第16話 迷える一匹の羊を探すもの

「納豆菌、すごいですね……おそるべしです」

 

 このようなことを言うと、先生は今みたいに感動してくれるのだけれど、私からしたら先生の方がすごい。

 魔族領で当たり前に使われている水質浄化の技術。それを私が人間領に提供したのは、それが一番魔族への差別を無くせる近道だと考えたからだ。

 魔族へのヘイトは、『人間を呪って感染病を流行らせた』という理屈から来ている。それをくじくには、清潔な水の確保と公衆衛生への理解から始めなくてはいけない。

 とはいえ、あの時は『税金とか制限とかかけてくる本家旧教教会から独立したいポルダー共和国の旧教教会』&『税金とか制限とかかけてくるマリアンヌ帝国から独立したいポルダー共和国』&『いい加減ゴミを押し付けるのやめて欲しい魔族領』の利害関係が一致したから出来たこと。


 理屈も大事だけど、政治力も大事。王様や先生がサックリ味方になってくれたのが、何より強かった。

 研究者は、専門以外に興味ないヒトが少なくないからね……私もヒトの事言えないけど。

 


「これでまた、小説が書けそうですね。タイトルはそう」


 考え込む素振りをして、先生は言った。


「『転生したので納豆でチートします』とか、どうでしょう」

「先生、どこの電波を拾ったの?」


 そう言った時だった。



「…………あのう」


 自信なさげな、女性の声がした。

 振り向くと、髪を肩の方に緩く一つにまとめた女性が立っていた。

 歳は私と同じぐらいだろうか。大きく膨らむジゴ袖に、ネックラインとショルダーラインが下がったグリーンドレスを着ている。マリアンヌ帝国の影響で流行っている昼着だ。


「どうされましたか?」

「あの、ワーグナー牧師がこちらにいらっしゃるとお聞きして……その……」


 すごく戸惑いながら、私と先生の顔を交互に見ている。


「ええと……パルシヴァルさまはどちらに……」

「私がパルシヴァルです」


 スッ、と先生が手を上げる。

 すると女性は、さらに困惑した。……女性の視線が辿るのは、世紀末覇者な格好をした先生の姿。


「……その、ご相談に参ったのですが……あの……」


 なんとか言葉を探す女性。

 私はこっそり、先生に耳打ちした。

  

「やっぱその格好、声掛けづらいと思うよ」

「……着替えてきます」


 カッコイイと思うんですが、とつぶやく先生。

 ……なんとなく気づいてたけど、先生、その格好好きでやってたんだな。

 

 

 




 モクム新教会は、かつては旧教教会だった。そのため、『光の聖女』含む三十四人の聖人のための祭壇と十一の礼拝堂があった。

 現在は新教教会に属するため、偶像崇拝に触れるとして撤去された。そのほとんどは倉庫や大工の作業場になっている。

 そんな中、『光の聖女』の礼拝堂と、王様の名前の由来である聖ニコラスの祭壇だけは残っている。


「私は、フェナと申します。フォフスタッドから来ました」


 フェナさんは、膝の上で手のひらを重ねていた。

 ドレスの生地は絹タフタ。見る角度や光の反射で、まるで風になびいた麦畑のような光沢が現れる。そんな高価な生地と所作からして、王都の富裕層の女性であることは間違いないだろう。

 ――ちなみに私がなぜここにいるかと言うと、フェナさんから「あなたにもいてほしい」と頼まれたからだ。やっぱり先生の世紀末覇者ぶりが怖かったらしい。


「二年前、結婚しました。……けれど、子どもが生まれなくて」


 フェナさんの目尻には、泣き疲れた色が見える。


「親や親戚は離婚しろと……言われています……」


 絞りだすような声に、私は胸をキュッと掴まされた。


「それは、お辛いですね」


 先生が少し眉を下げて尋ねた。「あなたのパートナーはなんと?」

「夫は、……魔族なんです」


 目を伏せて、フェナさんが答えた。


「魔族と結婚しても、子どもが出来ないなら別れろと……魔族と結婚するから、神がお怒りになって子が産まれないのだと言われて……。

 変ですよね、普通なら女の私に問題があるって言われるのに、彼に問題があるなんて……」


 どうすれば良いのでしょう、とフェナさんが言った。


「なぜ魔族じゃないといけないのか、人間じゃないのかと、散々言われました。夫と結婚して反対されることはわかってて、それでも一緒になると決めたんです!

 でも、でも……私と一緒になったばかりに、夫が不幸になっているんじゃないか、そう思ったら、私は……!」


 言葉が出なくなった代わりに、涙と嗚咽がこぼれてくる。

 しばらく彼女は泣いていた。落ち着く頃を見計らって、先生が「どうぞ」とハンカチを手渡す。


「ありがとうございます……すみません」


 嗚咽をなんとかこらえて、フェナさんは言葉を紡いでいた。


「このような相談をするには、普通の神父様や牧師様には出来なくて……でも、あのパルシヴァル様なら、何かお知恵をお借りすることが出来るのではないかと……」


 ――ああ、そういうことか。

 本来、聖光教会は魔族を歓迎しない。魔族の中にも信徒はいるけど、多神教者よりはマシ、という認識だ。

 この国の聖光教会は新旧問わず、信徒の確保に魔族を入れることが多い。身も蓋もないけど、お金があればいい、みたいな認識なわけで。


 だけど先生は、『人間と魔族の共存宣言』を執り行った牧師(聖職者)だ。

「このヒトなら、助けてくれるかもしれない」と思って、こうやってやって来るヒトは少なくないんだろう。

 ……勇者の旅をしている時も、先生が聖職者や牧師として仕事していたけれど、こんなふうに教会で助けを求められた姿は初めて見た。



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『牧師とは、帰ってきた九十九匹の羊より、迷える一匹の羊を探しに行く者のことです』



 出会ったばかりの頃の、先生の言葉を思い出す。

 勇者の旅を、人間と魔族が共存できる旅にしたい――そう言った時、今は考えられないけど、アルトゥールくんやエレインは、あまりいい顔をしなかった。

 けれど先生は、きっぱりとこう言った。


『社会という群れからこぼれ落ちた存在を、社会と結びつけるためにいるのです。

 ならば、私が人間と魔族の共存のために、動いてもおかしくはないでしょう。この分断された社会で、人間からも魔族からも見放された者は少なくないでしょうから』


 ……この大人なら信じられると、心から思った。



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 過去を思い出しながら、私はうん、とうなずく。

 きっと先生なら、ここでいい感じなことを言ってくれる。……そう信じていたのだけど。


「……それは、困りましたね」


 モルゲンさん、どうしましょう? と、私に向けて小首を傾げる先生。

 あれ?

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