第12話

 待ち合わせは酷く長く感じた。五分前に待ち合わせ場所についたのだが、一分経つのも遅かった。時計を見ても十秒ごとしか経たず、この約束がどうも後ろめたいような感覚だった。心臓が苛立ちを覚え始めたころ「おい」とあいつの声が聞こえてきた。しかし、足音のばらつきに違和感を感じて振り向くと、烏山さんも一緒だった。

「なんで君が……」

 俺が唖然と固まっていると烏山さんは少し気まずそうに眼を逸らして「あんた真優ちゃんって妹いるでしょ?私の妹があんたの妹と友達なのよ」と文句気にいった。俺に妹と言うと真優ちゃんのことだろうか。だからといって、そのことに俺になんの関係性があるのだろうか。

「あんた?」

 湖鷹が烏山さんに不思議そうに首を傾げた。烏山さんは俺と栖原さんの三人で遊んでいたときと同じ二人称で呼んでいたため、あ、と口を開いて俯く。

「烏山さんって思ったよりも口が悪いのかな」

 俺がそう誤魔化すと、烏山さんは一瞬こちらを睨みつけたがそれっきり何も言わなかった。

「それで、なんで烏山さんもいるの?」

 俺が本題に話を戻すと、湖鷹はさもわざとらしく肩を叩いてきて笑う。

「何言ってんだよ。烏山さんも言っていたじゃん。妹さんの授業参観」

「は?」思わず腑抜けた声が出てきてしまった。授業参観って、烏山さんの妹のところに行くのか。そんな義理どこに、いやある。彼女の妹の友達が真優ちゃんってことは俺にはいく理由がある。湖鷹も弟がいるから。

「なあ、もしかして今から授業参観行くのか?」

 俺が引き攣った口角で聞くと、烏山さんは眉を顰めながら耳元に口を近づけてきた。

「やっぱり、聴いてなかったんだ。妹があん、環野君を連れてこいって言っていたから。真優ちゃんが来てくれない泣いていたらしいじゃない」

「そういうことだから」

 湖鷹は聞こえていたのかそうでないのか、俺の腕を掴んで中学の方向に引っ張っていった。

 葉山中学の校舎は相変わらず黒ずんでいて、そこまで見ていないはずなのに見覚えのある汚れもあった。湖鷹も一緒だったからか懐かしそうに見回している。

「そうだ。あとでバレーボールの顧問に挨拶しに行ってくるわ」

 そんな昔を辿るほど俺にはこの学校に思い入れはない。そうでもないか。国語の先生がおかしい奴で、宿題なんて無駄だと言って出さなかったし、高校なんてどこ行っても変わんねえよって言って学年主任に怒られたのに言いまかしていたしとにかく異端な人だった。だというのに、教え方も自習の仕方もその人のおかげで高校には余裕をもって入ることが出来た。優秀な先生だったから、他の先生から嫌われていても尊敬はされていたのを覚えている。俺が低い偏差値の高校に入ろうとしたときも、高校なんてどこ行ってもと言っていたのに、もっといい高校に入った方がいいと言い聞かせられたことがあった。『高校は確かにどこでもいい。でもそれはちゃんと自分で勉強ができる奴に限ってだよ。君は人のためにしか頑張れない子だから。ある程度勉強を強制できるように、平均レベルの高校には入った方がいい』と変な方向から諭されたものだ。何故だか俺も聞き入っていた。

 手続きを済ませて、真優ちゃんの教室は二年二組だった。湖鷹の弟は別教室だったから途中で別れた。烏山さんと二人になるのは、先週のことで気まずさはなかった。教室を覗くとどうやら将来の作文発表をやるらしく、机には原稿用紙が用意されていた。なんだか、小学生がやりそうなことだなと思ったのだが、用紙をみると、進学する高校、卒業してどの分野の大学に入ってどこの職業に就きたいかといった中々に細かい内容だった。チャイムがなって、国語の先生が入ってくると生徒たちよりも騒がしかった保護者がゆるやかに静かになる。

 一人の女子生徒が振り向いて、俺と烏山さんを見ると少し目を見開いて隣の女子の肩を叩くどこか見覚えがあった。その叩かれた女の子もこちらに振り向く。真優ちゃんだった。烏山さんが妹であろ先ほどの女子生徒に手を振る。真優ちゃんと俺は目が合ってしばらく気まずかったが、烏山さんに背中を強く殴られた。烏山さんを見ると自分の妹に手を振るだけで、俺に何も言わない。言わなくても分かるだろうという圧力を感じる。俺は真優ちゃんに向き直って、小さく手を振ると、少し恥ずかしそうして俯くように会釈した。

 すぐに、授業参観というのに気だるそうな国語の先生の声が聞こえて、俺は前をしっかりと見直した。ロングの広がった長髪に黒ずんだ瞼を教壇に俯かせながら「はーい、じゃあー、授業を始めまーす」と伸びた声。心の中で噂をすればだろうか。お世話になった、梶山先生だった。あんな態度と身なりで保護者に印象を悪くしないだろうか。そう思ったのだけど、なぜだか保護者の人たちは興味心身に彼女を見ている。

「あの人がうちの子がいってた方でしょう」「なんか天才肌って感じね」と変に受け入れられていた。

 さて、俺はここに来てどうしろと言うのだろうか。

 作文の発表を終えたのが半数を超えたところだろうか、「はーいじゃあ次」の後に静寂がやってくる。また梶山先生が真優ちゃんをみて「ほら、次。環野真優さん」と言い聞かせるように呼ぶ。

 真優ちゃんははい、と少し震えた声で立ち上がるのにまた少しかかった。数十秒して、立ち上がって少し皺が目立つ原稿用紙を持ちあげて、大きく呼気をする。そして、俺に振り向く。

「では、お願いだからね。環野」

 環野、とは中学に俺を呼ぶときに使っていた。普通なら真優ちゃんに言っているのだろうけど、その文句言いたげな声は明らかに俺に向けられている。

 真優ちゃんが深呼吸する。その音に俺の背筋が伸びる。空気が静まった。

 

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僕の周りはどうもおかしい! 高橋 千代 @kokoooooo

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