第二十話 どうやってその恐怖と
源は
充分気をつけて下さい、と口にし、蜂の巣の入った木の箱を地面に下ろす。
「ありがとう。腕のめでたき事、しかとこの目で見ましたよ。これは褒美です。」
と
頷いた
「ありがとうございます。」
と
フタをとると、
「わあ。塩、ナズナ、梅、しそ、昆布、
と源が嬉しそうな笑顔になる。
「一人の兵士が充分満足する量の握り飯を用意なさい。」
と指示を出しただけなので、詳細は知らない。
「兵士は、戰場に出る前に
「あなたね……。」
「もったいない事です。」
源が頬をパンパンに膨らませながら、もぐもぐと言う。
「他の奴らには、絶対やらねえです。もぐ。うまい、うまい。」
「ぷっ。」
しばらく
(あれを
梅握り飯を手に持った源は、もぞ、と少し尻を浮かせて、距離をとった。
「ねぇ……、戦況はどうなのかしら?
父上にいつ訊いても、我々が勝つ。心配はいらない。それしか教えてくれないのよ。
それなら何故、こんなに負傷兵が出るの?」
源はまっすぐな目でこちらを見た。
梅握り飯を食べる速度が落ちた……が、食べる事はやめない。
「そうですね……。」
梅握り飯を食べ終わり、
「
実際に、闘うまでは……。
それがもう、五十日ですか。」
塩握り飯に目を細めながら手を伸ばし、
「蝦夷は吹き矢を使う。あれはなかなか、やっかいです。
藪にひそみ、いきなり襲いかかってくる戦法に、我々は想像以上の苦戦をさせられています。」
しそ握り飯に手をのばし、
「でも、心配にはおよびません。馬や鉾は、蝦夷にはない強力な武器です。
戦況は、けして悪くはないですよ。
お父上のおっしゃる通りです。
蝦夷からしてみれば、これは、勝つ事のない戦いです。
兵の数が違いすぎる。たとえ
「比べ、蝦夷はどんどん兵を投入できるわけではない。蝦夷の兵は減っていく一方です。
それに蝦夷たちは、村ごとに独立が強すぎて、全てが一丸となって戦いに挑んできているわけではない。もともと、村同士でも争いあってたりした、独立性が高い奴らです、だから……あっ!」
源はがっくりとうなだれて、小さな声で、
「我々は勝ちますよ……。」
と言った。
指が空になった籠を、名残惜しそうにほじっている。
どうやら、もう握り飯がなくなったのを惜しんでいるらしい。
「ずいぶん緊張感がないのね。
どうしてそんな風にしてられるの?
大勢死ぬってことじゃない。
あなたもこのあと、戰に出るんでしょう?
あたくしだってこのあと、医務室へ行くわ。
怖くないの?
昨日だって、負傷兵が死んだわ。
あたくしの眼の前でね!」
叩きつけられた言葉に、源が目を見開き、
「あっ。違うわ……。」
(今のは、言うべき言葉じゃなかった。)
「そういう事が言いたかったんじゃなくて……。
あなた達が
ただ、毎日、負傷兵を見ていて……。」
言葉にする事は難しい。
「黄泉に渡る時期が近いって自覚した人って、目から希望の光が消えて、目がまるで、ふたつの洞穴みたいに、真っ黒に見える事があるの。
ぽっかり開いた、その洞穴の先は、そのまま
静かだった人が、いきなり大声で叫び出したり、意味の通じないことを喋りはじめたりすると、人は黄泉に渡るのよ。」
「あたくし、ほんの一月前までは平城京で、
考えたくないけど、幾重にも
そういう時はこうやって……。」
「自分のことを叱るんだけど……。」
そこで
(今まで、戦況が知りたい、と思っていたけど、あたくしが本当に兵士に訊いてみたかったことは、これだわ。今、わかった。)
「あなただって、戰場では、死ぬことだってあるでしょう。
どうやって、その恐怖と戦っているの……?」
* * *
隣に座った
(その憂いの表情を、あなたから取り除いてさしあげたい。オレにできるだろうか?)
毎日、敵を殺して、黄泉に送っているのだから。
「オレは十三歳から
兵士として戦って生きるしか……。
ずっとそうやって生きてきました。
オレにとっては仲間が家族で、ここにいられる事に感謝してます。
手足を失ったり、死ぬのは、もちろん怖いし、イヤです。
けれど、戰場に立つと、上手に言えないけど、身体が熱くなって、頭んなかが、ぶわーっと真っ白くなって、どう敵をさばくか、どこの陣形に手助けが必要かしか、考えなくなります。
怯えを持った奴の
そして、必ず負けます。
オレは兵士なので、戦わない自由はないけれど、勝ち続ける自由はあります。
オレは怯えた
勝つ
「オレは負け知らずなんで。」
「まあっ。」
そこで
「ええと、多分、
「しょ……。」
「しょんべんたらし……。」
と、小さくモゴモゴつぶやいている。
(そして今は、あなたを守る為に戦える。幸せです。)
口には出せない。
だが、想いがあふれた。
* * *
(あら? 今……。)
(……これって。)
源はすぐに顔をあげ、はっ、と慌てた顔をした。
(…………。何か足りない。
思わず
再度、源のほうを見ると、
(いつの間に?! 早すぎじゃない?!)
「ありがとうございました。ありがとうございました。たたら濃き日をや(さようなら)!」
そのまま、さっと源はいなくなった。
「今……、何がおこったの?
「あぐ……。」
「そう……。」
よく見えなかったが、源はたしかに、領巾の端に、一瞬口づけしたように見えた。
(豪族の娘の衣に、強引に口づけするなど、
ふっと頭に、常識的な罰が思い浮かんだが、罰したいという怒りが、不思議と湧いてこない。
それどころか、心が穏やかに凪いでいる。
これでは罰せない。
なぜだろう……。
八月の早朝の、爽やかな陽光と、よもぎの香気をたっぷり胸に吸い込んで、遠くの空を見てみたが、答えは出なかった。
* * *
───見たぞ。許せない。佐久良売さまの
オレは許さないぞ……。
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