第31話 透明から輝きへ
話そうと覚悟を決めても、最初に何を言えばいいのか、すごく悩んだ。
彼を傷つけたりしないかな、という想いが少し。自己欺瞞がバレやしないか、とか、嫌われないかな、が、沢山。
自分なりに、アルトゥールくんのためを思ってやったことだったけれど、今思い返せば、自分のことしか考えてなかったな、とか。そんな想いがぐるぐる回っている。
「私、君のことが好きなの。
私が掛けた呪いは、『君への恋心をなくす』ことだよ」
結局、こんな脈絡のない告白しかできなかった。
「……ごめんなさい」
そして次に出てきたのは、謝罪。
「……それは、何の謝罪なんだ」
昔よりずっと低くなったアルトゥールくんの声に、私の身体がすくむ。
だめだ。私は、私のしたことに責任を持たなくちゃいけない。
どんなに無知から出た言葉でも、悪気や悪意がなかったとしても、言葉や行動には責任が伴う。何かを言ったり、したり、感じたり考えることが出来る限り、ヒトは責任から逃げられない。
「アルトゥールくんは、大人の女性が、苦手だと思ったの」
アルトゥールくんから、息を呑む音がした。
それを聞いて、やっぱりそうだったんだと、独りよがりな行動ではなかったことに、どこかで安心した。
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『君は、魔族領の人間なんだね』
よかった、と、私を見て、アルトゥールくんは言った。
私とアルトゥールくんが出会ったのは、魔王城。
会ったばかりのアルトゥールくんは、少し怖かった。
貼り付けたような笑顔に、借り物のような言葉。何を考えているのかわからない。
けれど一番怖かったのは、その存在感のなさだった。よそ見したら見えなくなるんじゃないか、って思うぐらい透明なヒトだった。
『勇者なんて名乗っているけど、僕らは君たちを傷つけに来たわけじゃない』
私が戸惑っているのがわかったのか、柔和な笑みを浮かべたまま、アルトゥールくんは言った。
『……こんなメンバーで、軍を持つ魔王を倒せるわけがないよ。ただの建前なんだ』
そう言って青い目が、大階段の方へ向けられる。
宙に浮かぶ天球儀に、星空が見える天窓の下には、
そこで、エレインはぼうっと、空を見ていた。
『彼女は人間だけど、魔法使いなんだ。だから人間領には居場所がない。ここは人間も暮らせて、魔法使いの学校もあるんだろう。そこに彼女を、置いて欲しいんだ。できたら、仲良くして欲しい』
あれは、優しい言葉だったと思う。
居場所がない幼なじみを慮る言葉。迫害される姿に胸を痛め、受け入れられる場所を探そうとしている、理想的な姿。その姿を見たら、きっとほとんどのヒトが彼を称え、受け入れるだろう。
『それって、結局彼女を人間社会から追い出して、魔族領に追放するってことでしょ』
けど私は、彼の口から紡がれた言葉が、誰かの言葉を借りたように聞こえた。
自分の頭で考えず、感情すら伴わない言葉を言うなんて、無責任だ。――そんな、彼のあり方自体を責める気持ちもあった。
だけど何より、迫害される世界を、「そういうものだから仕方ない」と思考停止しているのが、嫌だった。
そこにハマらないなら出ていけばいいと、他者が押し付けてくるのが、嫌だった。
『本当に彼女のことを想うなら、迫害しない世界に変えるべきじゃないの?』
彼は、黙っていた。
私も、口を噤む。
シン、と、沈黙が流れる。
――どおして私は、いつも余計なことを言うのかな~?
心の中で、滝のように涙を流す自分がそう言う。
いつもそうだ。相手が望んでいないとわかっていながら、自分の意見を言ってしまう。そしてピシャン! と関係を絶たれる。
親しくなくても、誰かに嫌われるのは悲しい。大袈裟だけど、一人に嫌われると、世界中のヒトから嫌われるような気持ちになる。
……だからこそ私は、エレインを放っておけなかったのかもしれない。
だけど、その時はパニックになっていて。
極力自分を出さずに相手の話を聞こうと心に決めてるのに、同じことを繰り返すなんて、学習能力無さすぎだよ私! ちょっとは我慢できないのかな!?
きっと、このヒトも怒るだろうな。いや、でも身から出た錆だ、と覚悟を決めてアルトゥールくんを見た時。
『……世界の方を、変える?』
思いつきもしなかった。そう彼は呟いた。
パチパチと、彼の青い目の周りに、七色の光が細かく飛び散って見えた。
ずっと、家族やソラ、ダイチくん以外のヒトには、私の言葉や想いは届かないんだと思っていた。
同じ歳の子と話したら『意味がわかんない』と疎遠され、年上のヒトに話したら『アサちゃんは大人びているのね』と、欲しくない褒め言葉で濁される。
誰も、私の言葉を聞きたくない、と言った。その度に、「大人びている」と言われる幼い心は傷つき、弱っていった。
いいじゃない。私には家族がいる。家族がわかってくれるなら、他者に伝わらなくたっていい。
何度も自分に言い聞かせては、何度も抑えることに失敗して、傷ついた。
なのにそれは、サプライズのように叶えられた。
人間領という、知らない土地から来た、同じくらいの男の子によって。
……私の言葉が、彼に真っ直ぐ届いた。
それがわかった途端、じんわりとした熱が、指先から目の奥まで染みていく。
私の言葉を、真っ直ぐ受けとってくれる他者がいる。
私の言葉で、心を揺らしてくれる他者がいる。
育った場所も、性別も、きっと常識や価値観も違う。『人間である』ということ以外は、何の共通点もない。
それなのに、たった一言で、全然違う誰かと心を通わせられる事実が、泣きたくなるぐらい嬉しかった。
こんなふうに反応を返してくれる彼を、知りたいと思った。
考えていることが分からないなら、分かるようになりたい。
もっとアルトゥールくんの感情を見たいと、思った。
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そんなことを思ったのが、人間と魔族の共存の旅の始まりだった。
アルトゥールくんと会話をして、ケンカもして、仲直りできないんじゃないかとハラハラして、でもちゃんとまた元に戻れた。
初めて自治体と交渉が成立した時、アルトゥールくんが喜びのまま私を抱きしめた。肩を掴まれてドキドキして、息がかかるくらい声が近くてビックリした。慣れないハグに戸惑った。その日をきっかけに、アルトゥールくんとの距離は随分近くなった。
他のヒトだったら嫌なのに、アルトゥールくんのことが拒絶したくないと思う自分がいて、さらに困惑した。
アルトゥールくんは私のことが好きなのかな? それとも、これは友愛とか、親愛のあらわれ?
確かめる勇気はなかった。自分の気持ちがバレるのも恥ずかしかったし、勘違いだったら死ねる。この旅終わる。
――その時の私は、ずいぶん呑気なことを考えていた。
十三歳の時。
アルトゥールくんが、徐々に私から距離を置くようになった。
今まではその距離が当たり前だったはずなのに、突き放されたような気持ちになって、焦燥感に襲われた。
何かの勘違いじゃないだろうか、と私が触ろうとすると、アルトゥールくんは明らかに身体を強ばらせた。
『……なんだい?』
その後、何事も無かったように、優しく微笑む。
それが、初めて会った時の、透明な笑顔のように見えた。
アルトゥールくんの、考えていることが分からない。
『……なんでもない』
どうして変わってしまったんだろう。
なんで?
エレインと先生が不在で、二人で宿を取った時のこと。
月の光が眩しい夜だった。野営で何度も一緒に寝たけど、こうして二人きりで空間が閉じられた場所で寝るのは初めてで、緊張して何度か目が覚めた。それでも、だんだん眠気に誘われて、うとうとし始めて。
『……やめて、お母さん。お願いだから』
うなされる彼の言葉を聞いて、私は起きた。
ほとんど、かすれるような声で、気のせいかと思った。でも、その言葉が真に迫っていて、私はどうしても気のせいとは思えなかった。
今のは、お母さんに助けを求める夢?
……いや、今のは、どう聞いたって、お母さん『に』やめて、って言っていた。
そう考えた時、ふと、初めてケンカした時のことを思い出した。
【これだから女は、ヒステリーって言われるんじゃないか!】
その言葉を思い出した時、ずっと気になっていた何かが、パチン、と音を立てて、明確になった。
私にはハグをするけど、エレインには一度もしていない。それどころか、話している時だってそれなりに距離がある。
たまに綺麗なお姉さんが彼に近づくけど、アルトゥールくんは明らかに体を強ばらせる。遠ざかると、顔が青ざめていた。その様子は、たまにエレインが割って入るほどで、その度にエレインがお姉さんたちから攻撃を受けていた。
街の中で歩いていると、時折子どもを連れたお母さんを見て、距離を置いている。だけど、ずっと目で追いかけている。
満月の日は、何となく元気がない。
そっか。アルトゥールくん。
『大人の女性が、怖いんだ……』
言葉と同時に、涙が出た。
そのまま、シーツの上に落ちて、シミになる。
『それじゃあ、もうどうしようもないじゃーん……』
前みたいな関係に戻りたいって思っていたけど、無理だ。怯える彼が、それでも私を慮って拒絶しないようにしているから、尚更だった。
多分彼は、私に知られたくなかったはずだ。私を傷つけるから。
いつか私は、大人の女性になってしまう。最近、しこりでしかなかった平らな胸が、不均等に膨らんできた。あと数年したら、私の成長は終わるだろう。
私の性別が、理屈とかもう関係ないぐらい、どうしようもなく苦しめるものだったら。
わかろうと近づくこと自体が、そのヒトを追い詰めるんだとしたら。
諦めよう。
すごく、すごく悲しいけれど、この感情を封じ込めよう。
鈍感なふりをしよう。恋なんてわからない、ねんねさんのままでいよう。
望まれたとおりに、子どもを装って見せよう。それで、君がずっと安心してる笑えるなら。
まだ私は、子どものままで、彼の一番そばにいたかった。
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