捨て犬

口羽龍

捨て犬

 一郎(いちろう)は落ち込んでいた。あれだけ大切に育てた犬を手放さなくてはならなかった。付き合う事になった裕美子(ゆみこ)は犬が嫌いで、付き合う時は犬を捨ててほしいと言っていた。残念だけど、裕美子と一緒になるには、手放さなければならない。残念だけど、お別れしなければならない。別れによって、人は成長していくのだから。


「ごめんな、もう飼えなくなったんだ」


 だが、犬にはその理由がわからなかった。人の言葉が理解できないからだ。


「本当にごめんな。新しい子が見つかるといいな」


 一郎は犬の頭を撫でた。犬は嬉しそうだ。だが、もうすぐ別れてしまう。その事を、犬は全く知らなかった。


「はぁ・・・。新しい彼女、犬が嫌いだからな」


 一郎は犬をのせて車に乗った。目的地はここから少し歩いたところにある公園だ。ここに置いておけば誰かが拾って、買ってくれるだろう。そして、新しい飼い主に可愛がってもらったらいいな。


 一郎は公園にやって来た。公園には誰もいない。もうみんな帰ったようだ。ここなら捨てても大丈夫だろう。


 一郎は公園の端に、段ボール箱に入った犬を置いた。だが、犬は抵抗しない。何をしているんだろう。全く理解できなかった。


 段ボールを置くと、一郎はすぐに車に乗り、公園を後にした。一郎は泣いていた。本当は捨てたくなかったのに、裕美子のせいで。だけど、裕美子と結婚するためだ。


 一郎が帰ってくると、部屋には明かりがついていた。裕美子が来ているようだ。まさか来るとは。


 一郎は部屋の入り口を開けた。するとそこには、裕美子がいる。犬がいなくなったためか、裕美子はほっとしていた。


「あっ、一郎くんおかえり」

「ただいま」


 一郎は笑みを浮かべた。これで裕美子と一緒になれる。末永く一緒に暮らそう。


「犬は捨てたの?」

「うん。残念だけどね」


 一郎は残念がった。あれほど大切に育てた犬と生き別れてしまったからだ。だが、裕美子はほっとしている。やっと犬を手放す気になってくれたからだ。


「新しい飼い主に巡り合えるといいね」

「ああ」


 裕美子は何かを考えた。それは、2人のマイホームだ。結婚したら、マイホームが欲しいな。そして、子供に恵まれて、幸せに過ごすんだ。


「これから一緒に暮らしていくけど、いつかはマイホームが欲しいよね」

「もちろんさ」


 一郎も思い浮かべていた。こんな狭いマンションよりも、マイホームの方が居心地がいい。


「私はもう帰るわ。おやすみ」

「おやすみ」


 そして、裕美子は帰っていった。一郎は出ていく裕美子を見つめていた。明日も会いたいな。そして、いつの日かプロポーズできるようにしたいな。


 一郎は下を向いた。1人の夜なんて、何年ぶりだろう。犬がいた時には全然孤独を感じなかった。なのに、いなくなると孤独を感じてしまう。犬はどれだけ大切な友達だったのか、理解できた。だが、明日からは裕美子と一緒にいる時間を増やせばいいか。


 一郎は夜景を見ていた。見えないけれど、公園には犬がいるんだろうか? もう新しい飼い主に巡り会えたんだろうか? 巡り会えたらいいな。


 一郎はマイホームで過ごす裕美子との生活を思い描いていた。結婚して、子供に恵まれて、子供が独立して、それからも一緒に過ごし、ともに天寿を全うする。これが最高のシナリオだ。


 一郎は缶ビールを冷蔵庫から出した。明日も休みだ。ゆっくり過ごそう。明日は裕美子とのデートだ。楽しみだな。どこに行こう。まだ決めていないけど、いい日にしたいな。


「はぁ・・・」


 一郎はお酒を飲んでいい気分になった。犬と生き別れた辛さを忘れる事ができそうだ。つらいけど、乗り越えなければ。


 次第に一郎は眠くなってきて、寝入ってしまった。それから先の事は、全くわからない。


 一郎は頭が痛くなって、目を覚ました。一郎はうなっていた。あまりにも頭が痛い。酒を飲んだら頭が痛くなるが、これは普通の痛みじゃない。何だろう。


「うーん・・・」


 一郎は辺りを見渡した。そこは犬を捨てた公園だ。あれ? マンションの部屋にいたはずなのに、どうして公園にいるんだろう。まさか、公園に連れ去られた? いや、そんな事はない。きっと夢だろう。


 と、そこに一郎がやって来た。あれ? 俺は一郎なのに、どうして目の前に一郎がいるんだろう。


「もういらないから、捨てちゃお!」


 犬を捨てた時のセリフだ。まさか、自分が犬になった夢だろうか? だが、それは夢だ。起きたら、俺は人間だ。普通にマンションの部屋で暮らしている。全く気にしない。


「そんな・・・。そんな・・・」


 だがその声は、一郎には届かなかった。というよりか、一郎には彼の声がわからないようだ。まるでうちの犬のようだ。


「ゆ、夢か・・・。あれっ、ここはどこ?」


 と、一郎は目を覚ました。マンションに戻って来たんだな。そう思っていたが、ここは公園だ。まさか、本当に犬と入れ替わってしまったんだろうか?


「まさか、犬を捨てたとこ?」


 一郎は思った。公園にいるんだ。マンションの部屋に戻ろう。今日は裕美子とのデートの日だ。


「どうしてここにいるんだろう。マンションに戻ろう」


 一郎は公園からマンションに向かった。だが、歩いているうちに、何かに気が付いた。地面やアスファルトがいつもに比べて近い。まるで犬の視点に立ったようだ。まさか、自分が犬になったんだろうか? いや、そんな事はない。そんなの、ありえない。


 1時間歩いて、ようやくマンションに着いた。なぜか歩幅が小さい。おかしいな。まるで犬のようだ。


「ここだな」


 一郎はマンションに入ろうとした。だが、そこから1組のカップルが出てきた。一郎と裕美子だ。まさか、2人のデートする所を見るとは。


「あれ? 俺がいる・・・」


 一郎は呆然としていた。どうして自分が2人もいるんだろう。やはり、自分が犬に変えられた?


「あれ? この一郎、何かがおかしい・・・」


 だが、よく見ると、裕美子と一緒にいる一郎の頭やジーパンから何かが出ている。頭から耳、ジーパンから尻尾が出ている。まさか、一郎と犬が入れ替わったのか?


「えっ、耳? 尻尾?」


 ふと、一郎は自分の手を見た。するとそこには、犬の手がある。その時一郎は確信した。犬を捨てたために犬にされたんだと。


「まさか、俺が犬? そ、そんな・・・。捨てなければよかった。誰かに譲ればよかったかもしれない・・・」


 だが、後悔しても無駄だ。もう自分は人間に戻れない。新しい飼い主が来るまで、野良犬として過ごさなければならない。理由は知っている。だけど、もう過去は戻ってこない。


 自分の横を、一郎と裕美子が幸せそうに通り過ぎていった。

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捨て犬 口羽龍 @ryo_kuchiba

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