第27話 分断された世界とブレイク・スルー
「アサさん」
そっと、私の腕を撫でるように、あかぎれ一つないフェナさんの手が動いた。
私は我に返って、「失礼いたしました」と微笑む。
「お久しぶりですね。ミスタ・ハワード。いらしてくれて嬉しいわ」
フェナさんが声を掛ける。
「今日はお招きいただき、ありがとうございます」
「ここでは、マリアンヌやエングランドのような格式ばったものではないので、どうか気楽になさってくださいね」
フェナさんがそう言うと、はい、とミスタ・ハワードが答える。
「ご紹介します。私の親戚である、アサです」
「アサと申します」
社交場において、地位が高いのは男性ではなく女性だ。
私とフェナさんはほとんど年齢が変わらないけれど、最年長であり女主人であるフェナさん、その次に私がくる。その次にダイチくん、ミスタ・ハワード、最後がアルトゥールくんだ。
地位が下の人は、地位が上の人に話しかけることは出来ない。だから、上のものが声をかけるまで、黙っていなければならない。
私はそっと手を差しだすと、ミスタ・ハワードは口元まで持っていき、私の薬指に唇をあてた。
私の手を離したミスタ・ハワードは、今度はスッとアルトゥールくんの前に手を差し出す。
「こちらは、ヨンクヘール・アルトゥール・ブラウ。『勇者』や、ブラウ曹長という名の方がご存知だと思うが」
はい、よく知ってます。
本来のアルトゥールくんなら、もっと高い爵位を名乗ることが出来るのにな。
そんなことを考えつつ、私は素知らぬ顔で手を差し出した。
アルトゥールくんは、無表情のまま、握手をした。
ミスタ・ハワードが、目を丸くする。
服従の意を表すキスじゃなくて、対等な相手に返す握手。それは、地位が低い男性が、地位が高い女性に対する行動ではなかったからだ。
……どんな時であっても、君は君なんだね。
私は、泣きたいぐらい胸がいっぱいになった。
それを何とかこらえて、私はミスタ・ハワードに微笑む。
「ご子息のルーカスくんから、お話は伺っております。
まだパーティーまで時間がございますし、別室でお話いたしませんか?」
そう言って私は、『光の聖女』の彫刻の傍にあるドアを指した。
「ルーカスの先生だったのですか」
愚息が、大変お世話になりました。
ソファに腰掛けたミスタ・ハワードが、そう言った。
リュカの本名は
もう一人は魔族で、バラバラ殺人事件が起きてから、上層部からしばらく休学するように言われた。学園の生徒の動揺を防ぐため、だそうだ。
――まだ犯人が魔族と決まったわけじゃないし、同じにみなすのは差別だと思うけれど、もし魔族と言うだけで他の生徒から殴られるかもしれないことを考えると、あまり強くはいえなかった。同じことが、以前もあったというから、なおさらだった。
「ミスタ・シュヴァルツヴァルトのご好意で、エングランドのパブリックスクールへ入ることになりました。レッドシールド家には、大変感謝、」
「そのことなのですが」
私はあえて遮った。
「リュカ……ルーカスくんの転校を、とりやめることは出来ませんか」
ミスタ・ハワードが、口を閉ざす。
「ルーカスくんには、友人がいます。今、別れるのは酷ではないでしょうか」
「……友人は、選ぶべきでしょう」
硬い声で、ミスタ・ハワードが言った。
「失礼ですが、ポルダー王国の方針は、正気とは思えない。今の王立は名ばかりで、混乱だけを招いている」
「……」
「……差し出がましいことを述べましたかな」
ミスタ・ハワードの言葉に、いいえ、と私は答える。
「我々は、日々新しい教育環境を模索しています。至らぬ点も多いでしょう。貴重なご意見、感謝いたします」
ミスタ・ハワード。
エングランド連合王国出身。ハワード家は貴族階級ではなく、
金こそ身分である、貿易国家のポルダー王国とは違い、エングランドの身分制度は、とても厳格だ。
そのためハワード家は国家を支える海運会社でありながら、エングランドの社交界では格下に見られ続け、彼がパブリックスクールに通うことは出来なかった。それでも、一人息子の教育のためにポルダーへ渡り、ようやく爵位を授与された。
「私もジェントリです。身分や階級格差に、苦しんだ日もあります」
ミスタ・ハワードは、ポツリと言った。
「それが『魔族』というだけで遮られるのであれば、改革するべきでしょう。ミスタ・シュヴァルツヴァルトのような方がご活躍できる社会であって欲しい。
ですが、勉学に励むことも、親や家に還元することもなく、ただ金と時間だけを食いつぶす存在に、貴重な税金を割いてまで与える必要がありますか。無作法にも近づき、秩序を壊すだけではありませんか。――そんなものが犯罪を犯すから、他の魔族にも迷惑がかかるのでしょう」
「だから、使えない子どもが麻薬漬けになってもいいと?」
私の言葉に、ピクリ、とミスタ・ハワードの表情が固まった。
そして嘲るように、口角を動かした。
「仰りたいことが、わかりませんな。レッドシールド家である以上、そのお立場なのでは?」
「麻薬の実験結果は、軍事に利用できますものね。きっと先の戦争でも、医療事故や心の弱さに見せかけて、兵士に人体実験を行った方もいらっしゃるでしょう。資源の扱いとしてはあまりに非合理的なことですが、喉から手が出るほど貴重なデータです」
自国の国民を人体実験にしたくない。なら、他国の国民を人体実験に使えばいい。
ついでに麻薬漬けにして無力化出来てしまえば、破壊行動をしなくても傀儡政権を作ることが出来て、一石二鳥。
特にポルダー王国の王立学園は、子どもから大人まで、人間から魔族まで、あらゆる実験対象がいる。寮暮らしのため、閉じ込められた環境ではさぞ実験に最適だったのだろう。
「爵位とパブリックスクールへの入学を引き換えに、レッドシールド家を経由して、エングランドに命じられましたか?」
「ミス。その辺りで」
ミスタ・ハワードは、私を見る。
睨まれるかと思ったけれど、その灰色の目は平静だった。
どうしようもない抑圧に従って、己を殺してきた者の目だった。
「……子どもを持たぬあなたにはわかるまい。
次の世代に苦労をかけぬよう、この悔しさを受け継がせぬよう、身を削るように生きてきた」
言葉は表面上穏やかだったからこそ、その言葉がジリジリと私の心を削る。
「あなたはどんな振る舞いをしても受け入れられるだろう。髪を黒く染めても、エキゾチックで魅力的な女性だと褒め称えられる。だが息子がすれば、秩序の破壊者として、ただ迫害されるだけです。
環境はヒトを作ります。私は、息子が粗悪な言動を繰り返す友人と過ごして、粗悪な言動に染まって欲しくは無いのです。例えそれが、恵まれぬ者に対しての同情だとしても、私はそもそも存在自体を息子に見せたくない。――まともな者が引きずり込まれないためにも、世界をきっちりと分ける必要がある」
そう言えば、と私は思い出した。
初日、リュカの髪は黒かった。けれど、その次の日から金髪に戻っていた。「学園の秩序を乱す色だ」として、厳重注意が入ったらしい。それも、無理に押さえつけられて、金髪に戻されたという。
私は、まずリュカに対する肉体への拘束を(当人の意思なく外見に手を加えることは立派な暴行だ)、次に黒髪に対する見た目への侮辱と差別を訴えたが、眉をひそめられたぐらいで、取り合って貰えなかった。
代わりに、「地毛であるあなたは特別に許します」という、意味がわからないお墨付きを貰った。
なぜ、私が私であるということを、誰かに許可をとらなきゃいけないのか。明らかに黒髪である私を、格下扱いしている。そう言っても、相手は全くピンと来ていなかった。
なぜ分からないんだろう。
「許されない」とされている環境に、特例として許された少数派が、安全なものか。
そこで生きていくしかないのに、勝手に世界を分けられて、「異物」であるとレッテルを貼られて、「破壊者」として何をしでかすのか、警戒した目で見られるだけだ。そんなの差別でしかないのに、どうして多数派は「これだけ譲歩してやった」と被害者ぶるのか。
いつ切り捨てられるかわからない恐ろしい状況で、どうやって勉学に励めというんだろう。励むことが出来る者もいるだろうが、それは強いられるべきことなのだろうか? そこからこぼれ落ちて、逃げたくても逃げられなくて、麻薬漬けにされて搾取され続ける子は、「自業自得」なんだろうか?
だから私は、旅をしていた時は金髪だったし、リュカは髪を黒く染めていた。
黒い髪の魔族や人間が、目立たないように、黒髪である生徒の割合を増やそうとした。安心して学園で生活できるように、身体を張っていた。
リュカには正義がある。けれどそれは、リュカを大切にするヒトからしたら、あまりに不安なことだったんだろう。
ミスタ・ハワードは、貴族の家長としてだけではなく、父親としてリュカを大切に思っている。それは間違いない。けれど、リュカを理解していない。
「あなたのあり方を、リュカは良しとしません。
虐げられないように、虐げる側になる。利用されないように、利用する側になる。
誰かを踏みつけにして支配するような世界で、リュカは、そんな社会の構造にNOを突きつけています」
「そんなのは、現実を痛感したことがない理想論だろう。口だけ述べても、」
「述べてはいけませんか。理想を」
私は、強く言い返した。
「どんなことがあっても、ヒトは平等なのだと。
そういう社会で生きたいと願って、口に出すのは恥ずかしいことですか。
皆が心の中で思っていても、誰かが口に出さなきゃ、なかったことにされるのに」
さっきのアルトゥールくんが、そうしたように。
『
私は、リュカやアルトゥールくんのあり方がいい。
「……一度、リュカと交えて、話していただけませんか。何もかも失う前に」
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