第6話 つい早口になっちゃうよね、好きなこと


表情に抑揚が無く、つまり殆ど無表情。そこから感情は伺えない。だが…その顔つきは少女らしく、かわいらしい。


黒く長い髪に日本人らしい真っ黒な眼。


その美しい髪は風になびかれ踊っている。

しかしその立ち姿は、精悍そのもの。


そんな少女は、既にぐっすりと眠りについた友人の隣で今日を静かに振り返る。


あの夢魔はーー吸血鬼エリザベスを好いていた。

きっと自分よりも、はるかにーーその愛は深いのだろう。


ならばきっと、エリザベスはリーリスのもとへ行くのが良いと少女は考えた。


けれどエリザベスはここに残った。


ーー何故ゆえか?

と、少女は考えない。


少女に、その理由を得るくらいのそんな察しの良さはない。

隣の友人のような天才的な察しの良さもない。


少女は、それなりに不器用だ。ーーただ嬉しいと。


この雀猫に、残る。


その言葉を聞いたときからずっと、そう思っていた。

だからこそ少女はーーエリザベスのことを、また少し好きになった。


月の光が、少女のいる場所を照らしている。

同じ月を一部屋離れた寝室で、エリザベスは見ているのだろうか。


そんなことを考えながら、少女は眠りについた。

その感情にーーまだきっと、名前はない。


***


「これが朝帰りっちゅーやつ?」


小音は楽しそうに歩きながら、私とベスに冗談をかける。

暦は十二月。具体的には小音がうちに泊まりにやってきて、一泊を終えた直後。


「ふふ。朝帰り……か。一体誰が何をシたんじゃろーな?」

「私達皆でお片付けや、具体的には二十時五分まで。あとは森はんの治療やな」

「はは!事実じゃ………………がくり…………」


時刻は午前六時、曜日は金曜日。

いつもの鞄を抱えて、冬独特の空気感のある、外に出た。


いつもよりもだいぶに早く学校に行く。これも小音の生活リズムに合わせてのことだが、夜型生活をくるくると回している私にとっては辛い。


森さんは怪我の再生で体力を消費したので休養中。

吸血鬼なので、大事という怪我でもないが、いかんせんだいぶ精神的にやられているらしい。森さんは修理費に、血だらけの頭を抱えて項垂れていた。


森さん曰く、変な使い方をしない限り金には困らないくらいには貯蓄はある。らしい。


もちろんのこと雀荘雀猫も臨時休業だけれど、一応今日は平日。殆ど誰も来やしないだろうし関係はないだろう。

最近の森さん、何故か雀荘の営業に熱心な気がするから少し心配だったし……休ませる一点、その点ではむしろ丁度良いのかもしれない。


ただし店の備品と引き換え……となると勘弁してほしいが。


「綾ちゃん、いつもの数倍沈んだカオやなあ」

「朝…………なので余計に………………元気が………」


「いっつも元気のない顔だが、それ以上があったのだなア」


「失礼では?」

「お、少し元気になったか?」


はははと、ベスと小音。

しかし本当に疲れた……主に精神的方面で。


「まず半裸のベスを目撃、次に森さんの声なき戸棚の悲鳴を聞いて、ついでに露出狂に泥棒猫あつかいを受ける……あと備品も色々ぶちこわされて……疲れました……」

「リーリスのあのやつ……あそこまでこじれておったかの……?昔も確かにおかしかったが……今と比べれば可愛らしいで済まされる程度じゃったのに……」


ちらり。


「私にその原因を推理しろやなんて……無理やで、綾ちゃん?」

「さいですか……」


この間、数秒の沈黙。



「待てよ?どういうそれで綾と小音、ちらっと見ただけで会話が成立するのだ……?」

「小音は察しがいいですから」

「そういう次元か!?」


「はははベスちゃん。無口な綾ちゃんと会話するには、これくらい必要ってことや」


シツレイな。

と反論しようと一瞬思ったけれど、事実なのでやめた。


「例えば今綾ちゃんがシツレイな、って思ったのもお見通しや」

「バレました?」


「綾ちゃん顔以外は分かりやすいのよ、だから分かるで」


そしてまた、数秒後。



「…………わかるかあ!?」


ベスがそう漏らした。


###


「んじゃ、私はもう帰るわ」

「どうしたんです?いつもの――用事ですか?」

「そんなとこ。今日は早う帰るわ。


小音と私は帰宅部なので、放課後になればすぐに帰れる。しかし小音が部活に入っていない理由は、ただの面倒くさがりの私とは違うらしい。こうやって小音が、を理由に帰宅することもざらだ。


「そうか。気をつけて帰るのだぞ」

「小音、特に……黒下着の変態には気をつけるんですよ?」


「ははは。分かったわ。ありがとな綾ちゃんベスちゃん。けど――気をつけなきゃいけんのは綾ちゃんやない?」

「大丈夫ですよ。最悪ベスを差し出して逃げます。時速60キロで」

「ひきずってでもいいから……わしも持ってってくれ……」


……その気持ちには共感しか湧かないのだが、どんだけ嫌なのだベス。……いやまあ私がベスならば、引き摺られる方を選ぶが。


「しみじみと必死さが伝わってくるで……ただな」


と――すれば、小音はベスの耳元で、一言だけ何かを囁いた。


「………………?」

「ふーむ…………」


一体何を伝えたのだろうか、私にその言葉は聞こえない。


「何言ったんです?」

「綾ちゃん、秘密や〜」


「……………………?」


「あ、そうだな小音。……の、用事とは、何かあるのか?」


と、したらベスが話を変えた。



「――え……っとな」


と、したら言葉を濁す小音。


「ふむ?何なのだ、気になるだろう。綾は知らないのか?」

「いや、私も知りませんけど」


「…………えぇ――っと……」


用事、それがいかなるものなのかは私には検討もつかないが……小音がここまで言葉を濁すとは珍しい。


「ふーん?何ですか、気になるじゃないですか」

「うーん――まあ……隠すことでも、深刻なことでも……ないんやけど……」


「えっ何なんです、気になります」


小音の前を跳ねながら、理由を問うているベスほどではないが――ここまで来ると、さすがの私でも興味が湧いてくる。


「何だ何だ隠すことでもないのかあ?ならば話せばよしじゃろて?」



「文学少女たちよ。……のな、推し活!」

「へ?」


すると小音は早口で語る。


「ちょーっとなんとなくこっぱずやったし綾ちゃん聞いてこーへんかったし言ってなかったけどな?いやほんとな?あっ、要するにアイドルのグループ名なんやよ。……うん。」

「そうなのか?それで……推し活とはなんたるのだ?」


ベスの問いかけに――ほんの少しだけ、小音が顔を赤らめているように見えた。


「ええ……っと――推し活ってのは…………」


小音が説明し、ベスがふんふんと頷きながら聞いている。

しかし、小音が――アイドルとは。


「なんで恥ずかしいんです?好きなら好きって――言えばいいのに」


私は小音に――素直に思ったそのことを尋ねてみた。


「……う…………綾ちゃんそー言うと……思っとった……」

「…………?」


「……は…………恥ずかしいもんは…………」

「恥ずかしいもん……は?」


「……恥ずかしいんや―――!分かってく……いや分かれ――っ!!!」


「ご、ごめんなさい?分かる……努力を、尽くします」


思わぬ小音の気迫に押されて、つい私は謝った。


「……綾ちゃんな、しからばよしと、しといたる!」


初めて見るその小音の姿は――いつもよりも、いきいきとしていたような気がした。


知ろうとしていなかったから、当然ではあるが。

私はこの小音の姿を知らなかったのだ。


###


「しかし……小音がアイドルを好きだとは……」


スマホで調べてみれば――文学少女たちよ。

最初、たちよ……の部分が古めかしいネーミングの名前の人なのかと思ったが、どうやらまるっと女性グループの名前らしい。

ライブハウス?の舞台をかわいい服で踊ったり――シャレおつな――なんかめちゃくちゃでかい野外の公園のセットの上で踊ったり――するらしい。ですよ?


「アイドルって、つまるところなんなのじゃ?」

「芸能人です、つまり芸能の人です」


「うむわからん。小音にまた聞いてみるとしよう」


小音と学校で分かれたあと、雀猫への帰り道。人で賑わう東京夕方の道、学校から職場から帰宅から出勤に限らず、多種多様な人々が歩いている。彼ら彼女らが手に持つものは、ちいさな鞄から大きなキャリーケースまで――幅広い。


ベスは相も変わらずきょろきょろと辺りを見回してはいるが、そろそろ道にも慣れてきたらしく、彼女は私の少し先を歩いていた。


こちらを振り向いて、彼女は私に話しかける。


「そういえば、だ。お前さんにも好きなものはないのか?小音のように、つらつらと早口で語れる程度の」

「そうですね…………」


私は隙間なく並ぶ店の中から――そのひとつを指差す。


「強いていうなら漫画です」

「……コーヒイを飲みながら漫画って、読めるのか?」


「勘違いしてません?喫茶の隣ですよ、隣」

「あ……?ああ古本屋――?けれど小説しか置いていないのではないのか?」


「いや、あそこなら漫画も置いてますよ、格安で」

「ほう――?」


ベスは興味を惹かれたようで、とてとてと本が乱雑に積まれているその入り口へ歩んだ。その古本屋にはーービニール製ののれんがぶら下がっているのだが、果たして意味はあるのだろうかなんていつも考える。


つまりつまるところ、はっきり言ってさびれた雰囲気の古本屋だ。


その店名は『あらすか』と、筆で書いたような文字でそう看板にあった。出張買取歓迎と、電話番号も。



「……なんかけむい……」


きれいなUの字ターンで入り口から帰ってきたベスがそう言う。

古本屋独特の、いつものこのほこりの匂い。


「あるあるですね」

「こーんなとこから本を買うのか?いやに甘いほこりの匂いが……するが」

「古い本で古本、なんだから仕方がないですよ。その分が割引き分みたいなものなんですから――それに私は割と好きですよ」


「この匂いが………………?」


ベスはくんくんとまた匂いを嗅ぐ。


「うむわからん」

「分かるようになりますよ」


「………………なるの、かあ?」


たぶん。

そして私とベスは、その薄いビニールののれんをくぐった。


「しかし――小音、なぜアイドル好きを、私に言わなかったんでしょうか」

「そりゃあ綾が聞かなかったからじゃろ」


木造の高い高い本棚には、漫画がぎっしりと詰まっている。本屋のように整頓されているのでなく、出版社作者タイトルの規則性は殆どない。


床にも炙れたのであろう漫画が高く積み上げられていて、それに隠れていたスペースに絶版になっていた漫画を見つけた時から、どかして毎回チェックするのは私のくせ。


小音には毎回チェックする意味あるの?と良く言われる。

確かに新作はここには入って来ずらいのだろうが――なんとなくやってしまう。


私のひとつの習慣だ。


「そーなんですが……小音、語る時少し恥ずかしそうでしたし。その――何で、恥ずかしそうな顔をするんでしょう?」

「そりゃあな綾。受け入れられるかどうか、怖かったのだろうさ」


脚立の上にベスは立つ。それでも届かない場所に位置している本があるようだ。彼女は脚立がぎりぎり揺れる程度にほんの少しだけ跳ねて――しかし、諦め。私に本を取るよう頼む。


脚立に登りながら私は会話を続ける。ベスにどの本か指示されて、私はつま先立ちで落ちぬよう気をつけながら、その本を取った。

自分より高い位置にある本を取り出す時、ほこりが目に舞って、かゆくなるのも古本屋あるあるだ。


「受け入れ――られる?」

「何を好むか、それとも好まないのか?なんてのは――人それぞれの個性だろう。そして個性は必ず皆。異なるからな、どれだけ似通っているように見えても――必ず」


ほい、と私がベスに本を渡す。ふわふわであろうその金の髪を揺らしてベスは落ち着きなく待っていた。彼女は渡された本をちらとめくって閉じ、また口を開く。


「特にだ。誰を、好きかなんてのは――それが如実に現れているじゃろ。背が高い女のことが好きなものもいれば嫌いなものもいるだろ。そして――共感して貰えないかもしれない。その恐怖は人間であるのなら、もはや本能的に抱えてしまうものだ。大なり小なり、皆持っているものだ」


「小音みたく……人の気持ちが手に取るように分かる人間でも、ですか」

「そうさな。小音はきっとお前が、自分の趣味性癖を受け入れてもらえるなんてことなど、はっきりと分かっていただろうよ」

「そんなものですか」


「それにあいつ、ちょっと戦慄レベルで察しがいいしな……綾の感情の変化など分からないじゃろ普通」

「良く言われます」


「しかしな――うん、綾も少しは、表情で感情を外に出す努力をしてみてはどーなのだ?」

「……良く言われます」


ほんの数秒、沈黙。



「朝の小音の言葉、少しだけ理解できたような気がするぞ……」

「……似たようなことを、良く言われます」


しかし――ほんの少しだけだが、小音の心情を理解できた。

いや、私の場合―――言葉を口にする恐怖からの共感なのだが。


「しかしこれ幾らなの?確か定価よりいくらか安いんだよな?」


五〇エン棚から取ったその本は……


「つまり50エンですね」

「……な、な?正気かその値段設定は!?わしが今飲んでいる紅茶の三分の一程度の……価格ではないか!!」


「正気とは思えない価格で買い取られるので――1エンとか。あと古本屋で飲食は普通、正気じゃない目で見られるのでおやめください」

「うわっなーるほど――考えられてるう!あとすまん、それは知らなかった!」


キュッキュッと慌ててボトルを閉じて、鞄にそれをしまった。

こういう、ベスのちょっとしたドジを見るたび思う。

ちょっとこっぱずなその感情を――思うのだ。


――けれど、その思いを伝えるのは怖い。



「――――――――――――」

「どうした?――そんな、わしをじいと見つめて」


はははベスちゃん。

無口な綾ちゃんと会話するには、これくらい必要ってことや。



――と、朝の小音の言葉を思い出す。


私は無口だ。

そしてはっきり言ってその理由は私の口下手が原因。



「……おっと」


脚立から降りる瞬間、わずかに足を滑らせたので少しばかりひやりとした。


それをベスは心配そうに見る。


「なっ……大事ないか?」

「大丈夫です」


私は人の地雷を頻繁に踏む。

空気も読めない。


だから――自分から人に話を振るとか自分の考えを言うとか、そういう行動が減ったのだと思う。


いや、厳密にするなら、、としているのは自分でも――それが深く考えれば不思議である、ところがあるという、ことで。


「どーしたのだ?まさか疲れが――」

「なんでも――ないですよ。体調には心配ありません、たぶん」



いや、それも違うのかもしれない。


……なんだろう。

言葉で表現するのは酷く――私には、難しいような気がする。


だが。

つまるところ、自分でも良くわからないうちに、口数が減った。

つまるところ、自分のことが良く分からないのだ、私は。


要はただ、そういうこと。


「は?たぶん?」

「たぶんはたぶんで、たぶんなのです」


「つまりたぶんって――こと?」

「たぶんそうです」


「……せめてそこははっきりとせんかい!……あと。この本はどこで会計するのだ?わしの財布にゃ小銭がたっぷりよ!」

「たぶん分かりました。あとその本はあの綺麗な三つ編み黒髪おねーさんのところですよ、新聞読んでるあの人です」

「了!」


夕のラジオが聞こえてくる、そのレジに漫画を持ちベスは歩く。

私はその背を見ていた。

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吸血鬼様は百合れない! 猫村有栖 @necomura_alice

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