アルトゥール視点 かつての日々③

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『子どもをカウンセリングに使うんじゃない!』


 目の前にいる少女――モルゲンは、そう言って母親に怒鳴った。

 勇者の旅の途中である、とある町。

 ある母親が娘に対し、『私はこんなに頑張っているのに、誰も認めてくれない』やら、『あんたや周りのために、私が犠牲になったのに』やら、泣きながら言っていた。娘は俯いて、その言葉を聞き続けている。周りは視線だけは二人を見ているものの、関わりたくないと距離を置いていた。

 母親の怒鳴り声は耳障りで、内容も決して心地よいものではないが、街の中ではたまにみる光景だ。大の男の喧嘩のような殴り合いにはならないと見て、周りは静観を決めていた。

 ――モルゲンは、そこに一人で飛び込んだ。

 怒りで身を震わせながら、カン!! と、持っていたトネリコの杖の底を、石畳に叩きつける。一瞬で、その場にいた者全員の注目を集めた。


『「私はこんなに頑張った」!? そんな言葉、絶対に子どもに聞かせるな!

 子どもはあなたの承認欲求を満たすためにいるんじゃない! 子どもを、自分の孤独を埋めるために使うんじゃない!』


 ――私これだけ頑張ったのに! 愛されるためにすごくすごく頑張ったのに! なんで苦労してないあんたが全部壊すのよ!

 ガンガンと、封じ込めていた記憶の蓋が壊されていく。

 それが恐ろしくて、僕の体がかたまった。


『「あんたのために犠牲になった」!? 当たり前じゃん、大人は子どもを守るのが仕事でしょ! けど、自分の感情を犠牲にして、大人の機嫌をとったり、励ましたり――そんなのは子どもの仕事じゃない! 頼む相手を間違えてる!』

『な……何よ、このガキ! 偉そうに!』


 パァン!! と、母親がモルゲンの頬を叩いた。さすがの暴力沙汰に、周囲がざわめく。

 そのまま馬乗りになって叩こうとしたのを、買い出しに行っていたパルシヴァルと、静観していた街の衛兵が止めた。

 頬を殴られたモルゲンは、両手を石畳につけたまま、それでも怒りを滲ませたまま、魔法で色を変えたヘーゼル色の瞳で睨んでいた。









『どうして、あんな言い方したんだ』


 自分が思っている以上に、僕の声は彼女を咎めていた。

 僕より二歳年下の彼女は、睨むようにその大きな目を僕にむけた。


『あんな言い方したら、逆上するに決まっているだろう』

『何? じゃあ、あの子を見捨てろってこと?』

『そうは言ってない』


 モルゲンの言い方に、思わず僕は被せるように声を大きくした。

 イライラする。――怒っちゃダメだ。怒ることは、いけないことだ。

 


『やり方が他にあったはずだ。あんな風に怒鳴っても、相手が変わるわけがないだろう』

『変わるわけが無いよ。――優しい言い方をしたって、ヒトは変わらない』


 怒りを燃やしたまま、モルゲンが僕を見る。


『私は誰かを変えようと思って怒ってるんじゃない。怒らなければいけないから怒っているの』

『っ、どうしてそんなに頑ななんだ君は!』


 怒っちゃダメだ。

 そう理性では強く思うのに、感情は爆発した。


『君はいつもそうだ。あれは嫌だこれは嫌だって、子どもみたいなワガママをやめろよ!

 これだから女はヒステリーって言われるんじゃないか!』


 出てきた言葉に、我に返る。

 パルシヴァルの表情からは、何も読み取れなかった。エレインからは、怒鳴り声に対する怯えと僕とモルゲンへの心配が見えた。

 目の前にいるモルゲンが、酷く傷ついた顔をしていた。


『……あ』


 僕は、今、間違えた。

 血の気が引いていく。

 どんな言葉が返ってくるかわからなくて、僕は身体が固まってしまった。

 ――恥の子。

 そんな言葉が、ぐるぐる回る。


『……あそこで怒らないヒトたちは、あの母親に賛同しているのと同じ』


 先に口を開いたのは、モルゲンだった。

 

『この人間領にいる大人は、子どもを殴ったり、怒鳴ったりしていい存在だと思っている。

 暴力をふるわれた子どもからしたら、母親だけじゃなくて、あそこで黙って見てる大人全員から暴力を振るわれているの』


 今にも泣き出しそうなのに、さっきとは打って変わって静かな声で、彼女は言った。


『生き物は、弱いモノには怒りやすくて、強いモノには怒らない。

 ヒトもそう。強いヒトは反撃が怖いから、攻撃しない。弱いヒトは怒ったり反撃しないから、安心して攻撃できる』


 ねえ、とモルゲンは、頬に涙を伝わせながら、僕をまっすぐ見た。

 



『君はどうして、あのお母さんには怒らなくて、今




 目の前が、真っ赤になった。

 その赤が怒りだったのか、羞恥だったのかわからない。

 ただわかったことは、弱いものには怒っていいと思っていることを指摘され、それが図星だったことだった。


 ――あんたも、私を責めるんだ。


 モルゲンが怒っていた時、僕の心と体は、自分の母親に対して怒った時に返ってきた痛みと羞恥を思い出していた。

 何者も恐れない、勇敢な戦士。勇者とはそういう存在だ。

 なのに僕は、あの母親を恐れて、モルゲンを弱い怒っていい存在だと見なしていたのだ。









 それから、しばらく僕とモルゲンは口を効かなかった。

 躊躇いがちに、モルゲンから何度か声を掛けられたけど、何度か聞こえないふりをした。

 モルゲンに対して、怒っていたわけじゃなかった。ただ、どうすればいいのかわからなかった。

 ……いや、それは嘘になる。

 本当は、どこかでずっと怒っていた。けれど、何に対して怒っていたのかがわからなかったし、こんな自分には怒る資格なんてないと思った。

 自分が間違っている。でも、怒りは収まらない。

 謝ればいい。でも、謝りたくない。


 ――泣いて謝れば許して貰えると思ってんの!? どれだけ私が傷ついたと思ってんの!?

 

 謝っても、許されたことなんてない。

 傷つけた過去は取り戻せないんだから、僕の謝罪なんて、意味が無い。

 子どもはワガママとか、女はヒステリーとか、そんなこと、言うつもりもなかったのに。それどころか、考えたこともなかったのに。

 だけど、その暴言はあまりにも簡単に出てきた。僕は、そうやってずっと、女の子のモルゲンを下に見ていたんだ。


 ――トゥールは、いい子ね。


 彼女の中で、もう僕はいい子じゃない。

 これ以上、いい子じゃない僕は、モルゲンと関わっちゃいけないと思った。




 と思ったのは、三日ぐらいだった。



『ごめん、アルトゥールくんんんんんん!!』


 意識を取り戻すと、目の前で、泣きながらモルゲンが謝っていた。


『わ、わわ私の好奇心で、ま、まさかアルトゥールくんが、あ、泡はいて気絶してぇぇぇ! ごめん、私が「発酵学の研究費として出るから、コレ食べて感想言って(強制)」なんて言ったからぁぁぁ!』


 わかりやすい状況説明だな。

 場違いにもそんなことを思うぐらい、流れるように謝罪をするモルゲンに、僕は目を丸くした。

 こんなにも簡単に、謝罪ってできるものなのか。

 モルゲンに食べさせられた、パンパンに膨れ上がったニシンの缶詰は、幼い頃にほとんど失った味覚と嗅覚を一気に取り戻す臭さと不味さだった。なんなら酸っぱい胃液がグルグルして強烈な臭いはまだ鼻の奥にしみついていたのに、

 ――生きていてこれ以上ないぐらい、気持ちは晴れ晴れとしていた。

 僕は、何であんなに鬱々としていたんだろう。彼女に対して、何を怒っていたんだろう?


『……いや、僕の方こそ』


 ごめん。

 そういう前に、モルゲンが謝罪をまくし立てる。


『アルトゥールくんずっと無視するしぃぃぃ! 不安で寂しくてこっち向いて欲しくてぇぇぇ! 無理に食べさせてごめんなさいぃぃぃ!』


 その、赤裸々とか、無防備にもほどがある謝罪。

 思わず僕は笑いが込上がってきて、しばらく笑いをこらえていた。

 その無言を怒りだと勘違いしたモルゲンの謝罪が、さらにヒートアップする。


『ごめん自分勝手だよねえええ! つ、つらいけど許さなくてもいいから! でも、せめて謝罪の場は設けて欲しいっていうか、会話はして欲しいって言うか、あ、こんなこと頼むのもストレスかなぁ!?』


 あまりにモルゲンのうろたえる姿と謝罪内容が面白すぎて、限界だった。


 母が深い眠りについてから初めて、大きな笑い声を立てた。

 そして、笑いすぎて過呼吸を起こした。


 なお食べたあと、街に出かけたら匂いで衛士に襲われた。

 服は廃棄せざるを得なかった。

 あと暫くおならも酷かった。



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