第36話 信じていたもの
ここから出られる。そう思った時だった。
階段を踏み外したような、浮遊感に襲われる。
ぐわん、と視界がゆがんで、気づいたら会場である大広間にいた。
「……え?」
そこには、アルトゥールくんも、リュカもいなかった。
代わりに周りには、意識を失っている招待客が、カーペットの上で倒れている。
その中には、フェナさんもいた。
窓際にはダイチくんが立っていて、私を見て目を丸くしている。
サッと血の気が引いた。
「驚いた。
念の為、この館から出ないように、そのドレスには魔法を掛けていたんだが」
このドレスも罠かい!! 瞬間移動系の魔法か!?
思わずドレスのすそを叩くけど、さすがに脱ぐわけにはいかない。
とにかくダイチくんから離れようとして、私は出口へ向かおうとする。
けれど、すぐに私の腕はダイチくんに捕まえられた。
そのまま、すごい力で抱き寄せられる。
困惑と、自分じゃどうにもならない恐怖で、声も出なかった。
「全く、どうやって地下牢から出たんだ? 地下牢にだって、結界は張ってあったはずだ。勇者からは剣を取り上げているし……」
ブツブツと、ダイチくんがつぶやいて、いや、と首を振った。
「そんなことは、どうでもいいことだな。
お前の勝ちだよ、アサ」
「……勝ちって何」
振り絞って声を出すと、「外を見ろ」と促される。
大広間にある窓からは、炎の光が宙を飛び交っていた。
「……エレイン?」
エレインが、魔法で炎を出している?
「人間の魔法使いが、魔族の魔法使いとやりあえるとはな」
そう言えば、リュカは保安隊と魔族が乱戦していると言っていた。あれは、こういうことだったのか。
はやく、アルトゥールくんたちと合流しないと。
身体を動かそうとして、ガッツリ抑え込まれた。
「動くな。
お前が逃げたら、ここにいる招待客を使って、もう一度脅しにかけることも出来る」
「でもそれって、他に手を組んだ組織を敵に回すんじゃないの」
ここにいる招待客は、それこそレッドシールド家に連なる豪商だったり、貴族だったりするわけで、そんな彼らを人質にしたら、彼らとの同盟は解消されるんじゃないか。
それとも、それ以上に『光の聖女』が欲しいのか。
「お前が考えている通りだ。有力者を切り捨ててまで、エングランドは『光の聖女』が欲しい」
ダイチくんは言った。
「仕立てあげたあなたがいけしゃあしゃあと……私が魔力持ってないの、あなたが一番知っているでしょう!?」
「魔力がなくとも、効果を発揮するんだ。『光の聖女』の保有菌は」
その言葉に、私は頭を殴られた。
「……嘘」
思わずそう呟くと、ダイチくんはゆっくり私から離れて向き合う。
月が影ってきた。ポツリポツリと、雨が降り始める。
「本当だ」
ダイチくんの顔を見て、私は嘘じゃないと確信した。
森の湖水のように落ち着いたその表情は、研究室で幼い私がよく見た、真剣なダイチくんの表情だった。
「多くの自然現象は、微生物が深く関与している可能性がある」
例えば雨だ、とダイチくんは言った。
「雲は微粒子を中心に、周りの水蒸気が凍って氷晶を作って出来る。
だが低い高度では、無機物の微粒子は氷晶を作れない。そこで可能性があるのが、キノコの胞子だ。
キノコのタンパク質は、連鎖的に周りの水分を凍結させることが出来る。この仕組みが解明されれば、より少ない魔力で『冷蔵の箱』を動かすことも出来れば、砂漠の地に雨を降らせることもできるだろう」
「……そこに存在するだけで、微生物が自然現象に介入できるのは同意する」
その理屈で言えば、精神干渉だって、魔力がなくても出来るかもしれない。
だけど、魔力のない人間が、その現象を操作できるかは、また別だ。
「確かに、微生物が宿主の精神に左右することはあっても、宿主が微生物を操作できるかは魔力が関わっている。
だが、お前の身体は別だ。お前は完全に、保有菌を自身の支配下においている」
「そんなことが可能だったら、私は今裏切られたり、裏切られたことに落ち込んだりしてないと思うけど?」
そうだ、とダイチくんは言った。
「お前は、他者も自身もコントロールすることが出来る。
それなのにお前は、ほとんどの認知制御や感情制御を放棄しているんだ」
よく考えてみろ、とダイチくんが言う。
「魔力があればなんでも出来るなら、ほかの魔族だってお前と同じことが出来たはずだ。
それなのに、髪の色を変える魔法なんて、人間領の魔族が使っていたか?」
「…………それは」
魔力のない私が、魔力を渡されるだけで出来るなら、皆姿を変えることが出来たはずだ。そうしたら、外見で差別されることはなかったはず。
なのに、人間領の魔族は、ほとんどありのままでいる。私はただ、自己のアイデンティティだと思っていたから、疑問にも思わなかった。
「お前が魔法だと言われていたものは、お前が精神干渉で引き起こしていたものなんだ。
魔法道具のようなモノに魔力を込めることは出来ても、意思のある生命に魔力を込めることはほとんど出来ない。出来たとしてもきっかけ程度で、そんな長くは続かないんだ」
今まで信じていたものが、ガラガラと崩れて行った。
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