第十話  佐久良売の戰場

 ※奈良時代の医療現場です。

 食事時を避けてご覧いただく事をおすすめ致します。



     *   *   *



 佐久良売さくらめは、賊奴ぞくとにさらわれかけた翌日、休んで良いというまわりの声をふりきって、医務室にいた。

 たしかに、一晩寝ても、今朝は、起きた時にだるさを感じた。

 しかし、だから休んでなんて、いられない。

 今しも。


「ひい……。イヤです……。」


 新顔の女官が、負傷兵の世話を、首をふって拒否をした。


 ここ医務室には、四十人ほどの負傷兵が寝ている。

 怪我の軽い者なら、治療をしたら、また兵舎に帰す。居座りたがっても追い返す。

 ここに寝ているのは、行く場所が兵舎でなく、……黄泉に行くであろう者たちだ。


 女官が拒否をした負傷兵は、宇士多加禮許呂呂岐弖うじたかれころろぎている。

 まだ生きているのに、黄泉にいます伊邪那美命いざなみのみことの息吹が、ふう、とこの兵士に届いてしまったかのようだ。

 まだ生きているのに!

 兵士は、怪我が重く、虚ろな目で天井を見て、目を動かさない。

 医師は、三人、いる。

 だが、兵士の細々とした世話をするのは、下人げにんであり、この戰時にあっては、下人の手が足りず、通常は政庁や、領主の館で立ち働く女官が動員されている。


 佐久良売さくらめは、その新顔の女官の前に、かつかつかつ、と鼻高沓で詰め寄った。


「この兵は何の為に怪我を負ったと心得る!

 ここ桃生柵もむのふのきを守る為、我らの安寧あんねいを守る為ではないか!

 守られておいて、世話もできぬとは何事か!

 泣き言を言うな!

 次に同じ泣き言を行ったら、叩きますよ。」


 初めは、遠慮なく、不心得ふこころえな女官の頬を打っていた。

 しかし、あまりにその機会が多くなりすぎ、震えて泣いて使い物にならない女官が増えたので、若大根売わかおおねめから、


「少しお控えくださいませ、佐久良売さくらめさま。」


 と言われてしまった。

 なので、二回目から頬をぶつようにしている。


「貸しなさい!」


 佐久良売さくらめの剣幕に震え上がった新顔の女官の手から、箸と木の椀をもぎとる。

 佐久良売さくらめは躊躇なく、箸を使いだした。

 さっ、さっ、と取っていく。


「ひ、ひぃ……。」


 新顔の女官が、豪族の娘たる佐久良売さくらめがそのようないやしい世話を、きりりと眉を立てた顔で、静粛に進めていく様を見て、驚きと混乱で息を呑む。


「放っておいたら、これは広がるだけです。取らなくてはいけないのです。あたくし達が、やらなくてはならないのよ。わかったら、ここはあたくしがやるから、他の兵士の世話をなさい。次に、同じ事をしなくてならない時は、もう、泣き言を言わないで、やるのよ。」


 佐久良売さくらめは優しくさとす。


「は、はい。」


 新顔の女官は礼の姿勢をとった。佐久良売さくらめを見る目に涙が滲んでいる。

 きっと、心に届いたであろう。

 佐久良売さくらめは、にこっと、女官に笑いかけてやり、一つ頷いた。

 負傷兵にむきなおり、


「生きて。……諦めないで。頑張って。」


 良き言葉を与える。

 ……この負傷なら、きっと、生きながらえる事は難しい。

 それでも、佐久良売さくらめは、良き言葉を口にせずにはいられない。

 まだ生きているのだから!

 負傷兵の目は、少し動いて佐久良売さくらめを見たが、その目は虚ろで、なんの感情も映さなかった。


「きゃあ!」


 離れたところで、女官の大きな悲鳴があがった。


「げへへ。」


 いやらしいおのこのしのび笑いも、同じ方向からする。

 佐久良売さくらめの出番であろう。

 佐久良売さくらめは全身の毛を怒気で逆立てながら、


「任せます。」


 と後ろにつき従う若大根売わかおおねめに、その負傷兵の世話を託した。


「はい。」


 若大根売わかおおねめも、躊躇ちゅうちょなく、佐久良売さくらめから箸と椀を受け取る。


 佐久良売さくらめは大股で騒ぎになっている場所に素早く到着した。

 怪我の軽い負傷兵が寝床に上半身を起こし、見目の良い女官の腕をとり、無理やり抱き寄せようとしている。


「げへへ、ちょっと触らせろよ。」

「いやっ、離して!」

「何をしておるか!! ものが!!」


 佐久良売さくらめは、があっと口を大きく開けて、大声で叱りとばした。

 医務室のはじまで声は届いた。

 ついで、ばちーん、という大きな音が響いた。

 佐久良売さくらめが遠慮なく、痴れ者の頬を張り倒したのである。

 おのこは女官の腕を離した。

 女官は、さっと佐久良売さくらめの後ろに隠れた。


「なっ、オレは怪我をしてるんだぞ、このくそ醜女しこめ……っ!」


 カッとなったおのこが怒鳴り、右腕を威嚇で振り上げすごむが、佐久良売さくらめは胸をそらし、負傷兵を睨みおろした。


「誰に口をきいておるっ! あたくしは桃生柵もむのふのき領主の娘、長尾連ながおのむらじの佐久良売さくらめですよ! 不敬で首をはねられたいか!」

「げぇっ……。」


 痴れ者は、振り上げた右腕をおろし、手を口につっこんで、おのれの指をかじった。


「その元気がある者は、もう医務室でほどこす医療はありません。ね!(早く去れ)」


 佐久良売さくらめが顎をしゃくると、


「も、申し訳ありませんでした……。」


 痴れ者は、もごもご小声で謝りながら、さっと医務室から逃げだした。

 元気である。


佐久良売さくらめさま〜! ありがとうございますぅ。」


 助けた女官が涙目で佐久良売さくらめに礼の姿勢をとり、見守っていた女官たちからは、


「おお〜!」


 パチパチパチ……。


 感嘆の声と、何故か拍手がおこる。

 負傷兵で喋る元気のある者は、


「怖ぇ……。」


 とぽそっとこぼすので、佐久良売さくらめは、かぁぁっ、と口を開き犬歯を見せつけながら、兵士どもを睥睨へいげいした。

 兵士どもは黙った。


「誰か、兵士を押さえてくれ。」


 医師が助けを呼ぶ声がする。


「ただいま。」


 佐久良売さくらめはきびきびと動く。

 少し、足がよろめいた。

 昨日の疲れが残っている。

 しかし、そのような事、とるに足らない些事さじだ。


 医師の求めに応じて、負傷兵の腐りかけた足を切断するのに、下人と一緒に兵の身体を押さえた。

 佐久良売さくらめの、医療用に作らせた白く荒い木綿の衣に、ぴっと血が飛ぶ。


(……あたくしは、血を見ても失神したりしない。

 あたくしも戦う。)


 できる事をする。おのことして大刀たちをふるう事はできないが、医療の手助けはできる。


 佐久良売さくらめは、桃生柵もむのふのき蝦夷えみしに攻められたと奈良に報が届き、自ら、桃生柵もむのふのきに帰ってきた。

 安全な平城京に残ることもできた。


「危険な戰場に戻る必要はない。死ぬかもしれないのよ?」


 と女嬬にょじゅ(上司)には言われた。

 しかし、佐久良売さくらめの決心は固かった。


 他の采女うねめにとっては、遠い戰場だろう。

 でも、佐久良売さくらめにとっては、自分の産まれ郷、父上が、同母妹いろもがいる地、あたくし達の生きる地なのだ。

 今まさに、兵士たちが桃生柵もむのふのきを守る為に、血を流して戦っているというのに、なぜ一人離れた場所で安穏としていられるだろう?


 怯える民を励まし、医療に気後れする者がいれば叱咤し、一人でも多くの負傷者を助けるのだ。


(できる事で、あたくしも戦う。)



   *   *   *



 真比登まひとは、いそいそと医務室の近くに来たが、はたと気がつく。


(医務室のヤツらには、みなもとをオレの身代わりにしてるって伝えてねぇ!)


 負傷兵から真比登まひとと呼ばれ、佐久良売さくらめさまに聞かれると、非常にまずい。


(どうすっかな……。まず、佐久良売さくらめさまが医務室にいるか、確認しよう。)

 

 と、木が生い茂る庭、やぶをかき分け、押し出し間戸まどの外から、医務室のなかをうかがう。


佐久良売さくらめさまはどこだ……?)


 真比登まひと郎女いらつめを見つける前に、ふと、人の気配がした。

 無言で真比登まひとは振り向く。


 ガサガサ。


 藪が不自然に揺れ、そこから中肉中背の、二十歳すぎのおのこが顔をあらわした。


嶋成しまなり?」

「あれっ、真比登まひと?!」


 真比登まひとが率いている伯団はくのだんの新入り。

 今は稽古の時間のはずだ。

 非番ではない。証拠に、挂甲かけのよろいなんて贅沢品を、ただの鎮兵ちんぺいのくせに胴だけつけている。


「さぼりか。」


 声を押さえて、低い声で真比登まひとがすごむと、嶋成は鷲鼻わしばなが目立つ顔をみるみる赤くし、無言で素早く駆け去っていった。


「何だあいつ。」


 真比登まひとは、自分の事は棚に上げて、嶋成の去った方向を睨みつけた。

 それから、きょろ、と周りを窺い、押し出し間戸まどから医務室をのぞきなおすと、佐久良売さくらめさまを見つけた。

 白い荒い衣を着て、きびきびと立ち働いている。


(良い働きっぷりだなぁ……。)


 豪族の娘なのに。真比登まひとは感心した。

 真比登まひとはいつも、大した怪我はしないので、医務室に縁はない。


 そこで、


佐久良売さくらめさま!」


 若いおのこの声がし、百合の花束を持った韓国からくにのみなもとが、医務室の入口方向から颯爽とあらわれ、佐久良売さくらめさまの前にまっすぐ進んだ。

 源は短甲みじかよろい姿ではない。非番のようだ。


「ちょっと話がしたいです!」


 良く通る声で源が宣言し、なんと佐久良売さくらめさまの手をとって、医務室から連れ出した。


「ひょぉぉぉぉ〜!」


 女官が声をあげ、医務室がざわめき、真比登まひとは、


「えええええ〜!」


 つい声をあげ、慌てて、源と佐久良売さくらめさまのあとを追った。


(な、何のつもりだ、源?!)





    *   *   *




 ───今日も綺麗だったね。佐久良売さま。

 オレは見てるよ。






 





↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818023212490289307

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