アルトゥール視点 君から遠ざかるつもりだった
すん、と、アルコールの匂いがして、覚醒した。
目を開くと、飛び込んできたのは白い天井だった。
「……あ、目が覚めた」
僕が目を覚ましたことに気づいて、ヒナが顔をのぞきこんでくる。
王立ポルダー保安隊の制服である白い軍服に、麦わら色の髪を二つ結びにした彼女は、その柔和な顔から、とても保安隊員には見えないだろう。
「……ここは?」
「医務室だよ。アルトゥールくん、アサさんのタックルで意識を失ったの。その後すっごい寝てた」
アサ。――モルゲン。
その名前で、はっと全部思い出した。布団を蹴飛ばして、身体を起こす。
「モル、じゃなくてアサは!?」
「今、リンちゃんとエドワードくんが対応しているよ。お茶会してるんじゃないかな」
ヒナの言葉に、僕はホッとした。
公務執行妨害とかで、彼女が逮捕されてたらどうしようと思った。
「……ねえ、一ついいかな」
ヒナが、改まって姿勢を正す。
「モルゲン――アサさんは、アルトゥールくんの大事なヒト、なんだよね」
「……ああ」
ヒナは加護を持っている。『人の心を読む』加護だ。
モルゲンの心を読んで、その正体を理解したのだろう。彼女が、聖光教会によって、この王都に入ってはいけないことも。
聖光教会の許しを得た、という話は聞いていない。
きっと、モルゲンがミドルネームの『アサ』を名乗っているのも、髪が元の黒髪なのも、
「だが、『モルゲン』の名前は黙っていて欲しい。確かに彼女はここに来てはいけない人物だが、理由無く破るヒトじゃ、」
「あ、違うの!」
慌ててヒナが両手を振った。
「そうじゃないの。私が心配しているのは、アサさんがここにいちゃいけないヒトとか、そっちじゃなくて」
少し間を空けて、ヒナは言った。
「…………どうして、さっきまでアサさんを忘れていたの?」
その言葉に、僕は一瞬息が止まった。
「……わかるのか、そこまで」
「今まで私、被害者の記憶や、加害者の記憶も読んできたじゃない」
ヒナが、その柔和な顔に苦笑いを浮かべる。
そうだった。だから僕は、彼女をこの隊に勧誘したんだった。
ただ、とヒナが付け加える。
「アルトゥールくんの心は、普通は閉じていて、普通にしていたら読めなかったけれど」
アサさん、って言葉を聞いたとたん、アルトゥールくんの心が開いたんだよ。
と、ヒナ。
……僕は頭を抱えた。
手のひらに、顔の熱が伝わってくる。すぐに顔にすら感情が出る自分の単純さにも呆れたし、純粋に彼女への好意がダダ漏れなのが恥ずかしがった。
ふふ、とヒナが笑った。
「急に顔色良くなったね、アルトゥールくん」
「……追い打ちをかけるのをやめていただけるだろうか……」
ヒナは優しいが、たまにこうやって悪意なくとどめを刺すのだった。
「記憶が入ってきただけだから、そこから深くは知ろうとは思わないし、アルトゥールくんの判断は信頼しているよ。……でも、心配なの」
一度、顔を伏せて、覚悟を決めたようにヒナが顔を上げた。
「ヒトの心は、抑圧された分、反動が大きい。特に、恋情なんて、その最たるもの。
……きっと
……それは、この呪いをかけた
『一応、モルゲンに悟られないように、モルゲンに関する情報が入ったら、思い出せるようにしといた。……でも、こんなのは乱暴な対処療法だ。
このままだと、トゥールの心は壊れる』
顔をおおった手を、胸元へ持っていき、そこに留めていたブローチを掴む。
「ヒナが言う通り、俺には、忘却の呪いが掛けられている。
でも、それは俺自身が望んだことなんだ」
「望んだことって、」
口にしようとして、すぐにヒナが黙った。
言いたいことはわかる。望んだことと言っても、別に僕は彼女のことを忘れたいわけじゃない。
それでも確かに、これは僕が望んだことだった。
「それより、モル、……アサの様子は? 落ち込んでなかったか?」
「うん、すごく取り乱してたし、落ち込んでた」
ヒナがうなずく。
「『アルトゥールくんが死んだー! このヒトでなしー! って、私かー!』ってしばらく叫んで、とつぜん冷静になったと思ったら、無言でリンちゃんの前に立って両手を差し出したんだって」
「自首したんだ」
「だけどリンちゃんが、『王立ポルダー保安隊の部隊長たるものが、不意打ちとはいえ一般人のタックルで意識失ってる方が悪い』って言ったら、『それもそうだね』って納得したって」
あの二人。
けれど正論だ。昔は勇者として、今は王都の警備を任されている部隊長として、あれは油断以外の何物でもない。
ベッドから起きると、ずいぶん身体が楽になっていた。ずっと頭の中を占めていた疲れが、すっきりしている。どうやら、意識を失ったついでに、睡眠不足が解消されたらしい。
「……本当に、顔色戻ったね」
ヒナが言った。「モクムから戻ってきた時みたい」
そう言われて、僕は、そうかもしれない、と返すしか無かった。
自分の体調がよくなる原因なんて、一つしかない。けれど、自分を優先するわけにはいかない。
「……ヒナ、お願いがあるんだ」
僕は、ヒナに向き合う。
「もし、俺が……」
医務室を出て、廊下を歩くと、楽しげな会話が聞こえてくる。
リンの伸びやかで弾むような声と、モルゲンの聞き取りやすく張りのある声が入ってきた。
「リンちゃん、楽しそう」
ヒナが囁くように言う。
割り込むのも悪いと思って、いつ部屋に入ろうか見計らっていた時、
「で、ヒナとアルトゥールは、いつまでそこにいるの?」
気配に聡いリンが、声をかけてきた。ひゃあ、とヒナが声を上げる。
モルゲンが廊下まで駆け寄って、僕たちの姿を確認すると、「あれ!? いたんだ!?」と声を上げた。
そして僕の顔を見上げて、明らかにホッとしていた。
「よかった、アルトゥールくん! 意識取り戻したんだね」
本当にごめんね、と両手を合わせて謝ってくるモルゲン。
「久しぶり、モル……アサ」
ちょっとからかうつもりで『モルゲン』と呼ぼうとすると、彼女が必死な顔をして首をブンブン振る。その様子が、あまりに素直でかわいかった。
『アサ』と彼女がミドルネームを名乗るのも、彼女が黒髪でいるのを見るのも、初めて会った時以来だ。
抱きしめたくなった。
うっかり手を伸ばそうとして、すんでのところで止める。
『もし、俺が彼女に殺意を抱いたら、すぐに止めてくれ』
殺してくれたって構わない。
さきほど医務室で、ヒナにそう頼んだ自分の言葉を思い出す。
ヒナは顔を青ざめて、絶句していた。
僕は覚悟を決めて、ヒナに説明した。
『……この忘却の呪いは、彼女を殺さないためなんだ。
忘却の呪いを掛けることで、俺はかろうじて、あの子を殺す呪いからまぬがれている』
本当は、二度と会わないと決めていた。
魔族と人間の融和を果たした後は、自分の想いも全部忘却しようとして。
それなのに、あの時――陛下の言葉に揺れて、会いに行ってしまった。
彼女を取られなくない。そんなバカバカしい感情だけで、記憶が混濁している状態で彼女の元を訪れた。
今だってこうやって、彼女に会えることを喜んでしまっている。
モルゲン。
僕はいつまで、君の信頼を裏切らずに済むんだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます