元聖女のファーメンテーション

第21話 子どもたちを喰らう怪物①

 王立フォフスタッド学園。

 名門でありながらも、すべての国民に入学資格がある――魔族も入学することが出来る、王都唯一の学園だ。

 だからと言って、魔族の生徒たちにとって過ごしやすい学園、というわけじゃない。

 教員は全員人間だ。魔族のことをよく知らないで、魔族の子に合わない教育をしてしまう。

 人間の子なら難なくできることも、魔族の子はなかなかできないこともある。逆に魔族の子の方が簡単できて人間の子にはできないこともあるけど、そういう分野に限って評価されない。

 よって、【黒い森】とは違い魔族は圧倒的に成績が低く、授業についていけず中退する魔族も少なくないそうだ。


 ……となんとか言いつつ、人間の子も似たような状況だ。ただ、そう言った子は裕福な家庭で、親の意向で何とか籍を残している。

 私が先生に任されたクラスは、そういう子たちの最後の砦で、たった一つの居場所だった。



「なー、アサちゃん。アサちゃんって男いねーの?」

「その情報は教えたくない。そして今後一切私に聞かないで」


『嫌』とわかりやすく伝えるため、低く硬い声で私は言う。

 えー、と、まだ体付きが完成していない男子生徒――ルークとジョージが口を尖らせる。


「かってぇな、アサちゃん。こんなの、他のクラスのヤツだってフツーに聞いてるぜ?」

「あ、さてはモテないだろ? ガード固い女は行き遅れるぞー」

「アサちゃんまじめそーだから、キスもしたことなさそー」

「そうやってヒトに恥をかかせて、自分の思い通りにしようって行為も、支配の手口だからね」


 支配、という言葉を出すと、二人ともそれ以上は言わなくなった。

 ルークはマリエンヌ帝国からやって来た貴族令息で、ジョージはエングランド連合王国から来た商家の子だ。育った環境が違うのに、まるで双子のように息が合う。そのため、二人が揃うと対応が楽な時もあるけど、歯止めが効かなくて授業が崩壊する時もある。――と、クラスを任された時渡された、先生のノートに書いてあった。

 そのノートが記す通り、下ネタの話が始まると止まらない。本人たちは好奇心とほんのわずかな羞恥で囃し立てているのだろうが、中身がずいぶん支配的な性行為なので頭と胃が痛い。

 彼らは女の子に興味があるというより、「女の子を手に入れて男社会に認められる自分」が欲しいのだと気づいて、どんな大人に囲まれていたのかよくわかった。さっきの言葉も、周りの言葉をエミュレーションしていたのだろう。

 あ、と私は一つ思い出す。


「そういや君たちって、キスしたことある?」

「は?」

「口や唾液には、たくさんの細菌がいるんだよ。二十歳になる前にキスすると、相手の歯周病菌が定着して、一生付き合わないといけなくなるから」

 

 歯が抜けたくなかったら、ちゃんと歯磨きしなさいね。って話。

 私がそういうと、うげ、と二人が顔を顰めた。


「やめてくれよ、キスしたくなくなるじゃん……」

「細菌とか気持ち悪ぃ……」


 意外なことに、王立フォフスタッド学園では、免疫を始めとした微生物学、消毒などの衛生学が、ある程度浸透していた。

 というのも、学年が上がるにつれ戦場から生き残った軍人のご子息が多く、衛生に関して厳しく躾られたらしい。

 そして細菌というと、彼らが真っ先に連想するのは、ペストや破傷風などの病気だった。


「あのね、別に細菌は悪くないからね? ヨーグルトやチーズにも細菌はいるし、ヒトの身体の機能のほとんどは細菌で出来ているんだよ?」

「やめてくれよ、続けるの!」

「チーズ食べられなくなるじゃん!」


 うーん、困った。

 これはオーバーではなく、本当に菌に対して恐怖を植え付けられているっぽい。

 確かに危険意識は持って欲しいけれど、微生物学者としては、腫れ物扱いも困る。でも嫌がってるのに、無理に説明するとさらに苦手意識が深まるかも……。

 ちょっと考えて、私はある研究結果を思い出した。


「そう言えば、キスの気持ちよさは細菌で決まるって話が……」


 ばびゅん。

 滅多に席につかない二人が、教卓の前の席に座った。


「さ、アサちゃん。話の続きをどうぞ」


 キリッとした顔つきで、ルークが言った。

 よかった。この話題は正解みたい。


「キスをする相手と細菌が調和すると、心地よく感じるんだって。逆に調和できないヒトとすると、不快に思う……とか」

「へえ。なんで?」

「それは私にもわかりません。というか、本当かどうかわからないし」


 私の専門はキノコやカビなどの真菌で、細菌は専門外だ。その上、人体実験は倫理的にアウトなので、ヒトのマイクロバイオームはブラックボックスが多すぎる。その時は「そう」と言われたものが、ある日突然「あれは嘘だった」ってこともあるし。

 ただ、と私は続ける。


「ヒトに住み着く微生物の多くは無害、もしくは有益なの。そもそも微生物がいなければ、私たちは満足に食事を消化して栄養を形成することすら出来ない」


 これは多くの生き物に言えることだ。

 動物も植物も、そのほとんどは微生物の力を借りて栄養を得ている。一人じゃ生きることすらままならない。


「病気などを引き起こす微生物も、体内に取り込むことで免疫を得ることができるんだ。だからキスをすることで、有益な微生物や免疫を交換している説がある。

 キスを重ねると、微生物叢が似通ってくるらしいし、キスすると更に相手を好きになるのかもしれないね」


 まあ、恋愛感情は色んなものが重なって起きているだろうから、そう単純な話ではないのだろう。叶う前に失恋するヒトだってたくさんいるし、叶った後も破局するヒトもいる。

 恋愛だけじゃなくて、ヒトの心は、不確かで、不安定なものだ。

 それでも、誰かとの接触を極端に恐れて欲しくないな、と思った。


「恋人だけじゃない。友人も、親子も、犬や馬とだって、一緒に過ごすことで微生物を共有し、共生しているの」


 私は教室の前にある黒板に、『commensalism片利共生』と書いた。


「共生には、色んな種類がある。その中でも、片方に利益があり、片方は得もないけど損がない関係があるんだ」

「え、寄生ってこと?」

「寄生とはちょっと違うかな」


 寄生は片方のみが利益を得て、片方が害を被る共生のことだ。例えばカやシラミなどがそれにあてはまる。


「この言葉は……」


 私はふと、エレインの顔と、あの日作ったパンを思い出す。

 魔法使いだから、神様のテーブルに座れなかったという彼女。


「この言葉の由来は、『食事仲間』とか、『テーブルを共有する』という意味があるの。

 この世界で生きる以上、私たちは、同じテーブルに座って食べている。それは、そう簡単に断ち切れる関係じゃない」


 エレイン、とここにはいない友人に、心の中で語りかける。

 私は、あなたが堂々とテーブルに座れる日常を、ほんのわずかでも作ることが出来ただろうか。

 そんなこと、本人に聞くまでもない。

 まだまだ全然足りないのは、私が一番よくわかっている。


「嫌いなモノやヒトを、無理に好きにならなくていい。嫌いなヒトはいて当然だし、君たちを害するヒトを許す必要も愛する必要もない。

 ……それとは別として、誰かが席に座れなくて困っていたら、一つ椅子を用意してあげて」


 知らない誰かと出会い、一緒に過ごすのは、当然リスクはある。

 病気がうつることもあるし、うつすこともあるだろう。これ以上感染させないために隔離することも大事だし、貿易船がなければペストは蔓延しなかった。

 だけどいつか、出会いには、それだけで見返りや意味があるのだと信じたい。

 ……。



「あれ? これ何の話だっけ?」

「アサちゃんが見失ってどうすんの!?」


 いけない。私、すぐに話が横道に逸れるんだよね。えーと、どこに話を持っていきたかったかな。


「あ、キスしなくても回し飲みとか、会食でも病気は感染するから気をつけてね、って言いたかったんだった!」

「だからそう言うことやめろって!」

「メシ食えなくなるだろーが!」



 などと喚いていると、ガラッと教室の引き戸が開かれた。

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