第42話 幸福な者だから出来ること④
その言葉を聞いて、私はようやく、先生もこの一件に関わっていたことに気づいた。
『先生も、グルだってこと?』
頭の中で、先生の顔が思い浮かぶ。
先生が、まさか生徒たちを切り捨てることを良しとしたのか。
『グルじゃない。パルシヴァル・ワーグナーが麻薬に気づいた時は、すでに俺が王立学校に流通させていた。』
ダイチくんが言う。
『王立学校は、反王家主義によって私物化されている。職員会議の力はほとんどなく、やつらのお気に入りの人物を校長を据えたら、団結したり気に食わない教師はクビを切られる。残った教師は、上の者にゴマするか、孤立した状況で事態を隠蔽するしかない。
それは、校長や教師個人の問題ではなく、政治的に仕組まれたシステムの問題だ。パルシヴァル・ワーグナーは、その状況を打破しようとしていた』
俺に説教するより、事態を利用した方が公共のためだと判断したんだろう。ダイチくんはそうつけ加えた。
すべて、計画通りということなのか。
『どうして……』
その先は、なかなか言葉にならない。
どうして、そこまで考えられたのに、もっと取りこぼさない方法を選ぶことが出来なかったのか。
多くのヒトたちを犠牲にした。バラバラ殺人によって、さらに魔族たちへの偏見が強まった。なのに、多くの権力者が関わっているこの事件は、民衆には公にされない。
ダイチくんのやり方は、多くのヒトを振り回し、傷つけた。理不尽に見舞われた被害者たちは、納得のいく説明がないまま生きていかないといけない。
『暴力で訴える方法は、ちっとも効果的じゃない。それは、魔族による虐殺でよく知ってることでしょう?』
例え最初に正当な理由があったとしても、過ぎた力による反抗に大義はない。むしろ、差別感情は悪化する一方だ。
『だが、暴力でしか変われないものがある。
お隣のマリアンヌ帝国の「革命」だって、暴力から始まったものだろう』
『……それでも、根本的なことは何も変わってないよ』
王族を死刑にし、貴族を廃止しても、結局『皇帝』を名乗る王が独裁した。
誰かを支配し、支配される構造は、暴力で壊せるものではなく、暴力によって肯定されるものだ。
それでも、ダイチくんの言うことは、今はよくわかる。
差別問題は、差別される側に問題があるのではなく、差別する側にある。
なのに差別する側は、ちっとも当事者のつもりがなく、差別される側に問題があると、問題をすりかえる。
自分が今まで加害している自覚はなく、少数派の権利が主張し、制限をかけようとした時、「侵略された、攻撃された」と被害者のように感じるのだ。
あるいは、消極的なヒトたちは、「大変そうだね」と同情はしても、自分たちが変わらなければならない、とは、思ってはいない。
――私が、ダイチくんを含める魔族の研究者たちの問題を、他人事として思っていたみたいに。
私は平等だと言っておきながら、研究機関という中では、魔族と人間を明確に区別していた。
差別と区別は違う、なんて言う人もいるけど、私は同じだと思う。だって区別をすると、どこかで、「私と彼は違うから、同等に扱う必要は無い」と思うから。人間族だったら「理不尽だ」と思っても、魔族に関しては「仕方ない」と片付けて、考えようとしなかった。「能力が違うんだから、与えられる権利が違う」と思って、思考停止した。
研究職を目指す魔族が不当な扱いを受けているとわかっていても、自分たちの権利を制限して譲るとは考えず、人間領の枠を増やせばいいと考えるのが、その証左だ。今の魔族の子たちが、無理やり王立学校に押し込められて生活しているように、結局、虐げられるものに負担をかけ、努力を強いる行為にすぎない。
人間の私が訴える「時間をかけた、誰もが納得できる穏便な共生」は、差別される魔族側からすれば、加害者の加害を肯定し、現状維持しているようにしか聞こえないのだ。
アサ、とダイチくんが優しく言った。
『共生は、利益をもたらすものだけを指すわけじゃない。
例えば、戦争など、両方に害と利益をもたらすのは競争。そして、麻薬の売人のように、一方的に搾取して相手を滅ぼすのは寄生。
例えどちらにも利益がなく、お互いに害を及ぼすような関係でも、共生は共生なんだ。その上で、共生できない時がある』
わかるな? とダイチくんが言う。
共生の反対。
それは、抗生だ。
微生物が産生する、他の微生物や細胞に作用してその発育などを抑制する作用。
それを利用して、私たちは薬――抗生物質を作る。
ヒトが病を治して生きるために、病原菌を殺すために使う、強力な薬だ。
『全てのものは共生している。その上で、どちらかが生きるには、どちらかを滅ぼすしかない時がある。
それは悪では無いんだ。例え滅ぼされる側がどれだけみじめであっても、全体的な利益を見ればそれがより多くの個を救うこともある。滅ぶこともあるだろうが、どっちも結果論だ。
差別も迫害も、全体の利益を損なうから正されるのであって、俺たちが感染者を隔離する行為と、何ら変わりは無いのかもしれない』
わかる。すごくわかる。
理屈じゃなくて、感覚として、心から納得出来る。
ヒトは、差別して生きていくしかない。自分の権利と利益が接触したら、戦うしかない。それもまた、共生の一部なのだ。
それでも。
『……それでも、より良い方法があるはずだと信じるお前だから、託すんだ』
ダイチくんはそう言った。
『人間領で生きて、少数派として生きるのがどれだけ孤独か、よくわかった。
お前の居場所などない、魔族領へ帰れという視線をぶつけられて、憎まなかったと言えば嘘になる。
けれど、個としての人間を知っている以上、魔族の強硬派のように、「人間が滅べば魔族が生きやすくなる」とは思えなかった。……同じ種族であっても、考えに同調できない孤独に、押しつぶされそうにもなった』
お前は、ずっとそういう想いをして生きてきたんだな。
ダイチくんの言葉を聞いて、私は涙があふれてきた。
ずっと、孤独だった。
お母さんと違って、魔力がないから、魔族の皆と同じことが出来ない自分。一緒に遊べなくて、「足でまとい」とされて、恥ずかしかった自分。
それでも、人間領の人間たちによる魔族への差別を知る度、自分の事として傷ついた。
どこにも帰属できない自分。どちらにも行ったり来たりする自分。
それは、アルトゥールくんにも、エレインにも、先生にも理解されないことだった。
私も、「そういうものだ」と思って、期待しなかった。
だけど今、そういう事を、ダイチくんは理解してくれた。
私と何もかも違うダイチくんが、理解してくれた。
嗚咽を漏らす私に、ダイチくんは『俺は、これしか思いつかなかったんだ』と続ける。
『全部無駄に終わって、ただ多くのヒトを犠牲にするだけだとしても、「お前が考え無しでどれだけ足を引っ張られたか」と後世まで同族に謗られるとしても、――俺があの子にしてあげられるのは、これぐらいだと思った』
あの子。
頭の中で、フェナさんの顔が浮かぶ。
同時に、ダイチくんの動機に気づいて、涙が引っ込んだ。
『待っ……て。
もしかして、今回の騒動って、フェナさんのためだったの?』
私は目的には気づいたけれど、動機に関しては、まったく考えていなかった。
『メンシュ国の動向を知っているか』
メンシュ国。
確かアルトゥールくんとお父さんが、レッドシールド家を経済活動から追い出そうとしている、と言っていた。
『メンシュ国の軍事力は、今や大陸一になりつつある。ポルダーどころか、マリアンヌもエングランドもかなわない。だが、仮にも大国を名乗っている国だ。お互いの国の威信をかけて、五十年も経たないうちに世界大戦が起きるだろう。
国境を越えて、太陽信仰者や魔族は管理され、差別される。その最後に起きるのは、優生思想による虐殺だ。――恐らく、ポルダー内で起こった戦争の比じゃない』
その言葉を聞いて、私の身体はすくんだ。
――そんな悠長なことを言えるのか、お前ら人間は。
あの『お前ら』は、フェナさんのことだったのだ。
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