アルトゥール視点 あなたへ返し、君に伝える

 僕は、衝動的に彼女を抱きしめていた。


「違うんだ。そういう意味で、言ったんじゃない」


 ようやく、彼女の謝罪の意味がわかった。

 彼女は、旅が終わったのが、自分のせいだと勘違いしていたんだ。

 僕が、ずっと彼女を遠ざけようとしたから、それを自分が知る範囲で答えを出そうとした。だからずっと、身の回りに起きたこと全てが、自分の間違いで起きたんだと思っていた。


 思い出した。

 この子は、自分にいじめられる原因があると思って、ずっと責めるような子だった。

 沢山のヒトを巻き込む彼女だけど、同時に背負っているものの責任も自覚する子だ。


 僕は、形の良い彼女の耳元に、口を近付ける。


「君のせいで旅が終わったんじゃないんだ。僕の問題なんだ」

「……え?」


 僕は、彼女をゆっくり引き離して、視線を合わせた。


「僕は、実の母親に呪われているんだ。それで君を殺しそうになった」


 モルゲンの大きな目が、更に大きく見開く。


「僕は、今も呪われている。こうやって接触しているうちに、いつまた君を殺すかわからない。

 だから旅を終わらせた。『光の聖女』を返上させて、王都に入れないようにしたのはパルシヴァルだ。僕が二度と、君に近づかないようにするために」


 本当はさっきまで、呪いのことは言わないと決めていた。

 彼女が僕を好きでいてくれるなら、なおさらつけ込むようなことは言いたくない。彼女から好意を伝えられても、僕はまだカッコつけていた。

 だけど、もういい。


「僕の呪いを解く方法は、」









 ふぅん。お母さまを殺すんだ。


 嘲るような声が、僕の言葉を遮った。

 色がつかないキッチン。しなびれた花を挿した花瓶。埃の積もった、曇った窓。

 周りが地下牢ではなく、母と過ごしていた家になっていた。


 目の前にはモルゲンじゃなく、母の姿があった。

 母は少女のように微笑む。僕がモルゲンではなく、無理やりでも自分を見てくれたことに満足していた。

 それが母の正体。

 子どものままでいるヒト。

 自分の不幸や惨めさで、相手に非があるように思わせて、ヒトをコントロールしようとするヒト。

 不思議だ。

 あれだけ怖かった元凶がいるのに、今は全く怖くない。ただ、変な高揚感があった。


 ――僕はずっと、あなたに脅かされていると思っていた。好きなヒトと一緒にいられないのも、惨めな過去を背負い続けなきゃいけないのも、あなたのせいだと思っていた。けど、違う。


 僕は真っ直ぐ、彼女を見据えた。


 ――これは、僕のものじゃない。あなたのものだ。


 そう言った途端、サア、と、母の顔色が変わる。


 記憶の底に封印していた、産まれる前に死んだ僕の妹。

 傷つきすぎた僕は、ずっと見ないふりをしていたけれど、モルゲンと別れてから向かい合おうと決めた。

 結果、あの子はことがわかった。

 考えたら当たり前だ。僕はまだ八歳だった。精通してさえいない。どうしてこんなことに気づかなかったのか。

 そこまでわかって、僕は、母があの修道院という場所で、一体どんな仕打ちを受けていたのか知った。

 修道士とは名ばかりで、女を踏みにじって悦に浸るケダモノが住み着いていた。


 母を哀れに思う。

 けれど、僕は母を救えない。

 僕は母じゃない。

 だから、誰もその負債を背負うことはできない。どれだけ理不尽な目に遭わされていたとしても、母を救えるのは、母だけだ。

 僕を痛めつけても、母は救われない。


 ――返すよ。あなたの痛みを。


 やめて、と母が泣く。

 見たくない、思い出したくない。忘れていたい、捨てておきたい。トゥールが持っていてよ。私を助けてよ。どうにかしてよ! 私は被害者なんだよ!! 私の息子でしょ、いい子だから助けてよ!


 身体がちぎれそうなほど、悲痛な叫びだった。

 誰だって、自分を見つめ直すのは怖い。

『昨日まで良いと思っていた価値観が、今日、ずっと誰かを傷つけていたんじゃないかと気付くことが悲しいし、辛い』と、モルゲンは言っていた。

 自分の土台を壊すようなやり方は、怖い。


 だけど僕はもう、僕として生きる。

 間違いも、痛みも、傷も、弱さも、自分のものだ。

 これで過去を乗り越えられたなんて思っていない。これから僕も、傷がぶり返して、惨めな自分から逃げようとして、あなたのように誰かを傷つけるかもしれない。

 その度に、自分を見つめ直していく。

 僕のことは僕にしか救えないとしても、仲間がいる。

 あなたには、決してならない。

 








 目を閉じて、再び開けると、モルゲンの顔があった。

 すっかり大人びた顔の頬は、子どもの頃よりほっそりとしていた。僕は、その頬に手を伸ばす。

 


「……好きだよ、君のことが」


 するり、と、言葉が出ていた。

 真っ赤になった彼女の頬は、ずいぶん熱かった。


「好きだから、間違いたくなかったんだ。……何か失敗して、嫌われたくなかったんだ」


 僕が母に「いい子」と言われ続けて縛られたように、彼女は「聖女」に縛られていたんだろう。

 正しく、清らかで、知らないことはなく、誰にとっても優しい救世主のような存在。

 そして恐らく、それはこれからもずっと付きまとう。

 ミスタが、彼女の特異体質を黙っていた本当の理由がわかる。知ってしまったら、彼女は何かをする度、その後引き起こす厄災のリスクを考えなくてはいけない。欲で周囲を破滅に追いやるのは悪人たちなのに、彼女は自分のせいだと思うだろう。

 聖女じゃなくていい。

 僕が好きになったのは、しょっちゅう失敗しても果敢に突っ込む、勇敢な普通の女の子だ。


 私も、と、モルゲンは言った。


「私も、嫌われたくなかったよ」


 そう言って、泣きながらモルゲンは笑った。

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