第17話 ヒトが恋をする理由
先生の戸惑いに、これには泣いていたフェナさんも目が点。
「これは……モルゲンさんにお任せしてもよいでしょうか」
よくないですわ。
とは言え、このままだとフェナさんから先生への信頼度が下がっていくのは目に見える。先生への信頼度がゼロになる瞬間は見たくない!
ええと、どうしよう。専門家じゃない私に何が言える?
不妊治療を勧めるとか? いやその前に、婦人科?
そもそも、人間と魔族の間で生まれにくいという話は聞いたことがない。でもそれは【黒い森】とモクムの話で、どれぐらい人間と魔族のカップルがいるのかデータが集まりづらい。そもそも胎生だけでなく卵生や細胞分裂のタイプもいるから、それを含めると自然妊娠は難しいだろうけど、大体そういうのは魔族側が魔法で解決してるみたいだし……。
そうやって色んなことが高速的に頭の中で巡って、
――何かが、キラリとガラスみたいに脳内で光った。
「…………フェナさんにとって、一番大切なことってなんですか?」
私が聞くと、フェナさんは目を瞬かせた。
必死に考えてくれるけど、中々言葉が出てこない。ちょっと抽象的なことを聞いてしまったかもしれない。
「さっき、子どもが産まれないのは、神様のお怒りに触れたから、って仰ってましたけど。子どもが生まれることが、一番大切なことですか?」
そう尋ねると、ぽかん、とフェナさんは口を開けた。
「……だって、そうじゃなきゃ、意味が無いでしょう?」
フェナさんは言葉にした。
「子どもが生まれなきゃ、恋愛って……男女の関係って、なんの意味があるんですか?」
――意味、か。
私は、部屋の端に寄せていた椅子をとってきて、彼女の前に座った。
「意味って、何なのでしょうね」
「え?」
「『誰かが言ったから』定義するものなのか、『自分がそう思ったから』定義するものなのか。
正直、意味って、一つとっても、人によって変わると思います」
例えば、言葉だってそう。
文脈で意味が変わったり、何かを例えたり、婉曲な表現として使われたりする。
だから同じ言葉を使っても、中々分かり合えなかったり、思ったことが伝えきれなかったり。
「その上でお尋ねします。あなたにとって、『意味』というのは、『社会や家族の役に立つ』、とか、『自然摂理に反しない行為』という意味ですか?」
「…………多分、そうです」
では、と私は続けた。
「『愛』は役に立つ行為なのですか? その人を好きになったのは、あなたにとって『役に立つから』なんですか?」
私の言葉に、ヘーゼルの目が開かれた。
開かれた長いまつ毛が、キラキラと窓から差し込んだ光を弾く。
「……それ、は」
そこで、フェナさんは黙る。
口を開こうとして、また閉じたりする様子に、私は言葉を挟む。
「ごめんなさい、責め立てたつもりじゃないんです。
もし、『愛』が社会や家族などの種に役立つものだと考えられているのなら、それに応じたお話をしようと思いまして」
「お話?」
フェナさんに、はい、と私は答える。
「私、実は微生物学を専門にしているんです。あ、微生物は目には見えない小さな生き物のことで」
「微生物……酵母ですか?」
お。酵母がすぐに出てくるとは。
「よくご存知ですね! そうです、酵母とかです」
「あ……夫が、醸造所を営んでいるんです」
「ああ、なるほど」
だったら話は早い。
私は話を続ける。
「微生物と言っても、色んな種類がいるんです。
大きく分けて、真菌、細菌、古細菌、原虫、ウイルスに分けられるんですが……」
厳密に言うとウイルスは生物ではないのだけど、ここではあえてひとまとめにするとして。
ううん、困ったな。これ、話をするだけじゃ難しいかもしれない。
悩んでいると、先生が黒板とチョークを持ってきてくれた。準備いい。
「どうぞ、お使いください」
「ありがとう、先生」
持ち運べる黒板を膝に乗せて、私はチョークで書く。
「まず真菌っていうのは、さっき上げた酵母やカビ、きのこなどのことを指すんです」
「え、きのこも微生物なのですか? 植物じゃなくて?」
フェナさんが目を丸くする。
「きのこは、目に見えるほど大きくなったものを指すんです。きのことカビの違いに、はっきりとした基準はありません」
私はきのこの絵を描いた。
……のだけど、なんだか、チョークの色が少ないのもあって、すごくアレな形になってしまった。
すぐに消す。アビゲイルちゃんの画力が欲しい。
「カビときのこが、同じ……」
「きのこは、植物とは違う生き物ですが、植物の種みたいに胞子を飛ばして増えるんです」
もっと専門的なことを言えば、きのこと呼ばれるあの形は子実体で、言わば植物の花にあたる。本体は地面に埋まっている菌糸だ。
黒板を膝の上に立てて、私は言った。
「ね、これだけで、『意味』って、ヒトそれぞれ全然違うのがわかるでしょう? フェナさんにとって『きのこ』は植物だったけど、私にとっては『微生物』という分類なんです」
「……確かに」
くすり、とフェナさんは笑った。
「でも、今きのこは微生物だと教えてくださいましたから、もう一緒になっちゃいました」
「そうですね」
思わず私も笑った。ユリアとはまた違う感じに、話を聞いてくれるタイプだなあ。
「で、次に細菌なのですが、こちらはヨーグルトを作る乳酸菌などが含まれます」
ついでに、さっきの納豆菌も細菌だ。
「それで、この細菌というのは、私たちの体にたくさんいるんです」
「私たちの体に?」
「ええ。この細菌たちは、私たちの身体の健康、性格や感情、行動の決定にも影響を与えていると考えられています」
「え!?」
フェナさんが驚きの声を上げた。
「詳しいことはまだよく分かってないのですが、特に腸内細菌は感情のもとになる成分を作ると考えられてます。その中には、恋愛感情のもとになるものもあるそうです。
それだけじゃなくて、恋に落ちる相手を決定させている、とも考えられてます」
実験によれば、恋愛相手を決定させる要因は、汗の匂いと言われている。
ところが、汗にはほとんど匂いがない。汗の匂いは、汗などを消費する皮膚の細菌たちによって作られるのだ。――つまり、細菌たちが恋愛相手と結びつけるのを手伝っている、と考えるのが合理的なのだ。
「生き物は、自分とは遠い存在に惹かれるようになっていると言われています。細菌は、宿主にとっての『遠い存在』を結びつけるんです。
もちろん、生き物の感情は複雑なので、全てが細菌によるものとは考えられないけれど、これだけは言えます」
私は、そこで区切った。
「ヒトは、恋するために遠くへ行くんです。
だから、フェナさんが恋に落ちたのは、全然自然の摂理に反してません」
フェナさんが、目を見開く。
「それにキスって、生殖には関係ないですけど、種を守るという意味ではとても強い意味を持つんです。
唾液にも細菌がいます。これを交換することで、ヒトは多くの免疫を確保することが出来ました」
動物たちの中にも、キスをする生き物は少なくない。むしろ、キスこそが動物社会のはじまりだと唱えている学者もいる。
キスだけじゃない。ヒトを含む動物は、社会を作り、集団免疫を持つことで、種を守ってきた。そうやって遠い個々を結びつけてきたのは、やっぱり「誰と結びつきたい」と思う愛なわけで。
大好きな人と一緒にいるというのは、それだけで『社会に役に立つ』行為なのだ。
「生殖だけじゃ、種は守られません。
悲しいことに、病気などで大人になれず死んでしまう子もいます。それどころか、生を望まれず首を絞められ、ドブに沈められる胎児も少なくないんです。
……例え、あなたが愛するヒトとの子どもを産んだとしても、その子は『半分人間で、半分魔族だ』ということで、拒絶されるかもしれません」
「……!」
フェナさんが顔色を変えた。
悲しいことに、魔族と人間の子どもに対する差別を無くすには、まだまだ対策が足りない。【黒い森】やモクムならまだしも、徹底的に魔族をカースト外から弾いてきた王都では、かなり厳しい状況だろう。
「夫が魔族だから子が産まれない」と主張するフェナさんのご両親が、子どもを産んだだけで、魔族の婿を認めるとは思えない。
そんな残酷な世界でも、一緒にいたいと、思いが通じ合えるのだ。
私は、黒板を膝において、彼女の手を握った。
ささくれだってない、とても綺麗な手だった。
「フェナさんの愛は、もうすでに意味があるんです。あなたがいるせいで不幸になったなんて、相手は絶対思ってません。
だから、あなたが大好きだと思う相手を、自信を持って、大切に愛してください」
しばらく、彼女はそこでぼうっとしていたけれど、やがて声を立てずに泣き始めた。
静かに、彼女の目から涙がこぼれおちていく。
赤くなった頬をぬぐって、彼女は笑った。
「ありがとうございます……多分、私がいちばん欲しかった言葉です。
あの、それで……一つ、質問いいですか?」
「なんでしょう?」
なんだろう。細菌についてかな。
そんなことを思いながら、私は彼女の言葉を待った。
「キスじゃ、子どもは出来ないんですか?」
――そんな爆弾発言と同時に、礼拝堂の扉が激しく開かれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます