第33話 月女神の呪いと魔法

 リリスちゃんは夜しか活動しない吸血鬼だ。その上、病院の院長をやったり、魔族領の首相をやったりしてるから、忙しくて滅多に会えない。

 だけど、私が本当に困っている時、こうやって助けてくれる。それが単なる偶然なのか、それともヘカテの神官ゆえの直感なのかはわからないけれど。

 私が嗚咽混じりで、断片的に言ったり、同じことを繰り返したりしても、リリスちゃんは黙って聞いてくれた。


『落ち着いた?』


 リリスちゃんが優しく聞いてくれる。私はこくん、とうなずいた。

 どれだけ時間が経っただろう。吐き出せるだけ吐き出した。スッキリした感覚と、リリスちゃんに押し付けてしまった罪悪感が少し。悪いことしちゃった、と思っていると、


『いいのよ。あなたまだ、子どもなんだもの』


 優しくリリスちゃんが肩を寄せてくれた。


『もっと、大人に擦り付けていいの。鬱憤とか、八つ当たりとかね。大人が子どもにしちゃダメだけど』


 心配だったのよ、とリリスちゃんは言う。


『あなたは周りの様子を見て、どう振る舞うか考えている。だから誰かに合わせて感情を堪えそうだって思ったの』

『……そんなに出来てないよ、私』


 そんな風になれたらよかったのに、一度もなれなかった。

 上手に皆とやって、意見も感情もぶつけず、ただ誰かを肯定できたらどれだけ良かっただろう。

 たまに、アルトゥールくんと最初にケンカした時のきっかけを思い出す。娘さんを公衆の面前でなじり、泣きながら『お前のせいで犠牲になった』と言っていたあのお母さんを、大声で咎めた時。

 ――子どものお前に、何がわかる! 偉そうに!

 そう言われながら、叩かれたっけ。

 私は、親になったことがないからわからない。でも、どんなに大変でも、あの子を傷つけるのは間違っている。当時の私は、とてもシンプルな論理で動いていた。


 だけど、あのお母さんを責めた私の言葉は、だんだん私の心を重くした。

 そして今、思う。あの時の私に、あのお母さんを咎める権利はなかったのだ。


『見返り、いらないって思ってたのに、押し付けてた……』


 最低だ。

 頼まれてもないのに、勝手に我慢して、それが報われなかったから憎んだ。アルトゥールくんに隠しておきながら、見抜いてくれない彼を憎んでいる。

 自分がそこまで酷いヒトだと思っていなかった。だけど単に、自分に甘かっただけかもしれない。


『そりゃそうよ。恋だもの』


 リリスちゃんが言う。


『あなたは、あの子の親にならなくていい。自分が感じたように、振舞っていいの』

『ダメだよ。それじゃあ、絶対に傷つける』


 自分の思考がぐじゃぐじゃになって、行動に一貫性がなくなりそうになった。好きなのに、アルトゥールくんを傷つけたくなった。傷つけてまで、こっちを向いて欲しくなった。

 それだけは、絶対にダメだ。

 でも、じゃあ、どうしよう。どうしたら、アルトゥールくんを傷つけずに済むんだろう?


『……アサはどうしたい?』


 アサ一人じゃ出来ないことも、私がサポートしたらなんでも出来るわよ。と、リリスちゃんが言う。


『例えば、もう旅を辞めたいって言ったら、ソラに辞めるよう圧力掛けるし、アルトゥールと両想いになりたいなら惚れ薬作るし』

『惚れ薬って……本当にできるの!? 出来たら大賞ものだよ!?』


 微生物学のゼミでも、媚薬関係のレポートは沢山出されるけど、結局皆、「無理」という結論に至っている。

 そう言うと、リリスちゃんは『うん、惚れ薬は無理よ』とケロッと話す。なんだ嘘か。夢魔族や吸血鬼族は、特定の相手の性欲や好意を引き出すことが出来るから、薬も作れるのかと思っちゃった。


『まあ、なんでも言ってみてごらんなさいな。代替案があるかもしれないし。一番強く願っていることを、口にしてみて』


 リリスちゃんの言葉に、さっき、一番強く不安だった気持ちを思い出した。


 ――こんな想いを、どうやったらアルトゥールくんに見せないようにできるの。



『……この想いを、無くすことって出来る?』

『……それでいいの?』


 リリスちゃんの言葉に、私は頷く。


『よく考えたら私、好きになってもらいたいっていうより、アルトゥールくんとずっと旅をしたい』


 私はあんな風に、アルトゥールくんにかしずかれて、手の甲にキスをして欲しいわけじゃない。綺麗なドレスを着て、エスコートされて、踊りたいわけじゃない。

 ただこのままを、ずっと続けたい。少しでも彼との関係が壊れるのが嫌だし、その予兆を感じるのも嫌だ。

 私がそう言うと、リリスちゃんは寂しそうに笑って、わかったわ、と言ってくれた。

 そして、長く細い人差し指を私の額においた。


『恋愛感情を感じない呪いを掛けたわ。ついでに、認識阻害の魔法もね。

 大人っぽくなったら、必ず誰かは「アサちゃんは恋人はいるの?」とか、「結婚はまだ?」って言いそうなんだもの。そういうの、鬱陶しいでしょ?』


 苦笑いしながら、リリスちゃんは言う。

 リリスちゃんの気遣いに、私は心から感謝した。

 明日から私は、気兼ねなくアルトゥールくんと旅をすることが出来る。

 ありがとう、と私が言うと、でもね、とリリスちゃんは言う。


『昔自分が言ったことに、縛られなくていいのよ。その時その時、想ったことを大切にして。

 これはあなたを苦しめる呪いじゃなくて、あなたを自由にする呪いしゅくふくだから』




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「……呪いの詳細は、こんな感じかな」


 いつの間にか、私はアルトゥールくんから離れていた。彼の上着を抱えたまま、俯いて彼と向き合う。

 話している間、アルトゥールくんはずっと黙っていた。


「呪いって言ったって、見ての通りもうほとんど解けてるし、君が何か心配するようなことはないよ」


 勝手に言い訳が滔々と流れていく。

 最初は、私の想いを気づかれたんじゃないかと思った。

 でもすぐに、「もしかして、私がなにかの事件に巻き込まれたりしていることを心配している?」とも思って。

 もう、旅は終わった。王都で働くアルトゥールくんの姿を見て、私の願いは叶えられないとわかった。隠す理由がなくなったなら、変に心配させる前にちゃんと話しておこうと思った。

 でも、何だかすごく後ろめたい。アルトゥールくんには無害な子どもだと思わせておいて、私はずっと狂気じみた恋愛感情を隠し持っていた。それに今考えたら、アルトゥールくんの意思関係なくあれこれ決めつけて空回りしていた自分が、滑稽で気持ち悪かった。

 かと言って、これ以上、何か言う勇気もなく。

 重い沈黙で、余計に顔を上げられなかった。

 どれぐらい時間が経ったんだろう。とてつもなく長い沈黙が流れて、アルトゥールくんが口を開いた。

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