第2話 タイムアタック勢と城塞都市
「いやいやいや、そんなの無理ですって。あれを見てくださいよ、そんな数十秒でいけるはずがないです。」
少女が嘆きの岩壁を指さす。その岩肌には細い道が刻みこまれていてはるか上までえんえんと続いていた。その険しい山道はどうみても駆けあがれそうにない。
しかし、少年は少女の当たり前の指摘にいっさい耳を貸していないようだった。岩壁のふもとにつくと、すぐに少年は岸壁にむかってぶつかり始める。
「な、気でも狂ったんですか!? そんなことしてたら死んじゃいますよ!」
鋭い岩肌に肌を切り裂かれ、少年の真っ白な肌にあっという間に真っ赤な傷が走る。だが、少年はそれでもひたすらに岩にぶつかり続けた。
「あれ…?」
そのうちに奇妙なことが起き始めた。
少年の体が次第に岩にめりこみ始めたのだ。岩に肉が削られているわけでもなく、岩がすり減ったわけでもない。まるで岩と少年が重なっているようだった。
「これはいったい……?」
「キングラは完全なオープンワールドなわけではなく、ところどころでマップが切り替わるようになっています。今回はこの岩がその境ですね。」
岩にぶつかりながら少年が口を開いた。
「つまり、登らなくとも岩壁の向こうに辿りつけばゲームは勝手にマップ移動の判定を下して次のマップの入り口、つまりその頂上まで移動させてくれるわけです。」
少年の体はすでに半分以上が岩に埋もれている。少女があっけにとられて見つめている間に少年はとうとう岩肌の向こう側に消えていった。
「アアアさん、大丈夫ですか!?」
少年の消失に少女は思わず声を大きくしてしまう。だが、すぐになにかがおかしいことに気がついた。
「え……?」
今まで目にしてきたはずの荒野はどこにもなく、あたりには蒼玉の花々が咲き誇っている。一面にかかっていた霧が晴れた時、少女は息をのんだ。
「どうして、嘆きの岩壁の上に……?」
眼下にはつい先ほどまでいたはずの街が砂粒のようにみえている。少女のちょうど隣には岩肌を縫って走る険しい山道へと続く下り坂があった。
「これがいわゆる壁抜けテレポートと呼ばれるグリッチですね。壁抜けとマップの境界を利用していて簡単なので、通常プレイでも試してみていいと思います。」
「あれ、あれっ、あれれれれ?」
自分の頬を何度かひっぱって幻覚ではないことを確認してから、少女が首をかしげながら嘆きの岩壁の端から下を覗きこんでいる。
霧が晴れてみえてきたのは、広大な草原であった。キラキラと朱玉や蒼玉の花々が光り輝いている。
その奥に、巨大な大理石をくり抜いたようにして古風な城塞都市があった。
「ロストレイの街です。キングラでも一二を争う巨大なマップで、本RTAでも長い間とどまることになります。」
少年と少女が街の中に足を踏み入れたと同時、キラキラと白く輝くなにかがあたりにちらつき始めた。
「あ、雪砂だ。もしかしてアアアさんはこれを見越してこんなにいそいでいたんですか?」
少女が舞い落ちてくるものを手のひらに乗せて覗きこんでいる。空六角柱のその結晶を少年は忌々しげに睨んだ。
「視界に入れるのも腹立たしいですね。冬はマップ間の移動ができなくなるキングラRTA中で最大のイライラポイントです。」
「そんな急がなくてもいいじゃないですか。雪砂ってきれいですよ。」
いきなり不機嫌になった少年の隣で少女は周りを見渡した。
「ふわぁ、すごく立派な街ですね〜。ロストレイなんて大きな街は初めてですよ。」
白い大理石の石畳に雪砂が降り積もっていく。少年と少女から離れて後ろをウロウロしている浮浪者は居心地が悪そうだ。
少年はそんな整然とした街並みを背にして、少年は街の奥へ奥へとどんどん歩いていった。すれ違う人々も商人や職人から鉱夫などにかわっていく。
やがて少年たちは街を通り過ぎ、巨大な立て坑までやってきた。
街はずれにぽっかりと空いたその穴はロストレイの街がすっぽり入るほど巨大である。そのふちで鉱夫たちがあくせくと働いていた。
「なるほど、アアアさんはロストレイの立て坑でひと稼ぎするつもりだったんですね。」
蒸気が立ち昇る中、岩がむき出しとなった道を歩いてすり鉢状になった穴の入り口まで降りていく。途中、鉱石を満載したトロッコと何度もすれ違った。
「冬の今はマップ間移動ができません。なので特定のマップで金策なり経験値稼ぎなりをこなすのが常道です。そこで『ロストレイの立て坑』というわけです。」
穴の底へと通じる昇降機のまえには人だかりができていて、ちょっとした市場のようだった。鉱石組合の小屋やあやしい露天商の出店が所狭しとひしめいている。
「なるほど、だから岸壁の傍の街で鉱石師組合に入ったんですね。この人ごみをかきわける手間がはぶけると。」
ようやくあんなさびれた街で鉱石師になったことが腑に落ちた少女が手をうつ。少年は薬を売っている老婆に近寄り、なにかを買っていた。
「さてと、今回走るチャートでは『ロストレイの立て坑』で金策をします。今後大量に必要なあるものを買うために金を集めなければならないのです。」
ぎゅうぎゅう詰めの昇降機で少年たちが降ろされた立て坑の底には無数のレールが敷かれていた。時折トロッコが轟音とともに横坑から姿をあらわす。
「いっても無駄だっていうのはわかってるんですが、宿で休んだりしないでそのまま立て坑に潜るんですね。」
少女が恨めしげな声をあげる。浮浪者というと、まだ酒瓶をあおっていた。
少年は一言も口にしない。剣や槍などで身を守る鉱石師たちが次々とトロッコに乗りこんでいるその脇にならんだ。
筋骨隆々の大男や額に傷のある女剣士にどう考えても年端のいかない少年と少女が混ざっているのだ、人々の耳目を集めないわけがなかった。
「なんだなんだ、乞食が鉱石師のまね事か?」
老練の剣士がぼやく。ある者は好奇心で、ある者は憐んで少年たちを遠巻きにみつめている。だが、誰も声をかけようとはしなかった。
「立て坑って確か深ければ深いほど強い魔物が出てくるんですよね。勝手についてきておいてなんですけれど、わたしって戦いなんかできませんよ。」
少女の体は同年代の子供と比べてもやせ細って骨が浮き出ている。鎧で身を守っているまわりの人々と比べて頼りないにもほどがあった。
「本RTAでは仲間は基本的に使い捨ての肉壁として運用します。ぶっちゃけ仲間をちまちま育成するよりも自キャラに経験値を集中させたほうが効率いいんですよね。」
「もうやだぁ……、なんでわたしよりにもよってこんな変人の仲間になったんでしょう……。」
少年の言葉に少女がうなだれる。仲間を仲間とも思っていないその言葉に良識のある鉱石師は眉をひそめた。
次第に少年たちの番が近づいてくる。少年はなぜか反復横跳びをしていた。
「やめとけって、鉱石師は他人には口出ししないのが決まりだろ……!」
「だからって、あの人たちはを見殺しにするわけにはいかないよ! あんな剣一本で立て坑に挑むだなんて絶対に死んでしまう!」
少年たちを遠巻きにみつめていた人だかりが突然騒がしくなる。周囲の静止を振り切るようにひとりの年若い鉱石師が飛び出してきた。
「ねぇ、君たち! 僕もついていってもいいだろう?」
その青年は有無を言わせないように少年たちの近くにやってきた。その後ろから呆れたように青年の仲間が集まってくる。
「おい、あいつら最近ここらで噂の上からやってきためっぽう強いって噂の剣士様たちじゃねぇか?」
どうやら青年は高名なようで、まわりの鉱石師たちがどよめいた。ロストレイでも指折りの実力者ということで、胸をなでおろしている人間もちらちらと見られる。
「なんなんでしょうか、これは。また変なイベントが始まりましたね。正直なところガバのもとになりかねないので遠慮願いたいのですが……。」
困惑したようにぶつぶつとひとり言を呟いている少年。青年は少年が代表だと気がついたのか、声をかけた。
「それで、君たちはいったいどこまで行くんだい?」
「……まぁいいでしょう。結局のところ立て坑の最深部で金策をすることは変わりませんから。」
うつむいていた少女が勢いよく顔をあげる。青年は少年の言葉に鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして固まっていた。
「もう嫌だこのひとぉ~っ!」
少女の叫びがロストレイの立て坑に響き渡った。
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