第35話 埋め合わせしなくていい
リュカに案内され、秘密通路をくぐり抜けた先には、階段があった。
それを駆け上がると、書斎にたどり着く。僅かばかりの月光が、大きな窓から差し込んでいた。
「この本棚の隠し通路から、また階段で降りるんだ。そしたら、外に出られる」
そう言って、リュカは本棚を移動させようとする。多分リュカ一人でも移動できるけど、軽々とはいかないようだ。
「ここかい?」
アルトゥールくんがそう言って、本棚を横に動かし始めた。
その間私は、机の上にあった資料を漁っていた。何か証拠になるものがあるんじゃないかと思って探していた。
「……」
私は思わず、手を止めた。
「モルゲン、開いたよ」
アルトゥールくんに呼ばれて、私は資料を置いた。
隠し通路の階段へ進むと、書斎より一際暗い。リュカの身体が、強い光を放つ。
足元がハッキリと見えて、私は長いドレスのすそを踏んでこけて転がる……なんて、間抜けなことをしなくて済んだ。
「リュカ……輝いてるね」
「役に立つだろ、これ」
私より前を歩くリュカが、へへ、と笑った。
「って言っても俺、貴族じゃないから。エングランドじゃ危うく、一家が潰されそうになったことがあるんだよな。だからポルダーに住むことになったわけ」
その言葉に、私は息を呑んだ。
そうだった。リュカは貴族じゃない。聖光教会から認められていない『加護』――貴族じゃない人間の『加護』は『魔法』と呼ばれ、差別される。
エングランドはジェントリが台頭した今も階級が徹底しているから、尚更だ。
「父さんは家のためにも俺のためにも、貴族になろうと躍起になってた。俺はこの国が好きだから、ここで暮らせばいいじゃん、って思うけど……父さんにとっては、あそこが自分の国なんだよな」
そこで一度区切って、リュカの声は低くなった。
「親不孝モンだと、自分でも思うよ。
ただでさえお荷物の俺が、一時の正義感でぶっ壊していいモンじゃない」
その言葉に、私は俯く。
さっき私が書斎の机で見つけたのは、LSDを作るための麦角の仕入先のデータだった。
その中の一つには、旅をした時に通った村の名前が一つ。
エレインに向かって、『魔法使いは人間じゃない』と言い放った人間がいる村だ。
それを見て、あの村があんなにも『魔法使い』を拒絶する理由が、わかった気がした。
『魔女裁判』が行われる場所の多くは、麦角中毒の被害が多い。
恐らく、麦角中毒によって幻覚症状に犯されたヒトが、周囲を巻き込んだのではないだろうか。それを『魔法使い』と呼んで、村を守るために『魔法使いを村から追い出せ』となった。
物事を一つ知るたび、自分だって間違えることを知るたび、私は、自分のやったことは早計だったんじゃないかと思い知る。
本当は、差別するヒトたちは助けられなきゃいけないヒトなんじゃないか。頭ごなしに否定して切り捨てず、彼らが差別しないような方法を探さないといけないんじゃないか。
そんな時思い出すのは、私をぶったあのお母さんのこと。
『子どものお前に、何がわかる!』
大人になってわかる。一人で生きていくのも大変なのに、庇護する相手を抱えて生きるのはもっと大変だっただろう、とか。
私なんて一ヶ月教師をやるだけでもいっぱいいっぱいだったのに、とか。
『お前は一度も俺の待遇に関して、声をあげなかっただろ』
『人間だから、魔族のことは関係ない――いや、上に立たないと自分が不利になるから、見ないふりをしたんだろ』
ダイチくんの言葉を思い出す。
その通りだった。私は人間の利益のために、魔族であるダイチくんを見捨てていた。
自分とは違う存在だからと、冷酷に接したり、見捨てる行為が嫌いなのに、私は私の都合で、自分に不都合なヒトを切り捨てていた。それは私が否定したかった差別と、どう違うんだろう。
「受け入れなくていいんだ。リュカ」
私の後ろにいたアルトゥールくんが、そう言った。
私もリュカも、彼の方へ向く。
「例え君のためで、そのためにミスタが犠牲を払って、その築き上げたものを台無しにするとしても、君が遠慮したり、罪悪に感じる必要はないんだ」
「……子どもは親を犠牲にしたり、踏みにじってもいいってこと?」
リュカの言葉に、違うよ、とアルトゥールくんが言う。
「自分を育てて庇護してくれる大人が、自分のためにどれだけ傷ついていたとしても、君の問題じゃない。そこまで追い詰められる前に助けなかった、
アルトゥールくんは淡々と続ける。
「君は子どもだ。
無能な大人の埋め合わせをしなくていい」
「……そりゃ、現実的じゃない話だな」
リュカが苦笑いする。
そうだね、とアルトゥールくんが言った。
「いつか必要な時に思い出してくれ」
アルトゥールくんの言葉に、きょとんとリュカが目を見開く。けれど、その言葉の意味を飲み込んだみたいで、
「けど、あんがと。なんか、ラクになったわ」
肩をすくめるように、リュカは言った。
「父さんから聞かされてたけど、あんた、考え方が軍人らしくないな」
「そうだろうね。軍人や貴族は、親を敬うよう徹底しているから」
アルトゥールくんの言葉に、「じゃなくて」とリュカが遮る。
「なんか、先生っぽい」
「えっ」
「あー、確かに。今の喋り方って、先生によく似てるかも」
「えっっ」
リュカと私の言葉に、アルトゥールくんが小さく驚きの声を上げた。自覚なかったんだ。
「で、先生は? なんか教訓になるようなこと言ってくれないわけ?」
「ないよ」
むしろ、アルトゥールくんの言葉に感銘を受けてた。すごく実感のこもった言葉で、私は聞いててドキドキした。
同時にその言葉は、すとん、と私の胸に落ちた。
『光の聖女』を名乗っていた私は、子どもだった。
エレインを差別したヒトや、あのお母さんを助けるのは、子どもの私じゃなくて、大人なんだ。
あの時の私が、できない大人たちの埋め合わせをする必要はなかったんだ。
「……私の子ども時代も、救われちゃったな」
「え?」
アルトゥールくんが聞き返したので、私はなんでもない、と答えた。
階段は、あと少し。目の前には、重たそうな扉があった。
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