嫉妬、それでも見送る為の夜空

 世界迷宮。それは、この街の中心部に位置し、世界でも最大級の迷宮だ。──そう、最大級。つまるところ、迷宮は他にもある。その中でも特に巨大な迷宮が、世界迷宮を含めて五つあるのだ。


 一階層一階層ごとに景色が変わり、数多の季節と光景を内包することから、もう一つの世界とも呼び声高い世界迷宮『ユグドライア』


 呪い、と呼ばれる魔法を得意とする魔物が多い為、呪術の研究と対策が進められている呪術迷宮『カーシアス』


 精神に攻撃を与える魔法や植物が多いことから、廃人や異常者を多く生み出している幻惑迷宮『チャルリミラ』


 迷宮内に漂う濃厚な魔力と、それに適応したことで高い魔法適正を持った魔物達が跋扈することで魔法使いたちの住処となっている魔法迷宮『マガトリア』


 そして、此れが本題。

 マガトリアとは反対に、魔力が薄いからこそ魔力を弾き返す方向性へと進化し、魔法への体勢を強く持った魔物達が跋扈するのが、武闘迷宮『コロンディウム』。その特徴は、そこを根城とする者達の性格だろう。


 魔法が効かないならどうすればいい?

 殴れ。殴れば死ぬ。


 そんなことを、ごく真面目に言い切るのがコロンディウムの住人たちだ。お察しの通りダファナはそこの出身である。カナに持ち掛けられたのは、その迷宮都市に訪問し、様々な体験を得る機会だ。所謂武者修行という奴だろうか。


「坊主ぐらいの実力の奴も多くいる。鍛えるにはうってつけだと思うぜ?」


 コロンディウムの特徴の一つとして、冒険者間での決闘が盛んにおこなわれているというものがある。近い実力のものと剣を交える中で、得られるものもあるのかもしれない。


「私はアリだと思うけどね」


「うーん」


 ネロの言いたいこともカナには理解できる。

 様々な体験をしておくことは、自分の実力の向上につながることもあるのだろう。だが、世界迷宮ですら基盤が整っていない自分が直ぐに他の場所に移動してしまっていいのかという気持ちもある。


「でも……」


 興味が無い、と言えば嘘になるのも本音だ。

 いろんな場所を見てみたい。頭を捻って、唸りながらカナは草原をうろちょろする。そんな事をし続けて数分後、漸くカナは結論を弾き出した。


「……お願いします」


 ダファナが、にかりと笑った。



 ◆



 その後、カナはどうなったのか。

 端的に言うと、怒られていた。正座で座り込むカナの額にはだらだらと汗が流れており、心なしか顔色も悪い。その対面で傲岸不遜にふるまうのは、悪鬼もかくやと言った風格を纏うリミアだった。


「カナ~?」


「はい」


「わかってるよね~?」


「はい……」


 具体的な言葉は遣わず、しかし放たれる殺気は本物。

 何故こんな状況になっているのか、カナにも理解できなかった。ただ、コロンディウムに行ってくるよ、というのを報告しただけであったはずなのに、いつの間にか座らされ、そしてこうである。


(何がどうなってる……!?)


 わからない、だが、多分選択肢をミスったら首が飛ぶ気がする。


「遠征するんだ、ふーん、そっか。へー、ダファナとねぇ??」


「はい……」


「私を置いてぇ?」


「はい……」


 じとー。

 雨上がりの夜にも似た、非常に湿度の高い目線。眼を合わせることはカナにはできず、少し顔を逸らした。そうすると、リミアはカナの顎をぐいと引っ張って無理矢理顔の方向を戻してくる。


「何処見てるの?」


「うっ」


「別に怒ってるわけじゃないんだよ〜?怯えちゃダメだよね〜?」


「怒ってはいるんじゃ」


「何?」

「何でもないです!!はい!!」


 慌てて取り繕うカナに、悪鬼のような雰囲気から一転してリミアは温和な笑みを浮かべた。


「ふふ、流石に二割は冗談だよ」


(本音の割合の方が多いなぁ)


 というのは心に仕舞っておくとして、続くリミアの言葉に耳を傾ける。


「とはいえ、相談はしてほしかったよ?」


「それはほんとにゴメン」


「良いけどさ~……あ、そうだ」


「ん?」


 ぴん、とリミアは一本指を立てる。


「代わりに、一日私に頂戴?」



 ◆



 そう決まれば、リミアさんの行動は早かった。

 行き先も告げないままに俺達は街の門を抜け、舗装された道を歩いていく。最近まで通っていた道のはずなのに、何故だか新鮮味を感じるのは迷宮という非日常に慣れ始めている証なのだろうか。


(嬉しいやら嬉しくないやら……)


 景色を目新しい気分で楽しめるのは良い事、そう思っておくこととした。


「こっち行くよ~」


 リミアが道を外れ、森の中に進んでいく。

 そのまま木々の間を進んでいくと、遠くから川のせせらぎが聞こえてきた。二人は引き寄せられるように、音の方向へと向かっていく。歩いた先、木々が生えていない、明るみに出た。


「お」


「綺麗だよね~」


 ぱっと広がった景色の中に鎮座するのは、想像した通りの川だった。

 いや、想像以上にそれは美しくて。降り注ぐ日光を水面が激しく反射させ、鏡面にも似た光を生み出す。そうして跳ね返る光が植物を照らし、一時の楽園を造っている。


 思わずカナは川に手を伸ばす。

 ひんやりとした感触が、指先を包み込んだ。


「どう?」


「気持ちよくて……懐かしい」


 そう言えば、最後に純粋な気持ちで川に触れたのはいつなのだろうか。

 幼い日に戻ったかのようで、心が温かくなるのを感じた。


「じゃあ私も~」


 じゃば、と大胆に見ずに手を突っ込んだリミア。それを呆然と眺めていたカナだったが──顔に直撃した、爽やかな感触によって意識を引き戻される。髪の毛を伝る水滴を見て、リミアが水をかけて来たんだという事を理解した。


「……やったね?」


「何が~?」


 ちょっとした静寂。

 それを、カナが放り投げた水が突き破る。


「ちょっと~!?」


「くらえっ!」


 水しぶきが飛ぶ。

 それに反撃して、また跳ねる。


 それを繰り返しているうち、二人はびしょびしょに染まっていく。それでも、肌に付いた水が体温を奪っていったとしても、二人は笑っていた。冷えた体を温めるかのように、日光がより一層輝く。


 二人の時間は、水しぶきが攫って行って。



 ……そんな華やかしい光景の後ろで、ネロが寂しそうにしていたのは触れないこととしよう。水遊びというものをしてみたい欲求があったらしい。



 ◆



 それからも。

 魔物に襲われたので切り刻んだり、少し道に迷って右往左往したりとしながら、二人の旅路は続いていった。くだらないようでいて、実に濃厚な時だった。そんな道の終着点に、彼らは辿り着く。


「もう夜なんだけど?」


「夜じゃないと見れないからちょ~どいいの」


 あの迷子は計算された者じゃない気がしたけど……。


 木々や岩で囲まれた場所を抜ける。

 その先に広がっていたのが、今回の旅の目的。リミアが、カナに見せたかったもの。


「うお……」


 満天の星空、というのはこのことだったのだろう。

 黒い空に遍在する白い点が、二人を静かに照らしている。一つ一つの星が踊るように、ただそこに存在した。


「ふふ~ん、良いでしょ。良く来るんだ~」


 最初に来たのは、神官に連れられたときだったろうか。小さな子は夜の外出を禁じられていたというのに彼はリミアをここに連れてきて、この景色を見せた。あの時から、リミアの支えとしてこの星の庭はあった。


「この景色が好きなの。これを見るたびにいろんなことを思い出せるから」


 路地裏で泥を啜った辛い過去も、誰かを助けられた嬉しい今も。


「だから、カナにもそうあって欲しい。これは、我儘だけどね」


 苦しい時に、寂しくなった時にこの景色がカナの心の中に合って欲しい。リミアは、それで十分だと思った。多分、いつか手の届かない程遠くに行ってしまうカナの傍に在り続けられるように。


「……」


 リミアへの返答も忘れて、カナは夜空を見続ける。


(何が、視えてるのかな)


 美しい、燦然とした夜空。

 そこに、カナは何を重ねるのだろうか。何を考えるのだろうか。リミアにはわからない。でも、星に照らされたカナの横顔を、リミアは眺め続けていた。


 忘れないように。

 この星空を見た時に、また、カナの事を思い出せるように。


「……死なないでね」


 きっと聞こえないその言葉を、言わずにはいられなかった。


 夜空は、ただ静かに。

 

 


 

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黒星と共に征く英雄の道 〜実体のない美女に命を救われたので、代わりに迷宮を進む話~ 獣乃ユル @kemono_souma

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