第九話  思纒 〜思ひまつわり〜

 帰降まつろへる夷俘いふ、……あるいは本土を去り離れて、皇化に帰慕きぼし、或は身を戰場にはかどりて、賊と怨を結ぶ。



 ───まだあまり朝廷になびいていない蝦夷えみしの、ある者は住んだ地を朝廷に明け渡し、朝廷を慕い、帰属化し、ある者は戰場に身を投じて、賊と悪い縁を結ぶ───



続日本紀しょくにほんぎ

 天平宝字てんぴょうほうじ二年(758年)



   



 この時代、東北は奈良の朝廷ちょうていの支配がおよぶ地ではなかった。

 朝廷は、東北の支配を諦めなかった。

 蛮族ばんぞくを従え、毎年、朝廷まで貢物みつぎものを持ってこさせたい。

 それは、中国──とうがひろく諸国しょこく──蕃国ばんこくを従え、朝貢ちょうこう(貢物を持って挨拶にこさせる)させているように。


 奈良の朝廷も、従える蛮族がいる強国だと、内外に示したかったのである。


 朝廷はじわじわと、蝦夷えみしの支配する地に、城柵じょうさくを建て、新しい国、こほりを建てていった。

 蝦夷は、当然、反発をした。

 小競り合いを抜かせば、古い反乱の記録は、和銅二年(709年)、征越後蝦夷将軍せいえちごえみししょうぐん佐伯石湯さえきのいわゆが派遣された反乱に遡る。

 今より六十五年前だ。


 それ以降、ずっと、反乱続きであったか、というと、そうでもない。

 反乱のない期間もあった。

 朝廷は、かばねや、蝦夷にとって魅力的な交易品を与え、懐柔策もとったからである。


 そしてまた、新しい城柵じょうさくが建てられる。

 

 ある者は朝廷にし、ある者は、反抗の戦に身を投じる。

 蝦夷とて一枚岩ではない。


 天平宝字三年(759年)に建てられた桃生柵もむのふのきは、その十五年後、宝亀ほうき五年(774年)七月、蝦夷のほうから、攻められたのである。




   *   *   *



 真比登まひとは、縁談と夜襲があった夜、兵舎に戻ってから、眠りにつく前に、一人、悶々とした。


(なんで、佐久良売さくらめさまは、オレの疱瘡もがさを見たのに、悲鳴をあげたり、驚いたりしなかったのだろう? 見えなかったのだろうか。

 そんな、ありえない。

 気が動転していて、気が付かなかったのか。

 そんな事があるのか?

 見えたはずだ。

 なのに……。)


「けっこうよ。あたくしをここまで運んでくださり、感謝します。」


 そう言って、佐久良売さくらめさまは、オレにむかって礼をし、ちょっと困ったように、少し、笑ってくれた。

 笑って……。


小鳥売ことりめ以外に、おみなから、自然な表情で笑いかけてもらったことなんて、いつぶりだろう……。)


 小鳥売ことりめとは、真比登まひとの家で、食事のしつらえをしてくれているはたらである。


 佐久良売さくらめさまの、ちょっとだけ微笑んだ、花のように美しい顔が、真比登まひとの脳裏から離れない。

 しとやかな所作、華奢な肩、細い腕。つかのま、馬上で抱いた、衣越しの、身体の温もり。

 良い匂い……。

 目を閉じて、意識のない時の顔は、月明かりに照らされ、ただただ美しかった。


 そして、自分の頬をはたいた時の、烈火のごとき怒り。

 源に難題をふっかける時の、大蛇がとぐろを巻いたような、怖い顔を思い出す。


 あんなに美しいおみな、見たことがない。

 あんなに怖い女も。

 あんなに強い女も。


 領主の庭で、顔色悪く、気丈に、皆にお礼を告げていく姿。

 恐ろしい目にあった直後で、顔色が青白く、今にも倒れそうで。

 はっきりとよろめいた時、真比登まひとは本当は、抱き上げて、部屋の前まで運んでさしあげたかった。

 気がついたら、足が動き、佐久良売さくらめさまのそばに近寄り、


「顔色が真っ青です。よろしければ、部屋までお送りします。」


 と言っていた。

 今、冷静に思い返すと、そんな事、あの領主の娘は望まないだろう、と分かるのに。


(オレは何をやっているのだろう……。)


 真比登まひとは、ため息をつく。



 疱瘡もがさ忌避きひの目を向けなかったおみなに、初めて会った。



 正確に言えば、小鳥売ことりめは違うが、彼女は、拾った時に衰弱しすぎてて、オレを見ても、ろくな反応ができない状態だったので、除外。


 ……いや、まだ、佐久良売さくらめさまが忌避の目をむけなかった、と断定するのは、早い気がする。

 次に会ったら、やはり、近寄るな、という目で見られるのかもしれない。


(確かめたい。次に郎女いらつめに会った時の反応を。そして、もし、疱瘡もがさについて、忌避の目を向けないのなら、それが何故か、訊いてみたい。)


 自分があの怖く、気位が高そうな佐久良売さくらめさまに、そんな事を訊けるか、わからない。

 でも、その欲求が自分のなかで、大きすぎて、抑えきれない。


 真比登まひとが己の人生を、一歩前に進める為に、どうしても必要な事。

 そのように思えるからだ。


 しかし、佐久良売さくらめさまには、どうやって会えば良いのだろう?

 領主の館に行けば良いのだろうか?


 困った真比登まひとは翌朝、五百足いおたりに、


「なあ、また佐久良売さくらめさまに会うには、どうしたら良いと思う?」


 と訊いてしまった。


「あ! 真比登まひと〜。」


 と五百足いおたりはニヤニヤした。


「昨日、おみなに自分から話しかけに行って、まともに喋ってるなんて珍しい、と思っていたら!」

「オ、オ、オレだって、おみなと会話ぐらいできる。」


 ちょっと嘘である。五百足いおたりが優しい笑顔になった。


佐久良売さくらめさまなら、いつも医務室にいます。有名ですよ。医務室の怖い前采女さきのうねめって。」

「あれ? 有名?」

真比登まひとは、おみなの噂は、いつも聞き流してるでしょう?」

「……ごめん。」


 その通りなので、真比登まひとは、筋肉隆々の肩を小さくして、謝った。


「まあ、良いですよ。

 佐久良売さくらめさまに会いにいって、何か言うつもりですか? ……縁談に身代わりを立てた事を……。」


 と五百足いおたりは小ぶりな目を細める。

 真比登まひとは、プルプルと首をふった。

 まさか、自分が本当は春日部かすかべの真比登まひとで、怖いと評判のあなたと縁談するのがイヤで、みなもとを身代わりにたてました、なんて言えない。


(オレと五百足いおたり、仲良く斬首になってしまう……!

 それに、そんな佐久良売さくらめさまを傷つける事、言えない。)


 真比登まひとはひどく、この偽りの縁談を後悔していた。


「違う。そんな事は言えない。ただ、訊いてみたい事があるだけさ。」


 と真比登まひとは、朝の稽古を抜け出した。


「こらー!」


 と五百足いおたりの怒る声が背中に聞こえたが、真比登まひとは知らんぷりをし、足取り軽く逃げ去った。

 ちなみに、顔の左半分を、直垂ひたたれで隠すことはしていない。

 疱瘡もがさをさらして、佐久良売さくらめさまに会いにいくのだ。




    *    *   *




 磯城島しきしまの  大和やまとの国に


 ひとさはに  満ちてあれども


 藤波ふぢなみの  思ひまつはり


 若草の  思ひつきにし


 君が目に  恋や明かさむ


 長きこの





 式嶋之しきしまの  山跡之土丹やまとのくにに  

 人多ひとさはに  満而雖有みちてあれども

 藤浪乃ふぢなみの  思纒おもひまつわり

 若草乃わかくさの  思就西おもいつきにし

 君目二きみがめに  戀八将明こひやあかさむ

 長此夜乎ながきこのよを





 (磯城島しきしまの)大和やまとの国に、人はたくさんあふれているが、(藤浪の)思いがまつわりつき、(若草の)思いがついて離れない、(それはあなた一人だけだ。)


 あなたの目に、オレを映して欲しい。

 あなたに恋い焦がれ、オレは夜を過ごすのだろうか、長いこの夜を。




 

 万葉集  作者不詳  






   


↓挿絵です。   https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330669048842319

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