第八話  とことめしつも

 真比登まひと、十七歳。


 真比登まひとは、鎮兵ちんぺいとして、陸奥国みちのくのくにの多賀郡たがのこほりにいた。


 真比登まひとは、力が強く、剣も、ほこも、人から教われば砂地が水を吸うように、すぐに自分のものにした。

 やがて、一度ひとたび大刀たちまじえれば、年上であろうと、身体の大きい相手であろうと、圧倒するようになった。

 その武勇で鎮兵のなかで綺羅星きらぼしの如く存在感を示していた。


 もちろん、鎮兵のなかでも、真比登まひと裳瘡もがさを忌避したり、からかう者もあった。

 しかし、真比登まひとは、にっこりと笑い、丁寧に挨拶をして、全てわかってもらった。

 この場合の挨拶は拳をもってする。


 いつしか、真比登まひとのまわりで、疱瘡もがさについて何か言う者はいなくなった。


 ちなみに、おみなと話すのは、ちょっと苦手だった。おのことは、勝手が違ったからである。


 と言っても、鎮兵として暮らすなかで、ほとんど、おみなと会う機会はない。


 休日、郷の市へ、仲間とともに繰り出す時は別。

 行く先々で、おみなと言わず、おのこと言わず、真比登まひと疱瘡もがさは、忌避きひの目で見られた。


 真比登まひとは上品にふるまっているだけだ。

 真比登まひとがいったい、この郷人さとびとたちに、何をしたと言うのだろう……。


 そう、言いしれぬモヤモヤとした、ちいさな怒りが、いつも真比登まひとの胸の底を焼いたが、自分が疱瘡もがさ持ちなのがいけないのだろう、と、真比登まひとは、ぐっと我慢した。

 えやみは大流行したのだから、疱瘡もがさ持ちは時々、見受けられたが、数は多くなかった。

 疫にかかると、よっぽどの金持ち以外は、薬草など煎じて飲めぬ。

 疫にかかってしまえば、人はコロリと命を落とすのだ。


 真比登まひとは、堂々としていたかった。

 その頃は、まだ、顔を隠さず、郷を歩いていた。

 




 一月。


 雪深く、風はなく、月明かりが煌々と白い大地を照らす、夜。


 年上の兵士が、


真比登まひとも、遊浮島うかれうきしま色里いろさと)へ行こうぜ!

 こんな寒い日は、遊行女うかれめの柔肌で温めてもらうと、最高だぜ。」


 と誘ってきた。


「でもオレは……。」


 と真比登まひとがモジモジすると、


「なあに、向こうも商売だ。うんと代金を弾んでやれば、向こうもニッコリさ。

 真比登まひとだって、大人になって良い年だろ?」


 と言う。

 真比登まひとは十七歳だが、さとおのこは、十六歳で歌垣うたがきに行き、おみなを知るのが普通だ。


「よ、よ、よーっし……。」


 と真比登まひとは、顔を半分、直垂ひたたれで隠して、初めての遊浮島うけれうきしまへ、期待でソワソワしながら、仲間と一緒に繰り出したのである。


 結論から言えば、この、年上の兵士の見通しは、甘かった。

 郷ではさんざん、忌避きひの目で見られている事を重々わかっているはずの真比登まひとの見通しもまた、甘かった。

 十七歳。若かったのである。


 部屋で遊行女うかれめと二人きりになり、真比登まひとがおずおずと、


「あの……、オレ……。」


 と直垂ひたたれをとった途端とたん


「イヤ───っ! 化け物! こっちに来ないで! あっちに行け! あんたみたいな疱瘡もがさ持ちと率寝ゐね共寝ともね)したら、商売ができなくなる!」


 遊行女うかれめは恐ろしい悲鳴をあげ、あろうことか、重い火鉢を真比登まひとに向かって投げつけたのだ。

 火鉢は右のこめかみにあたり、ごつん、と重い衝撃が真比登まひとに走った。


(あ……!)


 身体が震えた。


(この屎女くそおみな……!)


 わななき、握りしめた拳が震え、初めて、本気でおみなを殴りたい、と心の底から思った。

 拳が震える。


浮刀自うきとじ(色里の女将おかみ)───ッ!」


 真比登まひとは立ち尽くし、何もしていないのに、おみなは勝手に壁際まで逃げ、追い詰められた鼠のように泣き叫んだ。

 おみなは、真比登まひとより、少し年下だった。

 ……生きていれば、小真須売こますめと同じくらいの。


小真須売こますめ……!!)


 真比登まひとの大事な同母妹いろもの顔が、さっ、と鼠のようなおみなの顔に重なった。

 もしかしたら、小真須売こますめも、人買いに売られ、このようにおのこの相手をさせられ、いつ客に殴られるかわからない、そんな辛い日々を送っていたかもしれなかった。


 殴れない。


 真比登まひとは力が強い。

 この怒りのまま殴ったら、本当に殺してしまう……。


 騒ぎになり、駆けつけた浮刀自うきとじ真比登まひとに、


「お代金は全てお返しします。益荒男ますらおである兵士さま。あなた様におつけできる遊行女うかれめのご用意は、ないのです。何も言わずにお帰りください。」


 と頭を下げたので、真比登まひとは本当に一言も喋らず、唇を噛み締め、浮刀自うきとじから返された塩壺しおつぼを受け取り、逃げるように遊浮島うかれうきしまを飛び出した。







 みじめだった。






 よろよろと、気心のしれた仲間のもとへ、戍所じゅしょへ帰った。 

 ちょうど、庭で焚き火を囲み、何人か土の地べたに座り、浄酒きよさけを呑み、楽しそうに唄をうたい、手を叩いていた。


「よう、混ぜてくれよ。ほら……、塩。浄酒のつまみにしようぜ。」


 と真比登まひとは塩つぼを渡し、地べたに座った。

 隣に座っていた兵士、吉麻呂よしまろが、人好きのする笑顔で、


「おう、呑め、真比登まひと。」


 と、浄酒きよさけを注いでくれた。


「ああ……。」


 吉麻呂の気遣いにぼんやりと返事しながら、真比登まひとはちびちびと浄酒を呑んだ。

 真比登まひとの胸をくらい思いが次々と去来した。


 怪力の真比登まひとがその気になれば……。

 この先いつか、兵舎を出て、家を買い、はたらを市で買ってくれば……。

 

(……いや、オレは泣き叫ぶおみなを無理やり抱くのは、嫌だ。)


 そんな可哀想なことは、したくない。

 真比登まひとにも、誇りがある。それが崩れたら、生きていけない。黄泉にいる家族に顔向けできない……。


おみなわらはには手をあげない。大真須売おおますめ姉ちゃんとのうけひ、あやうく破るところだった。破らなくてすんで、良かったなぁ……。)


 ぱちぱち、爆ぜる焚き火を眺めながら、真比登まひとは、


(ああ、そういう事は、オレは、ずっと一人なのか。このような疱瘡もがさ持ちなど、この先、どんなおみなが本気で、抱いてほしいと願ってくれるというのだろう。

 そうか、一人なのか……。)


 と、腹の深いところで、すとん、と理解した。

 仲間がうたう。



「※高濱たかはまの  下風したかぜさやく


 いもひ  妻と言はばや


 醜乙女しことめしつ



(高浜の下風が淋しい音をたてて吹く。

 こんな夜にはおみなが恋しく、一夜だけの妻が欲しい。

 醜い乙女や、いやしいおみなでもかまわない。)」


 ははは……、と皆が唄に笑うなか、


醜乙女しことめしつも。抱けるものなら。

 オレは、そんなおみなさえも抱けない。)


「うっ……。」


 真比登まひとは膝に顔をうずめ、すすり泣いた。


(なあ、小真須売こますめ。こんなオレにも、幸せは、見つけられるのだろうか?)


「くあぁ……!」


 こらえきれず、真比登まひとは大泣きした。






 それ以来、真比登まひとは、おみなに期待するのを、やめた。おみなと会う場所に行くときは、必ず顔の疱瘡もがさ直垂ひたたれで隠し、それでも、おみなと話すのが、怖くなった。

 


 またあのような態度をとられたら、次こそは、おみなを殴り殺すかもしれない。


 真比登まひとはそのような自分をも、恐れたのである。






 ───お兄ちゃん、あたし達のぶんまで、幸せになってね───


 同母妹いろもの最後の願い。兄なら、叶えなくては。

 生き残ってしまった兄は、その、どこにあるか分からない、良くわからない小さな光を、探さなければいけない───。


 真比登まひとは今も、その幸せを探し続けている。







   *   *   *




 ※参考

 古代歌謡集  日本古典文学大系  岩波書店


 醜乙女しことめは、醜く若い女。

 しつは、いやしい女──こういう言い方は嫌ですが、家婢かひ、家につかえる奴婢ぬひ(奴隷)が存在する時代です。この物語では、働きとあらわしています。

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