第七話  ほほづきのいろも

 真比登まひとは思い出す。

 幸せだったわらはの頃を……。

 あの頃はまだ、真比登まひとに醜い疱瘡もがさはなかったし、これほど、おみなと話すことが苦手ではなかった。





「ワーホイ、ワーホイ、鳥追いだー、鳥追いだー。

 白稲しろちねねらはり、かもかもころはえ。

 かもかも、かもかも、上枝ほつえけなむ。

 ワーホイ、ワーホイ、鳥追いだー、鳥追いだー。


(ワーホイ、鳥追いだ、白い米を狙った鳥、好きなだけ叱りつけよ。

 好きなだけ、好きなだけ、上の枝に(刺して)引っ掛けるぞ。)」


 ぱんっ、ぱんっ、木の枝を持って、田に群がる鳥を追い立てる。

 ちいさなわらはが、時々行う仕事だった。

 五、六歳のわらはだった頃から、オレはそれが上手で、唄って鳥を追いかけると、決まって、


「うまいぞ、真比登まひと。」


 畑仕事に精を出す父親に、明るく笑って褒められた。

 だから、鳥追いの仕事は、大好きだった。

 父は、いつも笑顔を絶やさない人だった。


 母刀自はお喋りが大好きで、川で衣を洗濯してる時も、料理をしてる時も、ずっと、口が動いている人だった。

 まだわらはの頃、嵐が怖くて、すん、すん、と泣いていたオレを、


「おや、泣き虫ね。強くなりなさい、真比登まひと。」


 と優しく笑いながら、すっぽりと抱きしめて、寝ワラで一緒に眠ってくれた温もりを、忘れない。


 一番上の長男、真名足まなたりは、頼れる兄で、いつも静かに父の手伝いをしていた。


 その下の長女、大真須売おおますめは、父に似ていつも笑顔であったが、家族全体を良く見ていて、まるでちっちゃな母刀自ははとじのようだった。


真比登まひと、おまえは力がずいぶん強いのね。」


 オレがある日、五歳年上の、真名足まなたり兄ちゃんでも持ち上げられない大岩を、えい、と持ち上げてみせたら、大真須売おおますめ姉ちゃんは、ずいぶん驚いた。


真比登まひとの力持ちは、ずば抜けているわ。畑仕事には素晴らしく役立つけど、人には使っちゃ駄目よ。

 あたし、心配だわ……。

 おまえは、おみなにも、年下のわらはにも、手を上げてはいけない。怪我をさせるだけじゃ、すまないかもしれないわ。

 今ここで、おみなにも、年下のわらはにも、手を上げないと、あたしにうけひをたててちょうだい。」

「うん、わかった、うけひするー!」


 まだ六歳だった真比登まひとが、にっこり笑ってそう言うと、


「良い子ね。」


 四歳年上の大真須売おおますめ姉ちゃんは、まるで母刀自ははとじのように、真比登まひとの頭を撫でてくれるのだった。

 あの日のうけひを、破ったことはない。


 真比登まひとの二歳下の同母妹いろも小真須売こますめは、大真須売おおますめ姉ちゃんと一緒にいる事が多かったが、年の近い真比登まひとにも、ころころと懐いた。


真比登まひと兄ちゃん、保保豆木ほほづき(ほおずき)ー!」


 橙色の保保豆木ほほづきを乾燥させた実を、ひらひら、ひらひら振って遊ぶのが、大好きな小真須売こますめ

 弾けるように笑ってくれているだけで、自分よりちっちゃな小真須売こますめは、真比登まひとの可愛い宝物だった。

 真比登まひとは力持ちだったので、良く、小真須売こますめを持ち上げて抱っこしてやった。

 すると、


「きゃっ、きゃっ。真比登まひと兄ちゃん、力持ちー! だぁいすきー!」


 と小真須売こますめは喜ぶのであった。

 もちろん、真比登まひとも、いつまでも大好きだ……。



 ここ、陸奥国みちのくのくにの小田郡おだのこほり小田郷おだのさとの冬は厳しく、父は、


「あ〜ぁ、上総国かみつふさのくにに帰りてぇよー。」


 と冬が来るとよくぼやいていたが、母刀自に、


「何さっ、バカ。ごと言ってないで、さっさと働けぃっ!」


 とよく、どやしつけられていた。

 親父が子供の頃に、国の命令で、上総国かみつふさのくにの小田郡おだのこほり小田郷おだのさと郷人さとびとは、みーんな、ここに移住させられたそうだ。

 ここで生まれた真比登まひとには、親父の嘆きはわからない。


 寒い冬、家族皆で、寝ワラで、むしろ(荒い草編みの掛毛布)をかぶり、ぎゅっ、とひとかたまりになって寝る。

 すると、あったかい。

 あのあったかさがあれば、充分だったよ、親父……。




 あの日。



 秋の寒い風が、ひょうひょうと吹き付けた日。



 大真須売おおますめ姉ちゃんは、十六歳で、今年、初めて参加する、大人の歌垣うたがきを楽しみにしていた。

 十七歳の真名足まなたり兄ちゃんは、


「今年こそ、オレも妻をもらわなきゃ、かな。」


 と、意中のおみながいるのだろう、そっと微笑んでいた。


 十歳の小真須売こますめは、


保保豆木ほほづき、今年も綺麗に乾燥できた。これをかんざしにして飾りたいなぁ。」


 と、たくさんの保保豆木ほほづきを前に微笑んでいた。



 見知らぬおのこが来て、戸口で親父と長い時間、話しこんだ。

 そのおのこは、暗い目をして、手に太い紐を持ち、その紐の先は、小麻須売こますめと同じくらいの女童めのわらはの首をゆるく縛っていた。


「今なら高く買うぞ。」


 親父は、無言で戸口から振り返り、小麻須売こますめをじっと見た。

 びくり、と小麻須売こますめは身体を震わせ、保保豆木ほほづきを手から取り落とし、大真須売おおますめ姉ちゃんの後ろに隠れた。


「……今年は売らないで良い。」


 親父はそう言って、しつこいおのこに首を振り続けた。

 おのこは帰り際。


 こん、こん。


 咳をしていた。

 おのこが帰った途端、


「わあ───!」


 小麻須売こますめは泣き出した。


「いや、いや、あたし、どこにも行かない……。」


 親父と母刀自は無言だった。

 大真須売おおますめ姉ちゃんと、真名足まなたり兄ちゃんと、オレで、おびえて泣く小麻須売こますめを抱きしめて、慰めた。

 ちいさな小麻須売こますめは、いつまでもガタガタと震えていた。


 今年は、不作ではない。

 しかし、不作の年だったら。

 子供が売られ、銭に替えられてしまう事は、郷において、珍しい事ではなかった。


 おみなは、売られた先で、どのような辛い目にあうのであろう。

 震え、真比登まひとの手を握りしめ、怖さのあまり、爪をたてた小麻須売こますめの恐怖が、真比登まひとの胸にせまった。



 その夜。



 親父が、熱を出し倒れた。

 それから三日のうちに、次々と、母刀自も、兄も、姉も、熱を出し倒れた。

 小麻須売こますめを残し、真比登まひとも倒れた。

 高熱にうなされ、全身火で炙られる心地のなか、


真比登まひと兄ちゃん……。頑張って……。」


 と小麻須売こますめのちいさな手が、真比登まひとの顔の汗を布でぬぐい、水を飲ませてくれた事を覚えている。

 どれだけの時間、うなされたか。

 わからない。

 だが、真比登まひとの熱がすっかり下がったあと。

 残されていたのは、高熱で起き上がることすらできない小麻須売こますめと、それ以外、すでに黄泉に下った家族だった。


「嘘だ! イヤだ、イヤだ! 目を開けてくれ───っ!」


 母父おもちち、兄と姉、一人ひとりを抱きしめて泣いた。


「おにい……ちゃん……。」


 朦朧もうろうとしながら、小さくオレを呼ぶ小真須売こますめの声に、はっとした。


(このままでは、小真須売まで死んでしまう!

 誰か、誰か助けて……!

 なんとか、薬草を……、薬草を分けてもらおう。あがないきれない銭は、オレが一生働いてでも、返そう。)


 オレの家は、郷のはじ、ちょっと山を登った、離れた場所にあった。

 薬草を持っているかは分からなかったが、親族に会いに郷に降りていくと、親族はえやみで死に絶えたあとだった。


「誰か、誰か薬草を……、同母妹いろもが苦しんでるんだ。助けて……。」

「来るな! 疱瘡もがさ持ち!」


 助けを求めても、今まで仲の良かったはずの郷人から、石を投げられた。


 オレの全身は、疱瘡もがさにおかされていた。


 石ががつん、頭にあたり、オレは泣いた。

 家に戻り、小真須売のそばにずっとついていたが、一向に熱は下がらず、夜半やはん、ずっと意識がなかった同母妹いろもが、ふと目を開けた。


「良かった、真比登まひと兄ちゃん、目を覚まして……。良かった……。あたし達のぶんまで、幸せになってね……。」


 そう言い、ゆっくり目を閉じ、黄泉に下った。

 まだ十歳だった。


「わああああ! イヤだあああ! 死ぬな、死ぬな! 兄ちゃんを置いていくな! 逝かないでくれぇ……っ!」


 オレは小麻須売の、まだ温かい亡骸を抱きしめて、めちゃめちゃに泣いた。


(オレより幼いのに、なぜオレより先に死んだ。死ぬなら、オレの方が先じゃないのか。……幸せになってねって、幸せになるべきなのは、小麻須売こますめの方だったんじゃないのか?)


 泣いて泣いて。家族一人ひとりを抱きしめて、また泣いた。


「イヤだ、なんでオレ一人だけ、生き残ってしまったんだぁ───っ!!」

 

 オレは、泣きながら、家族の墓を家の裏手に作った。

 小麻須売こますめの好きな、保保豆木ほほづきを、墓に飾ってあげた。


 翌日、郷長さとおさの使いという者が、オレの家族が黄泉に下ったことを確認に来た。

 オレのことを、まだ死なないのか、という胡乱うろんな目で見て、帰っていった。

 それ以外、郷人は、うちに来なかった。

 当然だ。えやみが出た家には、誰も近づかない。


 オレは、この家で、ひとりで暮らそう、そう思った。


(食料のたくわえはある。

 水も、田もある。

 ひとりで、生きていけば良いじゃないか……。)






 すぐに雪がふり、冬となった。


 オレは山からおりず、誰とも会わず、墓を守り、畑仕事をし、過ごした。夜、寝る時は、寝ワラで皆の温もりを思い出しながら、ひとり眠った。

 雪が深くつもり、保保豆木ほほづきを墓に飾り。


 ───春。


 雪解けとともに、


(ああ、山を降りよう。)


 と思った。うららかな春の日差しに照らされ、ひとりで郷を出よう、と思った。


 もう、一人は、いやだ。



 この郷も、いやだ。



 どこかへ、行こう。



(母刀自。親父。真名足まなたり兄ちゃん。大真須売姉ちゃん。小真須売。

 寂しい思いをさせる。でもオレ、これ以上、ひとりではいられない。許してくれ。オレは、行くよ。)


 何か思い出のよすがを、と思ったが、家には、本当にろくなものがなかった。

 母刀自の身につけていたかんざしだって、木だし……。

 鉄でできたらい(すき)が一番、高価なものか。

 しかし、らいは持ち歩けない。

 結局、親父が黄泉にくだってから、真比登まひとがいつも身につけている、親父の大事にしていた小刀。

 それだけをよすがとして、真比登まひとは、少しの食料を持ち、その日のうちに山をくだる事にした。



保保豆木ほほづきなら、これから行くどこでだって、咲いているさ。

 ───なあ、小真須売?)



 真比登まひと、十三歳の春だった。



   

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