アルトゥール視点 かつての日々⑤

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『そういえば、モルゲンのご両親はどんな方なんだい?』


 僕が尋ねると、んー、とモルゲンは腕を組みながら悩んで、


『人間?』

『え、疑問形?』

『フィジカルとメンタルがちょっとアレで……』


 例えば、とモルゲンが言った。


『お父さん、火竜族に燃やされても、ケンタウロス族に轢かれても、弓矢や銃弾で頭を撃ち抜かれても、普通にピンピンしていたし』

『そのヒト、本当に人間?』


 思った以上にフィジカルが強かった。

 確か魔族は、その過酷な環境に適応するために進化したと聞いたことがある。【黒い森】の人間族も、魔族に合わせて進化しているのかもしれない。

 火竜族の炎に焼かれても平気なヒトが、モルゲンをいじめていた子に対して烈火のごとく怒っていたら、それは怖いだろう。


『でもまだ常識的なんだよ、お父さん』

『常識的なんだ……』

『お母さんは色んなヒトから「天才」って呼ばれるヒトで、善人ではあるんだけど、発想が突拍子もないっていうか 』


 例えば、とモルゲンが言う。


『人間や魔族だけじゃなくて、多くの生き物は、体外体内問わず、微生物の共生コミュニティで成り立っているの。これをマイクロバイオームって言うんだけど、この微生物叢は私たちの健康、精神、能力に直結している。

 特にお腹に住んでいる腸内細菌は、免疫や食べ物の消化能力、ストレス耐性や人格、運動神経にまで強く影響を及ぼすの』

『え、ちょっと待ってくれ』


 今、聞き逃せない言葉が出てきた。


『精神や人格って、脳の領域じゃないのか?』

『うん。でも、思考や感情を作る成分は、腸で作られているんだよね』


 これを脳腸相関と言うんだけど、とモルゲンが言った。


『マイクロバイオームは、最初、産道を通った時、帝王切開の時は抱っこした時や授乳の時に得る。この時母親から微生物を受け継ぐの。この微生物の中に、認知能力とか運動能力とかの遺伝情報を持つものがいる。これらの菌を多く持っていると、丈夫な体と心になって、頭が良くなって、高い運動能力を持てるようになるの』


 で、と声を濁らせて、彼女は言った。


『うちの母は、最強のマイクロバイオームを自分の体内で作って、私に渡したわけです』


 虚無の目をしている。


『健康や能力が上がってるなら……いいこと、なんだろうな?』


 こうして口にすると、僕が教会から受けた加護みたいなものだろう。そんなに悪い事だとは思わない。


『うんまあ……多分? 個人の同意がない臨床実験のような気もするけど』


 それを言われると、確かに非人道的な気もする。

 僕が誕生日の日に着せられた宮廷服は、子どもの僕にとっては負担だった。親が子どものためにと考えることが、子どもにとって好ましい結果になるとは限らない。親が決定したことを、子どもが覆すことはほとんど不可能だ。



『でも、好きなんだろう。ご両親のこと』


 ずっと見ていればわかる。

 モルゲンがどれだけ、大人たちに大切にされてきたのか。

 僕がそう尋ねると、モルゲンはきょとんとして、嬉しそうにうん、と頷いた。


『我が両親ながら、変わっているとは思うけど――大好き』


 屈託なく言い切る彼女の純粋さが、好きだった。










 たくさんの話をするたび、モルゲンのことを知りたくなった。

 彼女のことを、もっと知りたい。彼女の考えや声を、もっと聞きたい。

 喉が渇くように、空腹を覚えるように、他者のことが知りたいと思ったのは、これが初めてだった。

 そうして、彼女と出会ってから三年が経ったころ。


『いや、近すぎだろ』


 頬杖ついて、気だるそうにエレインが言った。

 何を言われているのかわからなくて、僕はきょとんとした。


『……近い?』

『近い。むちゃくちゃ近い。十五歳の男子と十三歳の女子の距離じゃない』


 早口でエレインが話す。

 僕はむっとした。


『そんなこと、今まで一度も言わなかったじゃないか』

『今まではね。でも君、今身長どれぐらい?』


 エレインに言われて、僕はこないだ【黒い森】で受けさせられた健康診断を思い出した。


『ええと、182cmだから……6フィート』

『そう、6フィート!』


 ビシ、とエレインが指を指してきた。指を指さないで欲しい。


『ちなみにモルゲンの身長は155センチ、約5フィート1インチ!

 身長差が! かなりある!』

『……それと、なんの関係が』

『フツー背が小さい子にとって、大きい子は怖いんよ! それが男の子ならなおさら!』


 え。

 思わぬ言葉に、僕は言葉を失った。

『ずっと言おう言おうと思って、言うタイミング逃していたけどさ』エレインは珍しく、強気の態度を崩さなかった。


『モルゲンが何も言わないからって、髪とか肩とか触るのもよくないよ』

『……本人が嫌なら、嫌って言うんじゃないか?』


 モルゲンは、嫌と思うことには嫌だとハッキリ言っている。

 こないだ、モルゲンの頭を撫でようとした老人から、無言で手を叩き落としたぐらいにはしっかりしている。


『例えモルゲンがいいって言ってもダメ。

 他人にノーと言うのと、顔見知りにノーと言うのじゃ、ハードルがまた違うんよ』


 今までどんだけ私が苦労したか、とエレインが頭を抱える。


『小さい頃の態度のまま変わらんかった親父を、どんだけ説き伏せたか……』

『……』


 そういえば、エレインの父親って、エレインのことすごく溺愛していたな。

 とてもいい方だと思うが、確かに今の年齢であの態度で接されたら、うざいかもしれない。もしパルシヴァルにされたら、僕はうんざりする。



『……え、僕、うざい?』

『うざい。キモイ』


 歯に衣着せぬ物言いに、僕はショックを受ける。

 エレインは少し考えてから、落ち着いた声で言った。


『私ら家族みたいなもんだから、兄妹みたいに距離感が近くなるんだろうし、あの子もまだまだ感性が子どもだけどさ。

 君もモルゲンも、成長している。今まで良かったからって、その時その時、適切な距離を考えなくちゃダメだよ』









 

『ねえ、最近距離遠くない?』


 モルゲンに言われて、僕はどきりとする。

 モルゲンに気づかれないよう、徐々に距離を置こうと思ったのに、あっさり見破られてしまった。

 僕がすぐに答えなかったので、モルゲンは察したらしい。


『……何か私した?』

『してない! してないから!』


 無視されたことを思い出したのか、顔を青ざめて尋ねるモルゲン。

 僕は諦めて、エレインから言われたことを話した。


『は? 身長高いから怖い? ないない』


 本当は怖かったり、うざいとかキモイとか思っているんじゃないか。そんな僕の心配を蹴飛ばすように、モルゲンは手を振りながらあっけらかんと否定した。


『【黒い森】じゃ、竜族とか巨人族とか、君の二倍三倍大きいヒトたちばっかりなんだよ? 身長だけで怖いわけないって』

『それを言われたらそうなんだけど……』


 彼らは、僕じゃない。

 彼女には、隠していることがある。というか、彼女は気づいていないんだろう。

 エレインは指摘しなかったけれど、多分気付いている。

 エレインは滅多に『男女』を強調するようなことは言わない。その意図に気づいた時、僕は自分の欺瞞と、それすらエレインにバレていたことに、恥ずかしくて耳が赤くなるかと思った。

 僕は彼女を家族としては見ていない。

 だけど、それを認めたくなかった。

 自分の触れられたくないところを触れられて、思わず反抗してしまったが、エレインの言う通りだった。


 三年前は、僕の方が少しだけ高くて、ほとんど変わらなかった。

 けれど僕は今、この小さな子を自分の力でねじ伏せることができてしまう。


 そんなことはしたくない。母のように、恋しい相手の名前を呼びながら、狂いたくない。

 何より、僕はこの子を汚したくない。

 僕は、恋愛や性欲を呪っている。相手や自分、周囲を破滅させるような感情や行為が、どうして世の中で尊ばれるんだ。

 だけど、そんなことを言ってしまったら、彼女の目的である『恋をしたい』という気持ちを踏みにじってしまう。

 彼女はそのままであって欲しい。自分みたいに、怖がっている自分を誤魔化すようにひねくれて、遠ざけないで欲しい。夢を見て、夢を現実にしてしまう彼女であり続けて欲しい。だから僕の気持ちに気づかないこの状態は、願ったり叶ったりだ。


 それに、とモルゲンは無邪気に言う。


『いざって言う時、アルトゥールくんが私を抱えて走ってくれないと、私死ぬよ? その時に触られるのが嫌ー、ってなったら、私もアルトゥールくんも困るじゃない?』


 それにアルトゥールくんは、私の意思を無視したりしたことないじゃん。なんで怖がる必要があるの。

 ――その言葉を聞いて、僕は、何かがガラガラと崩れた。



 何も知らないでいてくれる方が都合がいいはずなのに、何も知らないで無邪気に信頼するまっさらな君に、憎悪を抱いた。

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