ノスタルジック・シンドロームの黄昏

彁面ライターUFO

ノスタルジック・シンドロームの黄昏


 ようやっと違和に気づいて顔を上げる。

 

 茜色に目を細めながら顔を上げると、そこは、広く海を見渡せる知らない下り坂だった。

 

 

 散歩をしようと外に出てから、かれこれ二十分弱は歩いただろうか。よく行くコンビニやコーヒーの美味しい喫茶店を素通りして、風が吹く方へと、ただ流されるままに。そうやって、右も左も前も後ろも気にせず歩いてきた結果、こんなところに辿り着いてしまっていた。

 

 ざぁ……と、静かな波の音がここまで聞こえてくる。耳のすぐ側を吹き抜ける風のくぐもった音や、ガードレールの下でタンポポ同士がぶつかる音。トレンチコートが擦れる音や、カラスたちの鳴き声。

 あぁ、地球だな……と思える音だけが、耳心地よく響いている。そこには、ブルブルと振動するエンジン音や、革靴とかピンヒールにつつかれる地面の音、じゃんけんで負けた小学生が、勝った子のランドセルを右肩と左肩に背負って走っていく音などは、一切なかった。

 

 夕方五時。あるいは六時。

 薄いオレンジと薄い紫の境界線が、海のはるか向こう……自分の目線の高さと同じぐらいの位置で広がっている。それを分断する高速道路と、楽譜みたいな電線の仄暗い影。けれど、そこに命は通っていない。まるで、色の抜けた虹みたいに、空っぽ。そんな世界に、自分は今取り残されている。気づいた時には、もう下り坂は終わっていた。

 

 

 

 『ノスタルジック・シンドローム』。

 

 まるで白昼夢のように、自分以外の人が消えた世界に取り残される現象。時間が止まったとか、異世界に飛ばされたとか、そういうものではなく、単純に、人間だけが消失するのだ。……どこかで、誰かからそういう風に教わった。

 意識を失った人の夢だとか、走馬灯だとか、幽霊からの導きだとか、色々なふうに言われている。ただ、それを経験した人は皆口を揃えて言う。そこは、「記憶の中にあるような無いような世界だった」と。貧血の時に見る景色みたく曖昧で、色褪せた世界の中。どこともつかぬ記憶の、でもどこかで覚えているはずの記憶の、そんな光景を彷徨うのだ。

 

 今、目の前に広がっている景色は、まさにそんな感じ。見たことがあるような気もするし、初めて来た場所のような気もする。けど、いつからそれが始まっていたのか、全く分からない。コンビニを曲がった所からか、それとも喫茶店の窓をふと覗き見た後、静かに視線を外した時からか。いつから、人の声が聞こえなくなっていったのか。いつから自動車や家電の音がフェードアウトしていったのか。そうした違和の積み重ねを経てやっと自分自身の状況に気がついたのが、ついさっき。手を取るようにここまで導いてくれていたはずの風は、いつの間にかしょっぱい香りのする海風に変わっていたのだった。

 


 『止まれ』の標識が、薄い雲をまとう半月をちょうど隠す。ふと視線を下げると、子供たちを失った寂しい公園が目に留まった。コバエまみれの街灯に照らされた背もたれつきのベンチ。湿った色の砂場。雨粒でも落ちたかのように凹んだ銀色のすべり台の面は、空の色彩を反射してゆっくりとその姿を移り変わらせている。手をふる銀杏の木々のざわめきは、音のなくなった世界のためにそっとバックミュージックを奏でてくれているようで、思わず聞き入ってしまった。

 色と、音と、空気。その全てが関わり合って、調和して、一つの景色を作り上げている。自分も、その調和に溶け合っているような感じがして、何となく抜け出しがたかった。

 

 

 『ノスタルジック・シンドローム』から抜け出す方法は一つ。

 外界から、誰かしらがコンタクトを取ることだ。

 

 例えば、「ねぇ、今日って暇?」という連絡。「いつまで寝てるの? そろそろ起きないと」という声。「すみません、ちょっと道をお聞きしたいのですが……」という呼びかけ。

 何でもいい。とにかく、誰かが自分を必要として、コンタクトを取ろうとさえすれば、それで一人ぼっちの世界からは抜け出すことができるのだ。

 

 だから、日頃から人との関わりが絶えない人は、『ノスタルジック・シンドローム』に迷い込まない。逆に言えば、そうじゃない人たちこそが迷い込む世界なのだ。例えるならば、世界の全てが一瞬だけ、自分自身のことを忘れてしまうように。世界と自分とのつながりが切れた瞬間、その人は透明になる。だから、その途切れた糸を、たった一人でも思い出して手繰り寄せてくれたならば、その人は色彩を取り戻す。自分のいる世界へと戻ることができる。……逆に、糸が途切れている間、その人は外界から遮断されたままになってしまうのだ。

 

 踏切に差し掛かった。耳をすましても、電車の音は全く聞こえてこない。ずっと開きっぱなしのその境界線にそっと足を踏み入れる。右手側の線路は、奥のショッピングモールに沿うようにゆったりとカーブを描いている。一方の左手側は、住宅に挟まれて真っ直ぐ、どこまでも真っ直ぐに続いている。それはまるで、地平線の彼方にまで続いているかのようで、少し怖い。

 でも、心のどこかで、その先へと足を運んでみたいと思う自分もいて。……しばらく立ち止まったけれど、結局、何をするでもなくその場を後にした。手を上げたままの遮断機が、ポツンと一人……いや、二人でそこに佇んでいた。

 

  一人でいることは、前から多かった。

 別に人との関わりがなかったとか、ハブられてるとか、子供のころ友達の輪に入れず一人で三角座りしてたとか、そういう訳ではない。それなりに友達は居たし、家族と仲が悪い訳でもないし、バイト先の先輩や後輩たちともうまくやれている。……それでも、一人になることは多かった。

 寂しいとか、不安とか、そういうネガティブな気持ちは感じてこなかった。むしろ、一人は好きだ。……でも、世間はそれを"強がり"とか"自虐ネタ"だとか、勝手に決めつける。「人は一人では生きていけないから」と、そう信じきって、怖がるように"孤独"を避ける。

 

 ……まぁ実際、人は一人では生きていけないのかもしれない。

 例えば、一人暮らしで自炊をするにしたって、その材料となる食材を作ってくれる人は、恐らく別にいる訳だし。もっと言えば、それを調理する器具を作ってくれる人、それらを調達する店にいる店員、作り方を教えてくれる人。もしその全てが欠けていたならば、自炊なんて到底できやしないだろう。生活の全てを自分一人で何とかするというのは、人間だけじゃなく、全ての動物にとって不可能なことなのかもしれない。

 

 年季の入った石塀から、ヒョイッと一匹の三毛猫が現れ出た。どうやら、消えるのは人間だけらしい。……そういえば、カラスが鳴いてたり、タンポポが揺れてるのを見たな、とふと思い出す。三毛猫は、こちらをしばらく見つめ返した後、興味なさげに塀を飛び下りて向こうへ行ってしまった。あの子は、一人なのだろうか。

 

 でも、「一人では生きていけない」というのは、ただの屁理屈に過ぎないとも思う。調理器具を作っている人の顔なんて見たことないし、店員が居なくたって、セルフレジや通販で物は買える。あくまで関わり合いやコミュニケーションという観点に絞って考えれば、人は案外一人でも生きていけるものだ。現に自分は今、人が消えた世界でもう小一時間ほどぶらぶらと散歩を続けている。……まぁ、これが"生きている"というのに入るのかどうかは、微妙なところだけど。

 

 

 パチ、パチ……と音がした。

 電柱にくっついた街路灯から聞こえてくる音だった。蛍光灯が切れかけているのか、蛾とかハエが寄り付く度に明滅を繰り返している。ふと足元に目をやると、電柱とアスファルトの隙間から伸びたネモフィラみたいな小さな花を見つけた。街路灯を太陽と勘違いしているのか、パッと灯りに照らされる度に、ユラユラと嬉しそうに顔を輝かせているように見えた。

 あの街路灯の光は、虫たちや花にとって必要な存在なのだろう。

 

 一人暮らしをはじめてから、もう六年になる。

 でも、友達や家族を家に招き入れたことは、一度もなかった。

 友達の家に遊びに行くことはあっても、大抵複数人の中に紛れての一人だし、実家に帰省する際も、大抵姉や弟とセットで帰ってくる。そして、そういう時は大体、自分は"料理要員"だった。

 料理は好きだ。でも、それは自分で食べるためであって、誰かのために作って幸せを感じるという感覚は自分にはまだ無かった。アルバイトの時だって、"誰かのために"を意識しながらレジを打ったことなんて一切ないし、ラーメンの提供や座席の清掃なども全部マニュアル通り、無機質に行っている。店長からのお褒めの言葉もただの社交辞令だと思っていつも聞き流していた。

 

 公衆電話の前で立ち止まり、さっきの街路灯の方を振り返る。あの下で咲いている花は、別に青色である必要はないし、あの場所で咲く必要だってない。花にとって、光は必要なものかもしれないけど、光にとってすれば、花は必要な存在ではないのだ。群青色に侵食される空の色と混ざり合った花は、街路灯が一瞬だけ長く消えたのを最後に、どこにあったのか分からなくなってしまった。

 

 しばらく歩くと、住宅街を抜けて大通りに出た。

 車のいない、ジオラマみたいな景色の中で、一人信号を待つ。辺りはすっかり暗くなり、吹き抜ける風も少しばかり肌寒く感じられた。パッと信号が青に変わってからやっと、信号を待つ必要なんて無かったということを思い出し、小さくため息をついた。街灯りにうすら掻き消される月の下、いつもよりゆったりとした歩幅で白線を踏み歩いていく。いつもより広く感じる交差点の道は、雨上がりの時みたいに黒く光っていた。

 

 歩くのは好きだ。こうして休みの日に一人で散歩に出るという習慣は、今に始まったことではない。学生時代から、そういう一人だけの時間に浸るのが好きで、よく何の目的もなく外を出歩いていた。その時の自分は、何者からも解放されていた。

 自分が今、誰かから必要とされていないように、自分自身もまた、自分以外の誰をも必要としていない。『ノスタルジック・シンドローム』に閉じ込められている時間は、"孤独"という名の甘美なソロライブだ。観客も、スタッフも居なくて……ただ"歌うことが好き"という純粋な気持ちだけをぶつけられる。勿論、観客の笑顔や声援が第一だって考える人もいるし、スタッフと作り上げることに意味があると考える人もいる。それらは何ら間違っていないし、そういうものを主軸に置く人は存在して然るべきだと思う。

 小さい頃、自分もアイドル歌手に憧れた時期があった。でもそれは、「お歌が上手だね」と褒められたからとか、衣装を着たかったとか、チヤホヤされたかったとかではない。自分は単に、歌を歌っているのが気持ちよかった。それだけの理由。……けど、その夢さえも結局そこまでの熱意を持ったものじゃなくて。中学の時入った合唱部を三ヶ月で退部して、その後はずっと帰宅部だった。

 

 海が見えなくなったので、駅に隣接する立派な外観の学校は迂回することにした。道路の白いひし形マークをいくつか越えた辺りで、学校のグラウンドが見えた。サッカーゴールが二つと、テニスコートが三つ。当然、学生の姿は見えないが、誰もいない土の上には綺麗にトンボがかけられている。手前のフェンスに掲げられた大きな横断幕は、校内の灯りが逆光になってしまっていてよく見えない。ぼうっと眺めながら歩いているうちに、景色はフェンスから苔むした石垣に変わる。自転車用の白線に沿って進んでいくと、カーブミラーに海が映った。二つ並ぶ鏡のうちの手前にいた自分の姿は、ひどくちっぽけだった。

 

 そのまましばらく進んだ先で、コンビニを見つけた。灯りは灯っている。ふと立ち止まってそうっと中を覗いてみるも、やはり人はいない。店員も居ない。

 ……頭の中に一瞬、邪な考えが浮かぶ。そういえば最近、ここのコンビニで、『いちごピンクタルト』という新作スイーツが発売された、ってSNSで言われてたっけ。入り口付近から観察してみると、確かに奥から二番目の列前方に、いちごピンクタルトらしき袋が陳列されている。

 

 食べたい……そう思ったが、しぱらく考えて、結局やめた。別に、一人の世界を満喫しているのはこんなことがしたいからじゃない。それに、散歩をはじめてから今まで、まだ空腹感を味わっていないのだ。もともとそんなに食欲が旺盛な方ではないけれど、もしかすると『ノスタルジック・シンドローム』にいる間は、飲み食いをせずとも生きられるのかもしれない。なんとなく寂しい感じもするが、まぁそこまで困ることでもないだろう。料理だって、ただ具材を切ったり炒めたりする時間に没頭できるのが好きなだけであって、食べること自体にはそこまで興味がなかった。いちごピンクタルトは、自分の人生に必要不可欠なものなんかではない。

 

 ふぅ……と息を吐きながら店の壁に寄りかかり、ポケットからペン型の電子タバコを取り出す。この世界の中なんだから、別に副流煙のことなんて気にしなくていいんだろうけど、紙のは今持ってないし、最近は専らこっちの味に慣れてしまっていた。ふぅ……と吐く煙混じりの息が、紺色の空めがけて上っていく。いつの間にか、星が出ていた。子供の頃、おばあちゃんの家の二階から眺めた景色と似ていた。今でも天体観測や海がなんとなく好きなのは、自然が豊かな環境で育ってきたからだろうか。街灯りが多い割に、星がよく見えるのが何となく不思議に思えたけれど、まぁ、そんなことはどうだっていい。ふぅ、と息を吐ききってから、電子タバコをポケットにしまい、再び歩き出す。コンビニの入り口手前を横切った時、自動ドアは反応しなかった。

 

 辺りはもうすっかり夜。微かな波の音と、コオロギみたいな虫たちの声以外、何も聞こえない。それぐらい静かな、理想的な夜だった。

 もう何時間散歩を続けているだろう。でも、不思議と身体に疲れはない。このまま、どこまででも歩いていけそうな感じだ。老いぼれた街路樹の列を抜け、落書きみたいな白線まみれの道路を横切り、ボートが並んだ川縁を歩く。県道の下を潜るトンネルを抜け、まばらに電気がついたビルを通りすぎる。港沿いの大きな駅を越えた辺りで、自動販売機の前に佇む名も知らない鳥がパッと飛び立ったその先……そこに、海が広がっていた。

 

 瞳を大きくして、駆け足ぎみに海へと近づく。周辺はどうやら工業地帯らしく、砂浜もなければベンチもない。船着き場らしきこのエリアから少しでも左右に歩くと、立ち入り禁止の看板がついたフェンスに遮られ、海の近くまで行けないようになっていた。

 取って付けたような簡素な鎖のバリケードをヒョイと越えて、海が見える位置まで進む。咎める人の声は、ここには無い。自分の意のままの世界を実感する足どりで水際までたどり着くと、そこは街中とは別世界だった。左手奥には、工場の灯りに照らされた紅白のキリン達が列をなしている。右手側には、工場と入り組んだハイウェイ。さらに奥の方には、都会らしいビル群が立ち並ぶ。そして、それらが重ならない、ほんの僅かな隙間から見える水平線。それを眺めているとなんとなく、温かい缶コーヒーを飲みたいような気分になった。

 

 肌寒い潮風の香り。ざぁ……と規則的に響く波の音。工場地帯の灯り。それに群がって騒ぐカモメたちの声。高鳴る心音。どこまでも群青色の景色が、街の星灯りを水面に照らして波形に加工している。自分は今、港にできた小さな銀河の中心にいるのだ。トレンチコートのポケットに両手を突っ込みながら、ふとそんな事を思う。

 すぅ……と、ゆっくり深呼吸をすると、冷たい空気が肺に満ちていく。まるで、ミント味のキツいタブレットを飲み込んだ時みたいな、清涼感。身体の奥底に溜まっていた電子タバコの煙が、乾いたしょっぱい空気へと置き換わっていく感じがした。

 

 新しい、自分の世界。

 

 人が居ない世界は、人と人との間でもつれるしがらみを取り払った世界だ。交わることのない無数の光がきらめく、この夜の世界のように。家族や友人、バイト先の人たちとの関係が悪かった訳ではない。でも、寂しいという感情は不思議となかった。海の真ん中にポツンと浮かぶ、あの赤い光のように。全てから切り離された世界の中でも、キチンと、そこに存在している光。たとい銀河系の全てが、あの赤い光を見つけられなかったとしても。ここから、世界はちゃんと見えている。風の音がする度に、波の音が遅れてやってくる。ここから手を伸ばしても、水に触れることはできないだろう。けれど冷たさは、風を通して感じられる。潮風の匂いが、海にいることを教えてくれる。この郷愁的な世界の全てが、誰かの代わりに、自分の居場所を教えてくれるのだ。……それで充分だった。

 

 ……ずっとここに居てもいい。

 このまま、誰とも出会わないまま過ごすのも、悪くない。

 『ノスタルジック・シンドローム』は、自分と地球そのものを直接繋いでくれる現象なのだ。

 その代償がたとい、全ての人から忘れられることであったとしても……この場所から、世界を見ることはできる。

 ここで感じるもの全てが、自分を生かしてくれる。

 そんな気がした。

 

 

 

 ポケットでスマホが震えていることに気づいたのは、その少し後だった。

 目を閉じて、静かに息を吐いてからスマホを取り出す。

 母からの着信だった。

 

 仕事帰りの陽気な鼻歌。せわしなくハイウェイを駆け抜けていく車の音。駅に向かう電車の走行音。パチンコ店の裏手入り口から漏れる店内音楽。パトカーのサイレン。

 振り向くと、コンビニの駐車場でたむろする五人のサラリーマンがスマホで何やらゲームに夢中になっているのが見えた。更に、駅につながるゲートからは沢山の人たちが放出され、それらが行き交うスクランブル交差点では、足止めを喰らった車たちが人間と同じように列をなしていた。駅前の広場は、夜の活気と共に色めき立ち、夜ご飯を何にするかなどで悩んでいる人々の往来で埋め尽くされている。時刻は、もう八時を回っていた。

 

 漁船だらけの海を背にしたまま、しばらく目だけをぐるりと動かして、辺りを見回す。やがて、ふぅ……と小さく息を吐いて、そのまま街の方に向かって歩き出した。どうやら、散歩の時間はここまでのようだ。

 

 無限の光に包まれた、人間たちの世界。

 

 この場所からは、どうも星がよく見えない。

 

 

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