第六話  黄瑠璃に祈りを

 身体が上下に揺られている。


 佐久良売さくらめはこの揺れ方を知っている。

 馬だ。

 蝦夷えみしは馬を使わない。

 だからこれは、味方……。


 暗闇から意識が浮上しはじめる時、すでに佐久良売さくらめはその事をぼんやりと理解していた。


 ぽつっ。


 頬にちいさな水滴が落ちた。


(雨?)


「んん……。」


 佐久良売さくらめはつぶやき、ゆっくり目を明ける。

 暗い夜空に雨は降っていない。

 天にかかる細い三日月。

 叢雲むらくも

 自分を見下ろすおのこ

 佐久良売さくらめは馬の上で、馬を操るこのおのこいだかれている。


 おのこはなぜか、佐久良売さくらめと目があうと、びくり、と身体を揺らして、何かを怖がるような顔をした。


(誰だっけ……。ああ、殿のお供か。)


 印象が違うから、気がつくのに時間がかかった。

 顔の左を隠す、直垂ひたたれがなかったせいだ。

 左頬には、大きな疱瘡もがさ

 別に驚かない。

 顔に直垂ひたたれをかける、という事は、何か隠したいものがそこにあるのだろう、と容易に想像がつく。


(なんでそんなにおびえて……?)


「…………さっきの兵ね。あたくしの同母妹いろもは無事?」

「えっ……?」


 兵は目を見開き、驚いたようにつぶやいた。汗がすごい。


(まさか……!)


 佐久良売さくらめは、悪い予感で、ざあっと目の前が暗くなった。


「無事なの? 隠さずに言って!」

「無事です。あなたがさらわれた後、すぐに兵が保護しました。傷ひとつございません。ご安心ください。」


(良かった……!)


 安心で力が抜ける。


「そう……。良かった。ありがとう。」


 ふう、と息をつく。

 都々自売つつじめが無事なら、それで良い。

 ……しかし、そう思った後、この兵にむらむらと怒りが湧いた。


(驚かせるような反応をして! 早く、無事ですって言えば良いじゃない! まさか、あたくしが先程ひっぱたいたから、腹いせ?)


 ……でも、今はもう、文句を言う気力もなかった。

 ひどく疲れ、倦怠感で身体に力が入らない。

 それに、このおのこも、曲がりなりにも、佐久良売さくらめを蝦夷から救ってくれた兵の一人に違いなかった。感謝してる……。


 佐久良売さくらめを馬上で抱く腕が、逞しく、男らしい力強さに満ちている事を感じながら、佐久良売さくらめは、今は目をつむり、それ以上喋らず、身体のちからを抜いた。

 

(……本当に怖かった。怖かった……。)


 ぐったりと疲れていたのである。









 桃生柵もむのふのき領主の屋敷についた。すでに鎮火ちんかされていた。

 庭に、おおくの人々が心配して集まっていた。

 佐久良売さくらめを乗せた馬が庭で止まると、福耳のが、さっと近ずいてきて、


「さ。」


 佐久良売さくらめの腰に手をやり、下馬するのを助けてくれた。

 は、丁寧に佐久良売さくらめを地に降ろしてくれ、爽やかな笑顔を佐久良売さくらめに向けた。

 だが、佐久良売さくらめがお礼を言う前に、


「お姉さま! よくご無事で!」


 すぐに、涙を流した都々自売つつじめが、わっ、と佐久良売さくらめに抱きついてきた。


「あたくしをかばって……、あああん!」

都々自売つつじめ……、心配かけたわ。怪我はない? 血は見なかった?」


 佐久良売さくらめは、可愛い同母妹いろもに微笑み、その温かい身体をそっと抱きしめた。


「大丈夫ですわ! お姉さまこそ、怪我はありませんの?」

「ないわ。」


 きゅっ、と都々自売つつじめ佐久良売さくらめを強く抱いてから、身体を離した。

 にっこりと微笑み、首元の透明な黄色の首飾りに手をやった。


「お姉さまからいただいた、この黄瑠璃きるりの首飾りに、無事をお祈りしておりました。お姉さまは、緑瑠璃みどりるりの首飾りをいつもなさってるから。きっと、通じたのね。」

「あ……、ごめんなさいね、実はあの緑瑠璃みどりるりの首飾り、失くしてしまったの。」


 大切な緑瑠璃の首飾り。いつも身に着けていた。ただし、医務室に行く時はのぞいて。

 せめて緑瑠璃の首飾りだけでも、血の匂いのするあの場所から、遠ざけておきたくて……。


 都々自売つつじめ佐久良売さくらめの首元を見た。

 佐久良売さくらめの首元には、桜色の小さなぎょくを連ねた首飾りが控えめに輝きを放っていた。


「そうですか……。」


 都々自売つつじめは、しゅん、と残念そうに唇をつきだした。

 お父さまが涙目で、


「良かった。本当に良かった。すぐに助けだしてもらって。怪我はないんだな? 何ともないんだな? 怖い思いをしたな。」


 と佐久良売さくらめの手を握った。


「はい、大丈夫ですわ。お父さま。」


 と手を握りかえす。お父さまは何度も頷き、手をはなし、さまの方を向いた。


殿。このご恩はけっして忘れません。ありがとうございます。佐久良売さくらめに万一の事があったら私は……、ううう……。」


 と鼻をすすりながら、礼の姿勢をとった。

 佐久良売さくらめも、同母妹いろもからそっと離れ、


。このたびは、賊にさらわれたところを助けていただき、深く感謝申し上げます……。」


 と礼の姿勢をとった。横では、都々自売つつじめも同様に礼の姿勢をとっている。


「はい、あの……。」


 なぜか、殿の目が泳いだあと、


「良かったです。ご無事で救いだせて。」


 と福耳の殿は笑顔で言った。

 佐久良売さくらめはまだ、感謝を伝えたい人がいる。


塩売しおめ。よく都々自売つつじめを守ってくれました。

 あなたが、あたくしが賊の手に落ちた時、都々自売つつじめが声を出さないようにしてくれたのではないかしら? 感謝するわ。」


 都々自売つつじめ乳姉妹ちのえもである塩売しおめは、涙目で、


「当然の務めでございます。佐久良売さくらめさま。もったいないお言葉です……。ご無事でよろしゅうございました。」


 と礼の姿勢をとった。


若大根売わかおおねめ。危険な使いをさせたわね。あなたも怪我はなかった?」


 佐久良売さくらめが優しく、己の女官を見ると、若大根売わかおおねめは無言でボロボロと泣いている。


「ありまぜぇん……。ざくらめざまぁ……。」

「まあっ、困った子ね。」


 佐久良売さくらめは苦笑し、十七歳の若大根売わかおおねめを抱きしめた。


「心配かけたわね。」

「しん、ぱい、……しましたっ! びええええん……。」


 可愛らしい泣き声に、見守る人々が、なごやかな顔になる。

 佐久良売さくらめは優しく若大根売わかおおねめの背中をたたき、身体をはがす。


 そこで、気が緩んだ。

 ふらり、と佐久良売さくらめはよろめいた。

 若大根売わかおおねめが、


佐久良売さくらめさま!」


 と、慌てて支える。


「大丈夫、大丈夫よ……。」


 そこで、さっと一人の兵が近づいてきた。顔半分に直垂ひたたれを垂らした兵だ。佐久良売さくらめの顔をまっすぐ、右目だけで見て、


「顔色が真っ青です。よろしければ、部屋までお送りします。」


 と言った。


(何かしら? ずいぶん図々しい兵ね……。あたくしに、顔をひっぱたかれたくせに。)


 心配されてるのはわかった。悪い気はしない。

 佐久良売さくらめは苦笑した。


 佐久良売さくらめを助けた手柄は、兵を率いた殿のものだが、この兵にも、馬で運んでもらった恩があるだろう。


「けっこうよ。あたくしをここまで運んでくださり、感謝します。」


 その直垂ひたたれの兵にも礼の姿勢をとった。


(あたくしは倒れてるわけにいかない。

 明日も、医療の務めが待っているんだもの。しっかりしなきゃ。あたくしは自分で歩けるわ。)


「皆さま、味澤相あじさわふをや。(さようなら)」


 別れの挨拶をすると、若大根売わかおおねめが手を差し出してくれたので、その手を握る。

 父上と都々自売つつじめも、左右からつきそってくれた。


里夜りやは?」

「無事に……。」

「良かったわ……。」


 佐久良売さくらめは背筋を伸ばし、すこしふらつく足取りで、自分の部屋に帰っていった。





   *   *   *





 佐久良売さくらめさまが完全に見えなくなってから、背が高くすらりとし、福耳の立派な若者、みなもとはうなだれ、


「オレ、感謝されるのが辛いって思ったの、はじめてだよ。佐久良売さくらめさまを助けたの、オレじゃなくて、本当は真比登まひとなのにさ……。」


 と言った。

 佐久良売さくらめさまが消えた方向を、じっと見ていた、少し背が高く、筋肉隆々の真比登まひとは、みなもとに向き直り、


「悪いな。気に病むな。おまえは何も悪くない。」


 と源に笑いかけた。中肉中背、穏やかな目つきの五百足いおたりがそばに来て、


「今頃、縁談の場で郎女いらつめから断られて、ケリがついてる計算だったんだがなぁ……。

 源、すまんが、こうなった以上、しばらく桃生柵もむのふのき領主と郎女いらつめの前では、真比登まひとのフリを続けてくれ。

 ……なんだか、噂されるほど、悪い人じゃなさそうだったから、だますのは心苦しいな。

 だが、源があれだけ博識はくしきだったから、あの態度なんだと思うぞ。

 真比登まひとが縁談に行ってたら、意地悪な質問で、目も当てられなかったはずだ。

 お前の功績さ。」


 と源の肩をたたいた。


「……うん。」


 源は元気なく、返事をした。

 大柄で、がっちりした身体つき、四角い顔につぶらな目の熊手くまてが、


「引き上げようぜ。いつまでも少領しょうりょうの屋敷の庭にいても、しょうがないだろ。」


 と明るく言う。


。」

「そうだな。」

「うべなうべな。(そうだそうだ)」


 つどった兵士達が思い思いに返事をする。

 五百足いおたりは、おみなに自分から声をかけにいった真比登まひとを、珍しい、とからかおうとして、真比登まひとの表情の切なさに、言葉を呑み込み、そのまま、そっと、庭をあとにした。


 兵士たちが次々と屋敷の庭を出てゆくなか、真比登まひとは最後まで、じっと、佐久良売さくらめが消えた方角を見ていた。





   *   *   *




 若大根売わかおおねめ土器土器日記どきどきにっき


 お姉さまへ。


 今日から、あたし、このふみ土器土器日記どきどきにっきと名付ける事にしたわ。

 何故か?

 気分よ!

 なぜかこの言葉が、あたしの胸に空から舞い降りてきたの。


 お姉さま、今日は、沢山のことがありました。

 なんと、領主さまの館にまで、賊が侵入し、あたしが兵士を呼びにいってる間に、佐久良売さくらめさまが、賊にさらわれてしまったのです!

 安心して。

 すぐに、兵士が無事、助けだしてくださったわ。

 佐久良売さくらめさまは、お可哀想に、ひどくお疲れのご様子で帰ってきました。

 それでも、一人で兵を呼びに行ったあたしのことを、ねぎらってくださったの。

 あたし、もう大泣きです。びーびー泣いちゃいました。

 

 佐久良売さくらめさまを助けだしてくださったのは、なんと、今日、縁談をしていたお相手の、春日部かすがべの真比登まひとさま。

 佐久良売さくらめさまは、いつものように、縁談を断わる暇がなかったのよ。

 だから、この縁談を断ってないの。


 運命かしら?

 運命よぉぉぉ!!


 あたしは、そう思います。

 お相手の、春日部かすかべの真比登まひとさまは、郷人さとびと出身なんだけど、軍監ぐんげん殿で、とにかく武勇がすごいんですって。

 建怒たけび朱雀すざくって、兵から慕われているそうよ。

 すごい派手な名前よね。

 でも実物は、整った顔立ちで、愛らしい印象だったわ。

 背も高いし、にこって笑った笑顔が、とっても明るくて。

 なんか難しい問答もすらすら答えて、その流れで佐久良売さくらめさまを、ちゃっかり、美しいって言ったのよ〜! 

 佐久良売さくらめさまが、あんなに赤面なさったのは、初めて見ました。

 掘り出し物!

 これは掘り出し物ですわ、お姉さま。

 あたしは、うまくいくと良いと思います。

 

 でも一つ、叱ってほしいの。

 佐久良売さくらめさまの、大事な首飾り、どうやら失くしてしまったのです。

 お姉さまのお叱りの声が聞こえてきそうです。

 えーん、許して、お姉さま……。







 若大根売わかおおねめより。












 ↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330668071219528

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