第十八話  じれた父親は電撃訪問

 その日の、すっかり太陽が山際に隠れた頃。

 伯団はくのだん戍所じゅしょ


「昨日は沢山、あわ、麦が食べれて良かったなあ。」

「うべなうべな。(そうだなあ。)」

「今日も食べれるかな。」

「バカ言え。もう食べきっちまったろ。あれは副将軍殿のちょっとした心遣いだって話だ。」

「ああ……、縁談のねぇ……。」


とのどかに兵士たちが話しをしていると、桃生柵もむのふのき領主、長尾連ながおのむらじの佐土麻呂さとまろが乗り込んできた。


殿はどこか! ここにいると聞いてきましたぞ!」


 兵士がみな、真比登まひとを見る。

 佐土麻呂さとまろがそれに気が付き、真比登まひとを見る。

 真比登まひとは汗をかき、息を詰めて佐土麻呂を見た。

 真比登まひとのよろいは立派だが、佐土麻呂は怪訝けげんそうな顔で、首を横にふった。


「いやいや、違うでしょう。は、こんな疱瘡もがさ持ちじゃなくて、もっとスラーっと! 背が高く! 顔も良いでしょう! 殿はどちらです?」


 本物の真比登まひとは、ずーん、と暗い顔で下をむいた。

 集った兵士は、皆、


(あ、そうだった。コイツ真比登まひとの身代わりを、真比登まひとだと信じこんでるんだ……。)


 と思い出した。

 福耳の立派な韓国からくにのみなもとに、兵士たちの視線が集まる。


殿! 探しましたぞ。」


 佐土麻呂は、ふん、ふん、と鼻息荒く二回頷いて、真比登まひとと勘違いしているみなもとに、突き出た腹を揺らしながら大股で近づいた。


 みなもとは、御祖みおや韓国からくにに渡った事があるという。その御祖みおやから代々受け継がれた、立派な鉄の短甲みじかよろいを身に着けていた。


 その姿からは、みなもと軍監ぐんげん偽物にせものであると、見破れない。


 ぱち、可我里火かがりびが夜に赤く爆ぜる。


 みなもとは困った、と眉尻をさげつつ、


(交渉事には、人懐こい笑顔も重要。渡兄わたるにぃの教えだ。)


 にこり、とひとまず笑顔を浮かべる。


殿は、此度の縁談、どうお思いですかな? お返事はまだでも、少しでも前向きにお考えなら、ぜひ、娘にふみの一つもくだされ。」

「いやぁ、あの……。」

「是非に! 頼みます! 娘は我儘わがままで、身につけた知識をひけらかすところがございます。親としてなんとも恥ずかしい次第。

 しかし、殿は、娘以上の博識でいらっしゃる。

 縁談で、あのようにしおらしい態度を娘がとったのは、殿が初めてなのです。」

「そんなつもりじゃ……。」

「わかってくだされ!」


 佐土麻呂は、みなもとの手をとり、胸に引き、両手で押し包んだ。


佐久良売さくらめには、一日でも早くつまを得て、幸せになって欲しいのです。

 私は妻に先立たれ、残された二人の娘は、かけがえのない宝物です。

 ここは戰場。いつ何があってもおかしくない。

 もし私が、娘を婚姻させられないまま、黄泉にくだる事となったら、死ぬに死にきれません。

 黄泉で私を待つ妻に、どんな顔をして会えるというのでしょう。

 老骨を笑ってくだされ。

 娘にささやかな、人生において大きな幸せを、与えてやりたいのです。」


 佐土麻呂の目には、光るものがあった。

 みなもとは、困り、元気のない顔でうつむき、


「こ、婚姻は……、返事はまだできませんが、ふみを書きます……。」


 それだけ、小さな声で言った。

 佐土麻呂は源の手を離し、ぽん、ぽん、と源の肩をたたき、


「それでけっこうです。ありがとうございます。

 ふみを頂戴できたら、それだけで、娘は喜ぶでしょう。味澤相あじさはふをや。(さようなら)」


 と帰っていった。

 真比登まひとは暗い顔で源のそばにいき、肩をたたいた。


「すまないな、源。」


 源は、しょぼん、とうつむいたまままだ。


「……いえ。オレがふみを書きます。その方が良いですよね。」

「頼む。」


 五百足いおたりも近づく。


「良い父親だな。……源、いつまでもこのままではないさ。なあ、真比登まひと……。」


 そろそろ、騙すのも限界だ、と五百足いおたり真比登まひとに目で訴える。

 真比登まひとは目をつむる。


「……まだ。真実を言うのは、まだ、待ってくれ……。」


 もし、偽りの縁談だったと知ったら、佐久良売さくらめさまは怒り、失望し、もう二度と真比登まひとに、天女のような微笑みを向けてくれる事はないだろう。


 今朝、源ばっかり花束を佐久良売さくらめさまにあげたのが悔しく、───子供っぽい事だが───自分も佐久良売さくらめさまに花束をあげたくて、花をつんでいた。

 そしたら、驚くような、幸せな出会いがあった。

 真比登まひとはひたすら汗をかき、佐久良売さま相手にどう接したら良いかわからず、きっと前采女さきのうねめから見て鈍くさい立ち振舞いしかできなかった。

 しょうがない、ずっと鎮兵ちんぺいとして生きて、おみなとまともに話してこなかったのだから!

 芍薬の花を渡せた事だけは、自分を褒めてやりたい……。


 そんな真比登まひとに、佐久良売さくらめさまは笑ってくれた。

 また明日いらっしゃい、と言ってくれた。


(明日……、今朝のような、オレにとっては、まぶしすぎる時間を過ごせるのだろうか。

 オレはどうしてもそれに手を伸ばしたい。手放したくない。)


「いつまでも騙したままでいられない、というのはわかっている。いずれ、きちんと言う。だがもう少しだけ、オレに時間をくれ。……すまない。」


 真比登まひとはうなだれる。

 五百足いおたりは、


伯団はくのだん建怒たけび朱雀すざくは、しょーがねーなぁ、もう!」


 と大きな声をあげ、源の肩をだき、


「今夜はオレが浄酒きよさけを呑ませてやる。来い。」


 と兵舎に源を連れていった。

 真比登まひとはうなだれたまま、


「すまない。オレだって、わかってるさ……。」


 とつぶやく。

 真比登まひとは、佐久良売さくらめさまを賊から救って、顔を間近で見た夜から、ずっと、浮かれている。祭りに来たわらはのように。

 五百足いおたりには、


「あの郎女いらつめはオレの事、どう思ってるのかな?」


 と言ったが、本当はわかってる。


 ───何とも思っていない。


 疱瘡もがさを見て、気にしない、と、おのことして意識する、は違う。

 そして、疱瘡もがさ持ちの真比登まひとは、婚姻相手として豪族の娘から見られる事はないだろう。


(……もし、疱瘡もがさがなければな。)


 何度も思ってきた事だが、えやみが憎い。

 真比登まひとは、軍監ぐんげんだ。

 軍監ぐんげんなら、豪族の娘を妻としても、おかしい事は何もない。

 郷人さとびとがここまで上り詰めるのは、異例のこと。戰がおこり、真比登まひとの武勇と名声が、軍の士気をあげる、という多くの兵の声で、前の副将軍殿が取り立ててくださったのだ。

 その副将軍殿は、勇気を示す、と、戰場に立ち、あっけなく黄泉にくだった……。


 もし、真比登まひと疱瘡もがさがなければ、真比登まひと佐久良売さくらめさまとの縁談に自分でのぞんでいたはずだ。

 そしたら今頃、堂々と、佐久良売さくらめさまに、恋してます、と告げられていただろう。


(そうだ。オレは佐久良売さくらめさまに恋をしている。)


 あの美しいおみなが、ただただ、恋いしい。

 会いたい。

 佐久良売さくらめさまに、オレの顔をまっすぐ見てほしい。

 佐久良売さくらめさまの、凛と澄んだ声が聞きたい。

 あの天女のような微笑みを見たい。

 それだけで良い。

 それだけで……。


 「ははは……。」


 バカな話だ。

 救いようのない話だ。

 そんな、もしも疱瘡もがさがなければ、なんて思ったって、うつつはちっとも動かない。


 いずれ、この偽りを正直に打ち明けねばなるまい。

 いつまでも、源や五百足いおたりに負担をかけたままでは、いられない。

 あの天女の微笑みは、それまでの、つかの間のものだ。

 わかっている……。


 それなのに、真比登まひとは、明日の朝になれば佐久良売さくらめさまと会える、と思うと、楽しみでしょうがなく、ソワソワ浮き立つ自分を自覚する。


 「しょうがねぇ奴だなァ。オレは……。」


 偽りは長くは続けられないとわかっている。

 でもまだ真比登まひとは、どうしても、この幸せに手をのばし、桜色の光にふれ、その光を味わい、手のなかにそっと包み込んでいたかった。








    

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