閑話 アレンベルク城と軍団総督
街を守っていた兵士たちは今まで降り注がれていた灼熱の岩が落ちてこないことに気がついた。それだけではない。城壁を爆破しようと押し寄せてくる子供もいない。
怒号と悲鳴が飛び交っていたアレンベルクの街は静まり返っていた。
辺境伯がなにかを企んでいるのかと疑ってあたりを見回しても、視界に映るのは傭兵の死体ばかりだ。
「もしかして、諦めたのか…?」
こらえきれないようにひとりの兵士が喜びを隠しきれない声色で口をひらく。そのつぶやきはやがて大歓声に変わった。
「やった、やったぞ! 勝ったんだ! ざまあみろ、どうせ兵糧が足りなくなったに違いない!」
兵士から街の人々へと狂喜が伝播していく。長く苦しい籠城が終わったことを喜ばずにいられる者などいなかった。街が歓喜に震える。
まだ信じられないように街のまわりを見回していた兵士があることに気づいた。
「おい、傭兵どもの死体のほとんどが剣で首をはねられてるぞ。確か昨晩は誰も街から出なかったよな。」
城壁の上からみえるおびただしい数の傭兵の死体。そのすべてに剣の切り傷があった。まるで何者かが昨晩のうちに傭兵たちをひとりずつ殺してまわったかのように。
だが、昨日は攻撃が激しくてとてもではないが城門を開き騎士が突撃するひまはなかったはずだ。だとしたら、いったい誰が?
不思議そうに首をひねるその兵士の背中がたたかれる。
「そんなことどうでもいいだろ! 俺たちは生き残ったんだ!」
それもそうだと考え直した兵士は今は勝利の余韻にひたることにした。
兵士が槍や弓、剣を掲げて高らかに勝利を歌う。
「俺たちの勝利だ! 国王陛下万歳、王国に栄光あれ!」
「今晩は宴だ、酒を浴びるほど飲んでやるぞ!」
誰もが笑っていた。笑い続けていた。兵士も商人も職人も、誰もがただひたすらに腹の底から笑い声をあげている。
「ははははは!」
「ひひひひひ!」
誰も意味のある言葉を口にできない。顔を歪めながらひねり出すように笑い声をあげている。どんなに頑張っても口角を下げることができない。
なにかがおかしい、そう気がついたころにはすべてが遅かった。
アレンベルクの街は狂乱に陥っていた。頭上からくちばしを痙攣させた鉱石鳥が落ちてくる。石英の草木すらひきつけをおこしたようにおおきく揺れていた。
街の人々が口から泡をふいてどんどん倒れていく。ひきつけを起こしてなお、その顔には笑顔がはりつけられていた。
「ふん、ふん、ふ~ん♪」
笑顔で塗りつぶされた街をひとりの女性が楽しげに歩いている。真っ白な衣を身につけたその姿は天使とみまがうほど柔らかで美しかった。
「ああ、ようやくアレンベルクのみなさんを救済することができました。みんな幸せそうに笑っていて、わたしまで嬉しくなってきちゃいます♪」
笑いでひきつりを起こしたひとりの老人が女性の足もとに倒れこむ。その顔を覗きこんだ女性は老人に優しく微笑みかけた。
「やせ我慢なんてしなくていいんですよ? もっともっと喜んでもいいんです!」
とたん老人の笑みがどんどん深くなっていく。頬は限界までつりあげられ、喉からはかすれた音しか出なくなる。
助けを求めるようにさしだされた老人の腕は震えたのち動かなくなった。
老人の最期を看とった女性はふたたび跳ねるように笑顔が絶えない街を練り歩いていく。しかし、なにかを思い出したかのようにその表情がくもった。
「しかし、困りましたね。まさかわたしたちの救いを邪魔なさるかたが現れるとは予想外でした。」
女性が手をべっとりと血で汚しながら肉塊をとりだす。それは傭兵隊長のなれの果ての姿であった。
「ごめんなさい、あなたを救うことができなくて。つらかったでしょう、悲しかったでしょう、せめてわたしが傍にいたならそんな思いもさせずにすんだのに……。」
悲痛な表情で女性が顔をうつむかせる。すると、黄金の仮面をかぶった奇妙な一団が現れた。仮面はひげをはやした老人の顔をかたどっている。
『これはこれはわが同胞、いったいなにをそんなに悲しんでいるのか。』
しゃがれたしわくちゃな声が口々に発せられる。ゆったりとした黒の衣をまとった仮面の集団は音もなく女性と肉塊を囲んだ。
「傭兵隊長さんが心なき者に殺されてしまったのです。」
女性が涙を流しながら汚れることもいとわず肉塊を胸に抱きしめる。女性の言葉に仮面の集団は思い思いに口を開いた。
『……殺人だ。』
『過失だろうか、故意なのだろうか。』
『許されざる大罪である。問いつめなければ、裁かなければ。』
『すぐさま厳罰を下すことには反対である。情状酌量の余地はあるはずだ。』
まったく同じ声があちこちから聞こえてくる。だが、体中を血で汚した女性が手をたたくと仮面の集団はすぐに静まりかえった。
「気をつけなければなりません。魔王さまのお体をお守りしなければ。」
女性の言葉を耳にした途端、仮面の集団に緊張が走る。遅れて怒りと糾弾がまき起こった。
『それほどまでに下手人を恐れる必要があるのか。』
『人間には現在その認識はないはずであろう。』
『不用意な発言は法廷侮辱にあたる。誹謗中傷として実刑が下るやもしれぬぞ。』
女性を咎めるように口々に異論が飛び出してくる。仮面の集団のなかにはすでに開廷を要求する声もあがっていた。
「傭兵隊長さんは殺されたときにはすでに魔人となっていました。なのにもかかわらず、激しく戦った跡がありません。」
だが、続く女性の言葉にどよめきが走る。仮面の集団はあちこちで議論を始めた。
『ばかな、魔人が跡もなくあっさりと殺されるはずがない。嘘に決まっている。』
『しかし、証人の信用は担保されている。証拠として十分に機能するだろう。』
『再現性がないだろう、我々は空想をもって裁くことはない!』
口論が激しくなる。まるで裁判をしているかのような口ぶりで仮面の集団は互いに互いを罵りあっていた。
『確かめなければ、開廷しなければ。真実をみつける必要がある。』
だが、その中であがったひとつの声がすべてを静まらせた。仮面の集団のなかからすぐに賛意が寄せられる。
『賛成だ、これは審議に値する。』
『まずは下手人をみつけなければ。』
『魔王陛下の御身も守らなければならない。』
仮面の集団があちこちの路地へと姿を消していく。あっという間にざわめきは遠ざかり、ふたたびあたりに街の人々の笑い声が聞こえるようになった。
残された女性は祈りを捧げるように目をつむる。
「軍団総督、グロミネスさま。魔王軍でも随一の知を誇るあなたならすぐに真実をつきとめてくださるでしょう。」
だが、その手はかすかに震えていた。恐ろしくてしかたがないかのようにぎゅっと身を縮こまらせる。
「ああ、それにしても嫌な予感がしてやまないのはなぜでしょう。なにか恐ろしいことが起こっているように感じます。魔王さま、わたしをお救いください。」
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