第34話 報われた想いとこれからと

「君が謝ることなんてないだろう?」


 その言葉に、私は驚いて顔を上げた。

 アルトゥールくんの顔は赤かった。わずかな光源すら弾くアルトゥールくんの白い肌は、夜目がそこそこ効く私からしたら、眩しく見える。

 怒っているわけじゃなさそうだ。

 どうして、そんな切なそうな、今にも欲しくて仕方ない顔をしているのだろう。


「……本当にそう?」


 震える声で、私は尋ねる。

 もしかして、なんて甘い希望を捨てておけ、と心の中で呟きながら、私は彼の言葉を待った。

 


「君は正しいよ」



 ……言葉で、ガツン、と頭を殴られた気がした。

『聖女』は、正しいことをする。

 知徳のすぐれた人物で、けがれなく清らかな少女。間違ったことは言わないし、やらない。

 そういう風に見られるよう、振舞ってきた。

 ここに来て、他者を騙してきたツケが回ってきた。


「私は、正しくないよ」


 私が『光の聖女』を名乗らなければ、今こんな風に捕まってない。

 そもそも、旅だって終わってなかったんじゃないか?


 その後出てきたのは支離滅裂で、でも本心からの言葉だった。

 ――私のせいで、旅が終わってしまったんじゃないか。

 ――私が失敗したから、アルトゥールくんは会いに来れなくなったんじゃないか。

 それがずっと息苦しくて、でも誰かに言っちゃいけないとずっと押し込めていた。


 全てを吐き出した時、私はアルトゥールくんに抱きしめられていた。

 違うんだ、とアルトゥールくんは言った。


「君のせいで、旅が終わったんじゃないんだ」


 そうして、私は全部を知る。

 アルトゥールくんが呪われていること。そばにいると、私に危害が及ぶ可能性があること。

 私のせいじゃなかった。

 知らないことがたくさん分かって、すごく戸惑ったけれど、三年間不安だったことと、アルトゥールくんの体温に、酷くほっとした。











 全部を知った私は、幸福感から覚めた後、あまりに恥ずかしすぎて沈んでいた。

 ティーカップの中の嵐って、こういう事を言うんだろうか。誰も私のせいなんて言っていないのに、勝手に自分のせいだと思って、いっぱいいっぱいになって、から回ったことが本当に恥ずかしい。憑き物が落ちたような気持ちになった今、いかに自分の思考が暴走していたのか、恥ずかしくて直視できない。

 あと今更なんだけど、私、告白したんだよね。それで、アルトゥールくんも同じ気持ちなんだよね?

 その状態で、このほとんどない距離の近さに、今更ながら恥ずかしくなってきた。このドレス、肩とかほとんど布地がない。アルトゥールくんの指が動いたり、首や耳に息がかかるたび、ぞわぞわする。皮膚の下の神経が裏返って、彼の存在を拾おうと、痛いほど過敏になっている。

 ああそうだ、とアルトゥールくんが言った。


「すごく綺麗だよ。そのドレス、よく似合っている」

「……今、それ言うの?」


 この、ホコリと土でドロドロになったドレスを前に。最新の化粧で落ちてないと思うけれど、泣き顔自体ぶさいくなものだし。

 アルトゥールくんじゃなきゃ、嫌味でも言われてるんじゃないかってシチュエーションだ。


「思ったことを言えない時間って、損するなって痛感したから。思いついた時に言おうと思って」


 アルトゥールくんの言葉に、私は何とか、ありがとう、という言葉を振り絞る。

 抱きしめられて見えなくても、彼が笑っているのがわかった。アルトゥールくんの声とか、視線とかが甘い。社交辞令とか、親愛の証とか、そんな言葉を使って鈍感なふりをするのは出来ない。


『このヒト、絶対逃げますよ。恥ずかしくて』


 かつて王様にそう言ったユリアを思い出す。

 ユリア、逃げようにも逃げられないよ、今。早くエレインたち来て欲しい。助けて。

 と、そこまで考えて、私は思い出した。


「そう言えば、君のお母さんの呪いって、エレインじゃ解除できないぐらい難しいの?」


 結局、呪いの解き方がなんなのか、聞いていない。その後に帰って来たのは、「好きだよ」という言葉だった。

 私がそう尋ねると、アルトゥールくんは、「あー……」と言った。


「エレインじゃ無理だけど、もう大丈夫じゃないかな。解かなくても」

「え、なんで?」


 私は耳を疑った。

 呪い、それも私を殺すだけじゃなくて、アルトゥールくんを支配するようなものを、解かなくていいなんて思えない。

 けれど、アルトゥールくんは「いいんだよ」と答えた。


「多分呪いはあっても、僕をコントロールすることは、もう出来ないと思うから」


 だから大丈夫、とアルトゥールくんは重ねて言う。

 私には、アルトゥールくんが何を持って「大丈夫」なのか、わからなかった。

 これ以上、聞かないで欲しいのかもしれない。

 親子関係は綺麗事じゃないと、今ならわかる。私には想像すら出来ないけれど、父や母は親子関係でかなりの確執があったらしい。旅の最中、子どもを詰る親なんて、当たり前のようにいた。

 そんな私じゃ、なんの力にもならないのだろう。

 だから私は、別のことを言うことにした。


「私、知らなかったよ。アルトゥールくんから殺されそうになったこと」


 私がそう言うと、ごめん、とアルトゥールくんが言う。

 違うよ、と私は言う。


「殺されそうになったことを責めてるんじゃないよ」

「……殺しそうになったことを言わなかったこと?」

「違うってば。――守ってくれてありがとう、って言いたいんだよ」


 それだけは、先に言いたかった。

 旅を終わらせたのも、強制的に距離を取ったのも、呪いのことを黙っていたのも、全部私のことを考えてやってくれたことだ。考えた結果がこれなら、きっと正しい。そう肯定したい。

 でも、私はもう、正しいことだけじゃ満足できない。


 私はそっと、彼の身体から離れる。

 そのまま、彼の目を見て言った。


「これからは、正しいことを選んで、私の手を振り払わないで欲しい。

 間違ってぐちゃぐちゃになって、私のことを傷つけるとしても、最後まで私の手を取って求めて欲しい」


 私がそう言うと、アルトゥールくんはあんぐりと口を開けて、そのまま俯いた顔を片手で抑えた。

 

「どうして君は、そういうことをあっさり言うかなぁ……」


 耳の先は赤く染まっている。私はそんなに恥ずかしいこと言ったかな。


「いいの。本当に手放さないけど」

「私は最初から、手放す気はなかったんだけど」


 それこそ初めて出会った時から、アルトゥールくんたちについていきたくて、旅の内容を変えたわけで。

 最初に伝えているはずだけど、忘れたのだろうか? そう聞くと、覚えてるよ、とアルトゥールくんは更に唸る。


「なんでこっちが我慢しているのに、トドメを刺してくるかな……」

「だから、我慢しないで欲し」


「あー先生いた――!!」


 ガッコン!! と、壁がぶち抜かれた。

 土埃が舞う。壁の一部がダミーになっていて、その向こうは通路になっている。

 壁の向こうから現れたのは、リュカだった。淡い緑色の光源を纏っている。


「いやー先生こんなことにいたんだな無事で何よりだよアッハッハ!」

「リュカ!?」


 どうしてここにリュカがいるのか。

 ――っていうか、光ってる!?


「あ、俺の加護『発光』なんだ」

「名前のまま『発光』だったの!?」


 教え子の突然の出現と情報に、頭が着いていかない。

 いや、それより!


「どうしてここに……」

「エレインさんたち、解呪に手こずってるみたいなんだ。……っていうか、魔族との乱戦が始まってる。長引くと死人も出るから二人は早く脱出してくれって、金髪のお姉さんが俺に秘密通路を教えてくれた」

「金髪のお姉さん?」


 パッと思いつくのは、リリスちゃんだ。

 でも、なんでリリスちゃんが、レッドシールド家の秘密通路を知って……。


「いや! じゃあなんでさっさと出てこなかったの!? てっきり私たち監視をつけられてると思ったんだけど!?」


 壁の向こうに誰かがいるのは、途中から分かっていた。てっきり監視がついたんだろうな、って思ってたのに、そこにいたのはまさかの味方。しかも生徒。

 そう言うと、リュカが「俺がいるのわかっててアレ続けてたの!?」と顔を真っ青にしてた。


「一応空気読んで待っていたんだけど……え、先生って、地下牢でおっぱじめてヒトから見られても平気なヒト?? 先生の特殊性癖とか知りたくないんだけど」


 何言っているのかわからない。

 違うんだ、とアルトゥールくんは手で顔を抑えながら言う。


「あれ、素なんだ。彼女の」


 顔を真っ赤にしながら、ぐるぐると目が回っていた。

 リュカがうわあ……と心底哀れな目でアルトゥールくんを見た。


「本当にありがとう……うっかり地下牢で押し倒す羽目になった……」

「『我慢しないで』とか煽りじゃないんですかあれ……」


 なんか、秒で二人が仲良くなっている。

 あれ、これデジャビュなんだけど。

 ――遠くでユリアと王様がクシャミをしていたのを、私は知らない。




 


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