第十九話  蜂の巣

 八月の晴れ渡った空。

 おだやかな早朝の風。

 本日もこのあと、戦があると言うのに、桃生柵もむのふのきの薬草が植えられた庭は、色とりどりの花びらに、朝露がしっとりと輝き、美しい。


 明るい日差しを浴び、ひときわ美しいおみなが、一人の女官を従え、右手を上にあげ、ひらひらとふっている。

 陽光に艷やかな黒髪が照り映えている。頭には、くれない鮮やかな飾り布を結び、風になびかせていた。

 麗しい笑顔で、


「こっちよ!」


 と真比登まひとを迎えてくれる。

 弓矢を持参し、顔を隠さない真比登まひとは、


(うわああ……。)


 と表情が緩むのを止められない。

 なんと眩しい光景。


 直垂ひたたれをとった自分に、このような光景が見れる日が来ようとは。


 この美しさを、一生覚えておこう。

 これより先、いつか戰場で死ぬ時は、この光景を思い出して死にたい。




   *   *   *




 佐久良売さくらめの正面に立った。


。あたくし、欲しいものがあるのよ。あたくしの願いを、きいてくださる?」


 佐久良売さくらめは明確に欲しいものがある。

 蜂の巣。

 昨日、に弓矢の腕を見せてほしい、と告げた時には、腹のうちで、蜂の巣が欲しいと言おう、とすでに思っていた。


 蜂の巣からは、蜂蜜がとれる。

 貴重な甘味だ。

 それに、蝋燭ろうそくも作れる。

 蜂の巣はいくつあっても良い。


に、あたくしの欲しいものを、とってこさせる。)


 その考えは、何故か佐久良売さくらめの心に、ひとさじの甘味のような、ワクワクする思いをもたらす。

 蜂の巣をとる為の道具も、弓矢以外はこちらで用意し、準備万端だ。

 佐久良売さくらめに、にっこりと笑いかけ、


「あたくし、蜂の巣が欲しいの。東のコナラの木に、あるわ。もぐさで蒸して、矢で射てちょうだい。」


 と火打石を渡した。その時わざと、する、との手の甲をなでてやった。




     *   *   *



 真比登まひとの全身から汗が一気に吹き出した。


 ててて、ててて。


 手!


 佐久良売さくらめさまの手とオレの手が触れ合った!

 指の腹で、すっと手の甲を撫でられた!

 気の所為せいじゃない。

 はああ……。おみなの手って、なんでこんなに、おのこの胸を高鳴らせるのだろう。

 はっ。落ち着け。意識が飛びかかってる。

 ちょっと手が触れて、指で撫でられただけじゃないか。

 な、撫で……。




    *   *   *



 兵士は、あっという間に顔を真っ赤にし、汗をかき、身体が硬直し、動かなくなくった。

 佐久良売さくらめは、笑顔のつややかさを増し、


「できないとは言わないわね?」


 との目を見て言った。

 兵士は、こくこくこく! と首が壊れたかのように何度も頷いた。


(わかりやすい。扱いやすい。面白い。)


 ぷっ! と佐久良売さくらめは横をむいて、吹いた。

 すぐに白い領巾ひれを口元にあて、澄まし顔をし、笑ってしまったのを隠すと、もぐさと、蜂の巣を入れる用の板張りの箱を、顎でしゃくって見せた。

 さあ、やりなさい、という事である。

 はすぐに火打石で火をつけはじめた。




 はまず、蜂の巣の下に行き、さっと木の箱を置いてきた。

 そして花園に戻り、火のついたもぐさの煙で、蜂の巣をいぶしはじめた。

 煙に驚いた蜂が、巣から充分出てきたところで、弓に矢をつがえる。

 距離は十丈じゅうじょう(約36m)。

 きりり……、と弓がしなる。

 が雑念なく、獲物に集中する。

 立ち姿が、凛とむ。


(狙いをじっと定めるおのこの横顔って、なんでこう格好良いのかしら?)


 と佐久良売さくらめは思い、


(んっ?! あたくし、今何か変な事思わなかったかしら?!)


 と一人かすかに慌てる。


 が、たん、と矢を放った。

 矢はを描いて勢い良く飛び、蜂の巣の根本に命中した。

 蜂の巣がコナラの木からガササッ、と落ちた。

 わっ、と黒い煙のように、蜂が湧き出る。


「よし。下の箱に落ちました。蜂が敵を探しに遠くにいくまで、少し待ちましょう。」


 とが落ち着いて言う。


「見事な腕前ね。」


 佐久良売さくらめが笑顔で褒めると、はキリリとした顔からいきなり、でれでれっと笑った。ものすごく照れ、汗をかき、頭のうしろをぽりぽりとかいた。


「こ、こ、こんなの、普通です。大刀たちのほうが得意です。

 お見せできないのが残念です。」


 と右腕をふりあげてみせた。佐久良売さくらめはそこに、赤いシミがあるのを目ざとく見つけた。


「怪我をしてるのね。何故、昨日医務室にこなかったの?!」

「えっ……、これくらい平気です。」

「平気じゃないわっ!」


 佐久良売さくらめは怒った。化膿したら恐ろしいと知らないのか。


「腕をだしなさい。」

「えぇっ……。」


 はモジモジしている。


「早く!」


 がっ、と佐久良売さくらめが口を開け、犬歯を見せ威嚇すると、は黙り、背筋を伸ばし、さっと右腕の袖を肩までまくり上げた。

 腕にはところどころ、疱瘡もがさがあり、古傷があり、上腕に、薄黄色の麻布を巻いている。そこからじわっと血がにじんでいた。

 佐久良売さくらめは手際よく巻かれた麻布をほどく。

 浅い刀傷。化膿はしていない。少し傷口が開いている。

 佐久良売さくらめは観察を終え、そばに生えていたよもぎの葉を一枚つんで、口にいれた。

 咀嚼そしゃくし、すぐによもぎを出し、傷口にのせた。


「ひぇっ……。」


 が驚いた声を出す。

 佐久良売さくらめが無言でめあげたら、は口を閉じた。

 よもぎを傷口に、丁寧に薄く均一にのばし、佐久良売さくらめは頭に結んでいたくれないの飾り布をほどいた。

 それまで静かにしていた女官、若大根売わかおおねめが、


「あふぇっ?!」


 と声をもらした。

 佐久良売さくらめはかまわず、きっちりと飾り布を右腕に巻いた。


「これで良し。傷が早く癒えますように。」


 佐久良売さくらめを開放すると、おのこは珍しい物を見るように、右腕を目の前にかかげて、しげしげと見つめた。すぐにハッ、と目を見開き、


「こんな美しい布……、汚れてしまいます。」


 と情けない声を出し、巻かれた布に、わたわたと手をかけた。


「あん?」


 佐久良売さくらめすごんだ。


「あの……、ありがとうございました。」


 おのこは両手を下に、ぴっ、とおろし、モジモジと言い、もぐさをひっつかみ、


「蜂の巣とってきます!」


 と素晴らしい速さでコナラの木の方へ走って消えた。






 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る