アルトゥール視点 アルトゥールは気付く

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【――というわけで、今流通している麻薬は、師匠が考えた酵母によるものなんです。それをダイチ様が流出させたと考えられます】


 ユリアから来た電話と、その内容に、僕は驚いた。

 突然、【アルトゥールさま、今お時間ありますか】と電話がかかって来て、さらにとんでもない情報で畳み掛けてきた。


『……一つずつ整理していいかい? どうして僕の個人的な電話番号を知っているんだい?』

『陛下から教えていただきました』


 あの人は。

 というか、ユリア、あの人と面識があったんだな。モルゲンが繋げたのだろうか。

 ……いや、そう言えばあの人、モルゲンに求婚したんだっけ。その繋がりか。



『それで、ミスタは何て?』

【ええと……あ、代わります】



 ジーク様、と、ユリアの声が微かに聞こえたあと、物音を立てながら【よう、元気か】と、酒焼けしたような男の声がした。


『お久しぶりです。ミスタ』

【もううちの娘に会わないって言葉、あれどうしたよ】

『……それに関しては、申開きもできません』


 怒りと呆れをにじませた声に、僕は何も言い返せない。

 ジーク・カツトシ・スズキ・ファン・シュヴァルツヴァルト。モルゲンの父親だ。

 旅をしていた頃、ミスタはまだ未成年であるモルゲンの様子を見に現れた。あまりの神出鬼没ぶりに、モルゲンがミスタにドロップキックをお見舞いしたことがある。その過保護ぶりに、モルゲンは度々突っぱねていたけれど、ミスタはとてもモルゲンの意志を大切にしていた。

 だから僕は、ミスタに自分の呪いを打ち明けたのだ。

 モルゲンへの想いがエレインたちにバレているなら、どうせ彼にもバレている。そう開き直って全部話したら、「お前はもっと隠せ!!」と怒られた。よくわからないヒトだ。

 

【ま、それはとりあえず置いとくとして。どーよ、お前の見立て。何がどうなってるんだと思う?】

『恐らく、反王家主義と魔族の強硬派が中心、そのバックにレッドシールド家とエングランドがいます。

 そして……レッドシールド家はポルダーの経済だけではなく、魔族とのパイプを持ちたがっているかと』

【傭兵代わりか。確かに、今メンシュ国がキナくせぇもんな】


 ミスタの言葉に、僕ははい、と答える。

 メンシュ国は、マリアンヌ帝国とは反対に位置するポルダー王国の隣国だ。そして今、メンシュ国は自国にいるレッドシールド家を追い出そうとしている。

 元々、レッドシールド家含む太陽信仰は、その宗教の在り方をめぐって、聖光教会から迫害を受けていた。その上、裕福な太陽信仰の民は、身分格差や所得格差が激しい国での労働者階級から疎まれている。


【聖光教徒は金貸しの仕事を嫌うから、宗教的な理由もプラスされてるんだろうな】


 と、ミスタが付け加える。


【エングランドやマリアンヌはレッドシールド家と友好的だが、あそこは聖光教の力も強い。不況になれば、いつその責任を押し付けられるかわからん。その時のことに備えて、人間より強い魔族の兵力が欲しいんだろうよ】


 レッドシールド家にとっちゃ、世界が敵みたいなもんだ。

 ミスタの言葉を聞いて、僕は思う。

 加害者と被害者は、紙一重だ。

 モルゲンと出会ってから、つくづく実感する。


【とりあえずダイチ締め上げりゃ、エングランドに酵母のレシピが出回るこたねぇだろ。エングランドの連中が真似するには、あと150年はかかる。あっちはポルダーを自分たちの属国だと思ってるし、わざわざ傀儡化するほどじゃ――】

『……』

【……さっきからお前、喋ってなくね? 俺だけ喋らせてなくね?】

『考えていたんです。エングランドの目的は、果たして本当に麻薬と、ポルダーなのかと』

【……ん?】


『彼らの本当の目的は、モルゲンではないですか』



【……どういうことだ、そりゃ】

『モルゲンの【光の聖女】の返上。あれは聖光教会じゃなくて、魔族側からの要請でしょう』

【……】


 ミスタが黙った。図星なのだろう。

 確かに僕がモルゲンとの別れを望んだから、パルシヴァルが聖光教会を通して、王都へ入ることを禁じた。その口実として、勝手に『聖女』を名乗ったから、という理由が付け足されたのは、特に疑いようがないものだった。

 けれどそこに、魔族側からの要請があったとなれば、話は別だ。モルゲンが『光の聖女』を名乗ること自体が、魔族側――もしくは、モルゲンにとってのリスクだったのだ。


『旅をしていた時から薄々気づいていましたが、モルゲンが講師を勤めたというクラスの子どもたちの経歴を見て、確信しました。

 彼ら、暴行罪で一度逮捕されていますね。調書には、パルシヴァル・ワーグナーが担当についてから落ち着いたとありましたが、彼女から聞いた話だと、まるで別人でした』


 ずっと不思議だった。

 モルゲンは、様々なヒトビトと直接対立していた。ある時は娘を罵る母親。ある時は魔法使いを迫害する村人。

 見る限りカタギじゃないヒトにも、正気じゃなさそうなヒトにも話し掛けていった。挙げて言ったらキリがない。躊躇わず突っ込んでいくから、そのうち裏で暴行を受けたりしないかと、かなり気を遣った。


 けれど、そんなことは一度もなかった。

 十年もあって、一度も。

 面と向かって殴られたことは一度だけあったが、それだけだ。

 おかしいと思ってパルシヴァルに問い質したら、実は何度か反王家主義者から送り込まれた狂人や暗殺者がいたという。けれど、結局


『ずっと、考えていました。加護とは、魔法とは何なのだろう、と。

 サテュロス族が酵母を操ることが出来るのなら、加護や魔法も、魔力や聖力によるによって行われているのではないですか』


 例えば、エレインが放つ炎。

 あれは、発酵熱から出るものではないだろうか。森林では度々、そうやって自然発火が起きるのだと、モルゲンから聞いたことがあった。

 僕は専門家じゃないから、根拠となるものはない。ただの当てずっぽうだ。

 昔、モルゲンは話してくれた。母親が、完全なマイクロバイオームを作ってくれたのだと。それらは、治癒能力を上げたり、ストレス耐性をつくったり、感情のもとになる物質を作る、と。

 そして、心の傷は、脳の物理的なダメージだ、と。




『もしそうなら、モルゲンの身体には、蓄積された心のダメージを治癒する微生物がいるのではないかと思いました』

【……そうだ】



 ミスタが口を開いた。


【お前の言う通りだ。あいつの体には、かつての『光の聖女』の微生物叢が完全な形で継承されている。

 そしてそれは、、あいつがそこにいるだけで干渉出来ちまう。そいつとの距離でマチマチだが、中毒者や狂人レベルでも効果を発揮する】


 それは、恐怖やトラウマ、痛みに悩まされる軍人が、モルゲンがいるだけで回復するということだ。


【付け加えると、そのでマインドコントロールや洗脳だって出来る。命懸けで働くんなら、死地に送りだす国より、キズを癒して慰めてくれる女神様の方がいいだろ。

 アサのためなら命をかけても惜しくない――なんて思っちまうのさ】

『……それ、モルゲンには言っていませんよね』


 そんな風に狙われるなら、モルゲンは僕たちに教えているはずだ。

 けれどモルゲンは、自分のマイクロバイオームの話はしても、精神を治癒する話はしなかった。


【教えてない】


 やっぱり。


『自分のことなのに、自分以外は知ってた、なんて聞いたら、モルゲンは怒りますよ』

【おう、言うじゃないの。アサに諸々黙って消えたやつが】

『それとこれとは、話が別でしょう』

【わーってるわい! 今のは八つ当たり!】


 けどどう言えばいいってんだ? と、ミスタが言う。


【お前の功績は全部微生物が関係してますって? 自分が築き上げた友好関係は、全部微生物の影響だって聞いたら、おめーアサの立場だったらヒトを信じられるか?】

『信じます』


 キッパリと、僕は答えた。

 確かに幼い頃の僕は、モルゲンの言葉で癒された。あの時の回復や高揚感が、彼女の微生物の効果じゃない、とは言い切れない。寧ろ、ミスタが言う通りなんだろう、と確信している。

 だけど、モルゲンの言葉や想いは嘘じゃない。


『簡単にヒトを思い通りに出来るなら、僕らはもっと楽に旅が出来ている。

 これまでの功績を作ったのは、モルゲンの意志と、僕らが費やした十年です。微生物じゃない』


【……待て】


 ミスタの声色が変わった。


【お前、いつから気づいてたんだ。アサがそういう体質だって】

『はっきり言語化できたのは、最近ですが……』


 恐らく、旅をしている時には気づいていた。


【ってことは、呪いにかかってるってわかってた時には、知ってたのか? じゃあなんでアサから離れたんだ? そこまでわかってたんなら、精神干渉してくる呪いも解けるって、わかってただろ】


 ……やっぱり、そうだったのか。

 人間と魔族の決裂の原因である、『魔族の呪い』の正体がペストであるなら、僕の掛けられた呪いもまた、微生物によるもの。

 そしてモルゲンの体質は、僕の呪いを解くことができる。だけど。


『呪いが解けると言っても、その前に彼女を殺してしまうかもしれません。……実際、未遂は起きました』


 それに、と僕は付け加える。


『距離で効果がマチマチということは、今まで試したことの無いほど近い距離じゃなきゃ、僕の呪いは解けないということでしょう。

 なら方法は限られています』


 母親から、キスをされた時を覚えている。

 唾液を流し込むキス。身体の一部に、無理やり入れられた感覚。

 体液には、大量の微生物が住み着いている。あれが、呪いの経路だったんだろう。

 呪いは、別の呪いによって上書きするしかない。つまり自分がされたことを、モルゲンにさせるしかない。

 モルゲンは強いから、呪いを打ち明けたら躊躇わないだろう。僕は弱いから、それを口実に彼女を抱く。

 モルゲンは僕が想うような気持ちを持っていないとわかっていながら、僕は平気で彼女からの信頼を裏切り続ける。

 それは、絶対に嫌だった。

 

『僕を救うために、彼女が生きているわけじゃありません。……救ってくれるから、好きになったわけじゃないんです』


 善良さとか、正義とか、公平とか。

 そういうものは、皆良いものだと信じてるはずなのに、「そんなものは嘘だ」と鼻で笑う世界で、彼女だけは堂々と口にした。

 善良で、自分の正義を信じて、それでも他者の立場を考える彼女が、この世界にいてくれたことが嬉しかった。

 十年間、隣にいてくれたことが嬉しかった。







【……すまん】


 ポツリ、とミスタが言った。


【お前、そこまで分かっていて、アイツと別れたんだな。

 じゃあ俺は、お前に伝えなきゃならんことがある】


 よく聞け、とミスタは言った。


【お前の母親の余命は、もってあと数週間だ。病院から連絡が来た】

『……はい』


 薄々気づいていた。

 パルシヴァルがモルゲンにクラスを任せたのは、母の死を看取りに行ったからだろう。

 このままだと、いよいよ僕の呪いは解けなくなる。それはもう、覚悟している事だった。

 もう一つは、とミスタが付け加える。



【アイツが、自分に呪いを掛けていることだ】

『……え?』

【動機は、お前がアサを忘れる呪いと一緒だよ】


 これ以上は言わん、とミスタは言った。


【アサとちゃんと話し合え。もう隠すな】



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 あのね、と、僕の肩に頭を預けたモルゲンが、口を開いた。


「私、君のことが好きなの」


 嘘みたいな言葉が、確かに耳元に届いた。


「私が掛けた呪いは、『君への恋心をなくす』ことだよ」

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