第22話 子どもたちを喰らう怪物②
引き戸を開けたのは、リュカだった。
「はよ、アサさん。なんかずいぶん盛り上がってんな」
「おはよう、リュカ」
あれ、と私は思った。確かリュカは、家の都合で今日はお休みするんじゃなかったっけ。
「ん、休みだけど。……ちょっといい?」
リュカのうかがうような表情を浮かべる。
何かを察したのか、ルークとジョージが席を立った。
「あーっと、俺なんかすんごいうんこが出そう」
「アサちゃん、俺ら特大モリモリうんこしてくんな。しばらく帰って来ない」
「便意の実況しなくていいから」
っていうか、細菌は嫌なのに、うんこはいいんかい。
引き戸が閉められたあと、足音が去るのを待ってから、リュカが言った。
「……アサさんってさ、『先生』って呼ばれなくても、怒らないよね」
ゆるくうねった前髪を真ん中で分けているリュカは、少年らしさと青年らしさの合間にいて、儚げな危うさを持っていた。
アルトゥールくんと、少し似ている。
「先生じゃないからね」
教員免許持ってないし。
だから初日に、『先生って呼ばなくていいです。名前で呼んでください』と伝えておいた。ちゃん付けされたかったわけじゃないけど。
「俺たちが敬語使わなくても、怒らないよな」
「怒ることじゃないでしょ。私の生命や権利が侵害されてるわけじゃあるまいし」
私の方が歳が上で、経験も知識もあって、権力もある。その気になれば、体術で制圧することもできる。全てにおいて私の方が上なのに、侵害される心配があるだろうか。
勿論、暴力や暴言を振るわれたり、性別や見た目、出身地などを理由に侮蔑したり、他者の心身や権利を侵害するような行為があったら怒るけど。
「私が生きていた世界では、年上も年下も関係ないもん。年上が子どもに敬語を使うこともあれば、院生は教授のことを『先生』って呼ばないようにしてるし」
そしてそれは、ある種のセーフティだ。
年齢による秩序は悪じゃない。ある程度勤めれば敬われ、地位を獲得できるのは、社会においてメリットが大きい。頑張れる秀才や天才はほんのわずかなのに、優秀なヒトばかり生き残る社会は、社会として崩壊している。
でもそれだけじゃダメだ。
特に、長命種である魔族との共生社会では、破綻する。
「先の戦争において、最も兵士が死んだ病気って知ってる?」
「……破傷風?」
私は違うよ、と言った。
「脚気、つまり栄養失調だよ」
脚気は、豚肉などに含まれるビタミン B1が不足して起こる疾患だ。
魔族領では誰もが知ってて当然の知識も、人間領ではほとんど知られていなかった。
「ある国では、この病気は細菌感染症によるものだと長く信じられてきた。若い研究者がいくら『違う』と研究報告を出しても、権威ある学者や軍医に邪魔され続けたの」
おまけに権威ある学者や軍医らは、未来ある若者たちに対して、『先達に敬意がない』『師に恩を受けて仇を返した』と、バッシングや職場追放、受賞のチャンスも奪っている。
権威やら敬意やら恩とやらのせいで、失わなくていい兵士の命は、どんどん消えていった。
「大事なのは、命を守ること。敬意も権力も、命を守るためにある。
私は、君たちが私に敬語を使わないのは、君たちが自分の命を守っているからと判断しました」
彼らは大人に敬意がないんじゃない。信用していないのだ。
思春期を迎えた彼らの心身は今、綱渡り状態だ。身体は大きく変化して一気に脆弱し、心は過敏なまで自意識と他人の思惑に揺れる。
そんな状態で、この不安定で変化が大きい社会を、渡りきらないといけない。それなのに、大人は自分たちの言うことを聞かないと、突き落とすぞと子どもを脅すのだ。
子どもたちは、大人たちに突き落とされないように、目一杯威嚇する。
あるいは、突き落とすことはしなくても、大人たちに助ける余裕も能力もないことを、よく知っている。
そう言うと、そっか、とリュカは笑った。
「じゃあ、『先生』。
一つ、頼まれてくれないかな」
リュカの言葉に、私は目を見開いた。
「……俺が居なくなっても、ここを守って欲しいんだ」
何かを諦めた目は、それでも、と強い意志を宿していた。
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この学園は変だ。来てそうそう気づいた。
情報がせき止めされている。確かに、うちのクラスは少々特異な上、校舎の隅にあるクラスだ。他の教師が来ることは滅多にない。
だからと言って、他のクラスのウワサが一切届かないことが、あるだろうか。
ほかの教師たちと話をしても、他クラスのことはよくわからない、と言う教師が多かった。自分のクラスのことで精一杯。……というより、他所のクラスの粗をつついたら、今度は自分が槍玉に上がると恐れている。
教師たちは生徒の成績によって、来年以降の在籍が決まる。この学園でなければ居場所がない、という教師も少なくない。
そんな状態で、過密なスケジュールをこなし、功績を上げなければいけないのだから、生徒について話し合ったり、交流をする余裕はないのだろう。
あるいは、派閥を作って、表面上友好関係を取り繕うか。そこまで考えると、胸糞が悪くなってくる。
川が上流から下流へ流れるように、ストレスのはけ口も当然、弱い方へ流れていく。
そうなると、最終的にストレスのゴミ箱にされるのは、子どもたちだ。そして子どもたちの中でも、最もゴミ箱にされる子がいるのだろう。子どもたちの中にも、当然序列がある。
全く合理的じゃない支配だ。けれど悔しいことに、表面上はとり繕える。
皆、自分の居場所を守るために、隠蔽するからだ。あるいは、暴こうとするものを秘密裏に排除するだろう。
多分、先生は、この歪な支配体制に気づいていた。
だから、学園の情報を綴ったノートに、こんな言葉を残していた。
『至急、下水を調べるべし』
その言葉を受けて、私はこの学園に来てから真っ先に調べた。
納豆菌などの微生物を使った、下水道システムの普及は、勇者との旅の目的の一つだった。まだ全国に広まった訳では無いけれど、王都とモクムでは完備されている。そして下水道管は当然、王立フォフスタッド学園のトイレにも通っている。
そこへ流れる排泄物の検査報告に、私は頭を抱えた。
LSD。
麦角菌から作ることが出来る幻覚剤――麻薬の成分が見つかった。
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