことじゃない。

 あなたもこのあと、戰に出るんでしょう?

 あたくしだってこのあと、医務室へ行くわ。

 怖くないの?

 昨日だって、負傷兵が死んだわ。

 あたくしの眼の前でね!」


 叩きつけられた言葉に、が目を見開き、若大根売わかおおねめに渡そうとしていた籠を落とした。

 若大根売わかおおねめがすかさず拾う。


「あっ。違うわ……。」


(今のは、言うべき言葉じゃなかった。)

 

 佐久良売さくらめは額に手をあてた。


「そういう事が言いたかったんじゃなくて……。

 あなた達が桃生柵もむのふのきを守る為に、立派に戦っているとわかってるわ。

 ただ、毎日、負傷兵を見ていて……。」


 佐久良売さくらめは唇をかみ、言葉を探した。

 言葉にする事は難しい。


「黄泉に渡る時期が近いって自覚した人って、目から希望の光が消えて、目がまるで、ふたつの洞穴みたいに、真っ黒に見える事があるの。

 ぽっかり開いた、その洞穴の先は、そのまま泉路せんろ(黄泉への道)に繋がってしまっているようで、初めて覗き込んでしまった時、本当に怖かった……。

 静かだった人が、いきなり大声で叫び出したり、意味の通じないことを喋りはじめたりすると、人は黄泉に渡るのよ。」


 佐久良売さくらめは、下を見て、話を続けた。


「あたくし、ほんの一月前までは平城京で、けがれを注意深く避ける生活をしていたのに、もう数え切れないほど、人の死をたわ。

 考えたくないけど、幾重にもけがれに触れて、いくら身を清めても、拭いきれないんじゃないか、と身震いする時もあるわ。

 そういう時はこうやって……。」


 佐久良売さくらめは自分で自分の頬を打った。


「自分のことを叱るんだけど……。」


 そこで佐久良売さくらめは、を見た。


(今まで、戦況が知りたい、と思っていたけど、あたくしが本当に兵士に訊いてみたかったことは、これだわ。今、わかった。)


「あなただって、戰場では、死ぬことだってあるでしょう。

 どうやって、その恐怖と戦っているの……?」



   *   *  *



 隣に座った佐久良売さくらめさまは、憂いをたたえた表情で、真比登まひとを見つめている。


 真比登まひともまた、じっと、佐久良売さくらめさまを見つめかえした。


(その憂いの表情を、あなたから取り除いてさしあげたい。オレにできるだろうか?)


 真比登まひとは、言うべき言葉を探す。


 佐久良売さくらめさまが口にした恐怖と辛さなら───、わかる。

 毎日、敵を殺して、黄泉に送っているのだから。


「オレは十三歳から鎮兵ちんぺいです。家族全員、もがさでやられて、オレには、帰る場所がなかった。

 兵士として戦って生きるしか……。

 ずっとそうやって生きてきました。

 オレにとっては仲間が家族で、ここにいられる事に感謝してます。

 手足を失ったり、死ぬのは、もちろん怖いし、イヤです。

 けれど、戰場に立つと、上手に言えないけど、身体が熱くなって、頭んなかが、ぶわーっと真っ白くなって、どう敵をさばくか、どこの陣形に手助けが必要かしか、考えなくなります。

 怯えを持った奴の大刀たちは、すぐに分かります。

 そして、必ず負けます。

 オレは兵士なので、戦わない自由はないけれど、勝ち続ける自由はあります。

 オレは怯えた大刀たちは握りません。

 勝つ大刀たちを握ります。」


 真比登まひとは、ニッ、と笑って、ぐっ、と力強く拳を前に突き出してみせた。


「オレは負け知らずなんで。」

「まあっ。」


 佐久良売さくらめさまがあきれた声をだした。

 そこで真比登まひとはちょっとイタズラっぽく笑った。


「ええと、多分、佐久良売さくらめさまが思ってるほど、情けない小便垂らしでは戦ってないですよ。」

「しょ……。」


 佐久良売さくらめさまは口元をさっと領巾ひれで押さえて、向こうを向き、くすくす笑いだした。


「しょんべんたらし……。」


 と、小さくモゴモゴつぶやいている。

 真比登まひとは、そんな愛らしい姿の佐久良売さくらめさまを見つめた。


(そして今は、あなたを守る為に戦える。幸せです。)


 口には出せない。

 だが、想いがあふれた。


 真比登まひとは、笑いのさざめきに揺れる佐久良売さくらめさまの領巾ひれを捕まえて、そのはじに口づけをした。



     *   *   *



 領巾ひれをひかれた感触がした。


(あら? 今……。)


 佐久良売さくらめが笑うのをやめ、の方を振り向くと、佐久良売さくらめの領巾にむかって頭を下げているおのこの後頭部、結い上げたもとどりが良く見えた。


(……これって。)


 佐久良売さくらめ心臓しんのぞうが、トン、と跳ねた。

 はすぐに顔をあげ、はっ、と慌てた顔をした。






(…………。何か足りない。若大根売わかおおねめの変な声だわ!)


 思わず若大根売わかおおねめを見ると、女官は、口をあんぐり限界まで開けた顔のまま、動きが止まっている。

 再度、のほうを見ると、おのこはもう花園のはじまで移動し、かぶとを手に、礼の姿勢をとっていた。


(いつの間に?! 早すぎじゃない?!)


「ありがとうございました。ありがとうございました。たたら濃き日をや(さようなら)!」


 そのまま、さっとはいなくなった。

 佐久良売さくらめ呆気あっけにとられる。


「今……、何がおこったの? 若大根売わかおおねめ。」


 若大根売わかおおねめに訊くと、


「あぐ……。」


 若大根売わかおおねめは言葉が喋れないようで、自分の領巾ひれはじを指差し、ついで自分の唇を指差す、という動作を繰り返している。


「そう……。」


 よく見えなかったが、はたしかに、領巾の端に、一瞬口づけしたように見えた。


(豪族の娘の衣に、強引に口づけするなど、之毛度しもと(鞭打ち刑)二十回が望ましい。)


 ふっと頭に、常識的な罰が思い浮かんだが、罰したいという怒りが、不思議と湧いてこない。


 それどころか、心が穏やかに凪いでいる。


 これでは罰せない。


 なぜだろう……。


 八月の早朝の、爽やかな陽光と、よもぎの香気をたっぷり胸に吸い込んで、遠くの空を見てみたが、答えは出なかった。





     *   *   *





 ───見たぞ。許せない。佐久良売さまの領巾ひれに触れたな。あの疱瘡もがさ持ちめ。

 オレは許さないぞ……。








 






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