第31話 透明から輝きへ

 話そうと覚悟を決めても、最初に何を言えばいいのか、すごく悩んだ。

 彼を傷つけたりしないかな、という想いが少し。自己欺瞞がバレやしないか、とか、嫌われないかな、が、沢山。

 自分なりに、アルトゥールくんのためを思ってやったことだったけれど、今思い返せば、自分のことしか考えてなかったな、とか。そんな想いがぐるぐる回っている。


「私、君のことが好きなの。

 私が掛けた呪いは、『君への恋心をなくす』ことだよ」


 結局、こんな脈絡のない告白しかできなかった。


「……ごめんなさい」


 そして次に出てきたのは、謝罪。


「……それは、何の謝罪なんだ」


 昔よりずっと低くなったアルトゥールくんの声に、私の身体がすくむ。

 だめだ。私は、私のしたことに責任を持たなくちゃいけない。

 どんなに無知から出た言葉でも、悪気や悪意がなかったとしても、言葉や行動には責任が伴う。何かを言ったり、したり、感じたり考えることが出来る限り、ヒトは責任から逃げられない。


「アルトゥールくんは、大人の女性が、苦手だと思ったの」


 アルトゥールくんから、息を呑む音がした。

 それを聞いて、やっぱりそうだったんだと、独りよがりな行動ではなかったことに、どこかで安心した。


■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪


『君は、魔族領の人間なんだね』


 よかった、と、私を見て、アルトゥールくんは言った。


 私とアルトゥールくんが出会ったのは、魔王城。

 会ったばかりのアルトゥールくんは、少し怖かった。

 貼り付けたような笑顔に、借り物のような言葉。何を考えているのかわからない。

 けれど一番怖かったのは、その存在感のなさだった。よそ見したら見えなくなるんじゃないか、って思うぐらい透明なヒトだった。


『勇者なんて名乗っているけど、僕らは君たちを傷つけに来たわけじゃない』


 私が戸惑っているのがわかったのか、柔和な笑みを浮かべたまま、アルトゥールくんは言った。


『……こんなメンバーで、軍を持つ魔王を倒せるわけがないよ。ただの建前なんだ』


 そう言って青い目が、大階段の方へ向けられる。

 宙に浮かぶ天球儀に、星空が見える天窓の下には、世界樹トネリコを模したオブジェの周りを巡らせる螺旋階段があった。

 そこで、エレインはぼうっと、空を見ていた。


『彼女は人間だけど、魔法使いなんだ。だから人間領には居場所がない。ここは人間も暮らせて、魔法使いの学校もあるんだろう。そこに彼女を、置いて欲しいんだ。できたら、仲良くして欲しい』


 あれは、優しい言葉だったと思う。

 居場所がない幼なじみを慮る言葉。迫害される姿に胸を痛め、受け入れられる場所を探そうとしている、理想的な姿。その姿を見たら、きっとほとんどのヒトが彼を称え、受け入れるだろう。


『それって、結局彼女を人間社会から追い出して、魔族領に追放するってことでしょ』


 けど私は、彼の口から紡がれた言葉が、誰かの言葉を借りたように聞こえた。

 自分の頭で考えず、感情すら伴わない言葉を言うなんて、無責任だ。――そんな、彼のあり方自体を責める気持ちもあった。


 だけど何より、迫害される世界を、「そういうものだから仕方ない」と思考停止しているのが、嫌だった。

 そこにハマらないなら出ていけばいいと、他者が押し付けてくるのが、嫌だった。


『本当に彼女のことを想うなら、迫害しない世界に変えるべきじゃないの?』


 彼は、黙っていた。

 私も、口を噤む。

 シン、と、沈黙が流れる。


 ――どおして私は、いつも余計なことを言うのかな~?


 心の中で、滝のように涙を流す自分がそう言う。

 いつもそうだ。相手が望んでいないとわかっていながら、自分の意見を言ってしまう。そしてピシャン! と関係を絶たれる。

 親しくなくても、誰かに嫌われるのは悲しい。大袈裟だけど、一人に嫌われると、世界中のヒトから嫌われるような気持ちになる。


 ……だからこそ私は、エレインを放っておけなかったのかもしれない。

 だけど、その時はパニックになっていて。

 

 極力自分を出さずに相手の話を聞こうと心に決めてるのに、同じことを繰り返すなんて、学習能力無さすぎだよ私! ちょっとは我慢できないのかな!?

 きっと、このヒトも怒るだろうな。いや、でも身から出た錆だ、と覚悟を決めてアルトゥールくんを見た時。


『……世界の方を、変える?』


 思いつきもしなかった。そう彼は呟いた。

 パチパチと、彼の青い目の周りに、七色の光が細かく飛び散って見えた。




 ずっと、家族やソラ、ダイチくん以外のヒトには、私の言葉や想いは届かないんだと思っていた。

 同じ歳の子と話したら『意味がわかんない』と疎遠され、年上のヒトに話したら『アサちゃんは大人びているのね』と、欲しくない褒め言葉で濁される。

 誰も、私の言葉を聞きたくない、と言った。その度に、「大人びている」と言われる幼い心は傷つき、弱っていった。

 いいじゃない。私には家族がいる。家族がわかってくれるなら、他者に伝わらなくたっていい。

 何度も自分に言い聞かせては、何度も抑えることに失敗して、傷ついた。


 なのにそれは、サプライズのように叶えられた。

 人間領という、知らない土地から来た、同じくらいの男の子によって。


 ……私の言葉が、彼に真っ直ぐ届いた。

 それがわかった途端、じんわりとした熱が、指先から目の奥まで染みていく。


 私の言葉を、真っ直ぐ受けとってくれる他者がいる。

 私の言葉で、心を揺らしてくれる他者がいる。

 育った場所も、性別も、きっと常識や価値観も違う。『人間である』ということ以外は、何の共通点もない。

 それなのに、たった一言で、全然違う誰かと心を通わせられる事実が、泣きたくなるぐらい嬉しかった。


 こんなふうに反応を返してくれる彼を、知りたいと思った。

 考えていることが分からないなら、分かるようになりたい。

 もっとアルトゥールくんの感情を見たいと、思った。

 

 ■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪


 そんなことを思ったのが、人間と魔族の共存の旅の始まりだった。


 アルトゥールくんと会話をして、ケンカもして、仲直りできないんじゃないかとハラハラして、でもちゃんとまた元に戻れた。

 初めて自治体と交渉が成立した時、アルトゥールくんが喜びのまま私を抱きしめた。肩を掴まれてドキドキして、息がかかるくらい声が近くてビックリした。慣れないハグに戸惑った。その日をきっかけに、アルトゥールくんとの距離は随分近くなった。

 他のヒトだったら嫌なのに、アルトゥールくんのことが拒絶したくないと思う自分がいて、さらに困惑した。


 アルトゥールくんは私のことが好きなのかな? それとも、これは友愛とか、親愛のあらわれ?

 確かめる勇気はなかった。自分の気持ちがバレるのも恥ずかしかったし、勘違いだったら死ねる。この旅終わる。

 ――その時の私は、ずいぶん呑気なことを考えていた。


 十三歳の時。

 アルトゥールくんが、徐々に私から距離を置くようになった。

 今まではその距離が当たり前だったはずなのに、突き放されたような気持ちになって、焦燥感に襲われた。

 何かの勘違いじゃないだろうか、と私が触ろうとすると、アルトゥールくんは明らかに身体を強ばらせた。


『……なんだい?』


 その後、何事も無かったように、優しく微笑む。

 それが、初めて会った時の、透明な笑顔のように見えた。

 アルトゥールくんの、考えていることが分からない。


『……なんでもない』


 どうして変わってしまったんだろう。

 なんで?







 エレインと先生が不在で、二人で宿を取った時のこと。

 月の光が眩しい夜だった。野営で何度も一緒に寝たけど、こうして二人きりで空間が閉じられた場所で寝るのは初めてで、緊張して何度か目が覚めた。それでも、だんだん眠気に誘われて、うとうとし始めて。


『……やめて、お母さん。お願いだから』


 うなされる彼の言葉を聞いて、私は起きた。

 ほとんど、かすれるような声で、気のせいかと思った。でも、その言葉が真に迫っていて、私はどうしても気のせいとは思えなかった。

 今のは、お母さんに助けを求める夢?

 ……いや、今のは、どう聞いたって、お母さん『に』やめて、って言っていた。

 そう考えた時、ふと、初めてケンカした時のことを思い出した。


【これだから女は、ヒステリーって言われるんじゃないか!】


 その言葉を思い出した時、ずっと気になっていた何かが、パチン、と音を立てて、明確になった。


 私にはハグをするけど、エレインには一度もしていない。それどころか、話している時だってそれなりに距離がある。

 たまに綺麗なお姉さんが彼に近づくけど、アルトゥールくんは明らかに体を強ばらせる。遠ざかると、顔が青ざめていた。その様子は、たまにエレインが割って入るほどで、その度にエレインがお姉さんたちから攻撃を受けていた。

 街の中で歩いていると、時折子どもを連れたお母さんを見て、距離を置いている。だけど、ずっと目で追いかけている。

 満月の日は、何となく元気がない。



 そっか。アルトゥールくん。


『大人の女性が、怖いんだ……』


 言葉と同時に、涙が出た。

 そのまま、シーツの上に落ちて、シミになる。

 

『それじゃあ、もうどうしようもないじゃーん……』


 前みたいな関係に戻りたいって思っていたけど、無理だ。怯える彼が、それでも私を慮って拒絶しないようにしているから、尚更だった。

 多分彼は、私に知られたくなかったはずだ。私を傷つけるから。

 いつか私は、大人の女性になってしまう。最近、しこりでしかなかった平らな胸が、不均等に膨らんできた。あと数年したら、私の成長は終わるだろう。


 私の性別が、理屈とかもう関係ないぐらい、どうしようもなく苦しめるものだったら。

 わかろうと近づくこと自体が、そのヒトを追い詰めるんだとしたら。

 諦めよう。

 すごく、すごく悲しいけれど、この感情を封じ込めよう。

 鈍感なふりをしよう。恋なんてわからない、ねんねさんのままでいよう。

 望まれたとおりに、子どもを装って見せよう。それで、君がずっと安心してる笑えるなら。


 まだ私は、子どものままで、彼の一番そばにいたかった。

 

 

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