第15話 セカイを超えるNATTO

「そうそう! 『インゲルの旅立ち』、読んだよ! すごく面白かった!」


 私は、本のことを思い出す。

『インゲルの旅立ち』。巷で流行しているあの本は、先生が書いたものだ。会ったら絶対、感想を伝えなくちゃと思っていた。


「物語もよかったけど、インゲルがすごく良いキャラしてた! すごく応援したくなるキャラだったよ」

「ありがとうございます。王都の学校でも、インゲルが好きだと言ってくださる方が多くて、とても嬉しいです」


 穏やかに先生は笑った。


「物語に登場する子どもは、みんな自分の子どものように思えてなりません。

 その子どもたちに、友だちがたくさんできたみたいで……」

「うん、わかる。私も、インゲルの友だちになってるもん」


 きっとこの先、『インゲルの旅立ち』は、多くの子どもたちの一生の味方になるだろう。子どもの頃に読んだ物語の友だちは、ずっと心の中で応援してくれる。

 そういう物語を作ってくれたことが、本当に嬉しかった。


「あと、読んでいるだけで、色んなことが学べるのがよかった! 【黒い森】の風習とか、チーズの作り方とか、すごくワクワクした!」


 私は思わず両手を合わせる。

 それを見て、先生が目を細めた。

 キラキラと太陽の光が、先生の目じりに出来たシワを照らしていた。


「あなたは変わりませんね。【黒い森】で出会った時から」


 その言葉に、むぐう、と私は口を噤んだ。


「もちろん、褒め言葉ですよ」と告げる先生。知ってる。先生、皮肉とか言う人じゃないし。

 ――でも、十歳の時から変わらないって、ちょっと複雑だけどね……。


「こうしてあなたと話すだけで、いつも私の心は若返ります。

 まるで、旅立ちに胸をふくらませるインゲルのように」


 

 ■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪

 

 王都にある、フォフスタッド宮。


『ふむ。そなたが、魔王城から派遣された使節か』

 

 ――それは、今は王様、当時はシーナサップ公に初めて会った時のこと(ポルダーはまだ王国じゃなかった)。

 その時私は、アルトゥールくんごしに、ガッツリ衛兵に拘束されていた。

 そりゃそうだ。アルトゥールくんたちは魔族討伐のために旅に出たのに、使節の私が来たら、スパイか何かだと思うだろう。

 ところが、私の姿を見たとたん、シーナサップ公が眉をひそめた。


『…………ええと、何歳かな。君は』

『十五歳です』

『いや違うだろ、絶対』


 うん、無理があったか。

 諦めて自分の年齢を白状する。




『…………十歳です』

『うむ。正直に年齢が言えて偉いな』



 大仰にうなずいてから、




『魔王は何を考えているんだ――!?』




 建物を振動させるレベルで、シーナサップ公は叫んだ。

 まるで竜族か巨人族が来訪してきたかのような大声に、私は飛び跳ねた。



『こんな幼子を敵地に使いに出すなど! 鬼畜にもほどがある!』

『公よ、それはブーメランです』


 先生が首を振る。私の耳を塞いでくれたアルトゥールくんも苦笑いしていた。

 当時、アルトゥールくんは十二歳。私は十歳。エレインは十五歳。先生が四十七歳だった。エレインはまだしも、アルトゥールくんとはどっこいどっこいだよね。


『公爵様、私は一応魔王ソラの養子です』

『一応?』


 魔王の養子、という言葉に、隣で立っていた秘書官や文官、軍人たちが警戒する。


『ということは、そなたは魔族なのか?』

『いえ、私は人間です』


 あ、反射的に答えたけど、これちょっと正しくなかったかも。

 

『家系をたどれば、少しは魔族の血が混ざっていると思いますが……魔力はゼロだし、身体能力も治癒能力も一般的だと思います』

『わからん。なぜ人間の子どもが、魔王の養子になるのだ。【黒い森】に、人間が住んでいるというのか?』


 私はちらり、とシーナサップ公を見た。

 黒い髪に、ちらほらと入った白い髪。私たち寄りの、平たく、奥行きがあまりない顔だ。

 どう切り出そうか悩んでいると、先生が助け舟を出してくれた。


『公よ。モルゲンさんは、代々【黒い森】に住まう人間の一族なのです』

『……何?』


 わかりやすく、シーナサップ公が反応した。


『あの瘴気漂う【黒い森】に? バカな、あの場所に人間が暮らせるはずがないだろう。

 かつてのポルダー共和国が、マリアンヌ帝国と戦争して水攻めに使った際、汚染された水が残っているのではなかったか?』


 魔族たちと袂を分かったポルダー共和国は、マリアンヌ帝国と戦う際、【黒い森】ごと水攻めした。

 古くからある『洪水線ウォーターライン』と呼ばれるこの戦法は、、敵軍の侵攻を阻んで来た。

 おかげで、沼や湖に沈んでいた汚染物質が、【黒い森】の貯水池や運河に押し寄せ、利用できない沼地や運河が集中した。――というのが、彼ら人間領の建前。

 白々しい言い分に、私は思わず声を上げた。


『その後、ポルダー共和国含める大陸の国々が、我々【黒い森】に汚物を押し付けたんですけどねっ!』


 その後、産業革命による汚染が社会問題となり、ここぞとばかりにポルダー共和国含む国々から、聖力で汚物を押し付けられていたのだ。

 聖力は、水を浄化する力もあるが、その多くは汚れを移動しているだけの空間転移魔法だ。それで残った汚物を魔族領の河川に押し付けたのである。


 怒りをにじませた私に、落ち着いて、とアルトゥールくんが耳打ちする。

 わかってる、喧嘩しに来たわけじゃない。きっとあちら側は、『だが先に呪いをかけて水を汚染し、我々に黒死病を流行らせたのはそちらだろう』と言ってくるだろう。

 それを見越して、先にアルトゥールくんが本題に切り出した。


 

『その【黒い森】にある沼が、すべて透明になっていました』

『……は?』


 アルトゥールくんの報告に、シーナサップ公が目を丸くした。


『え、【黒い森】の沼って、あれよな? 瘴気が深すぎて、近寄るものを死に至らす……』

『正しくは水が汚れていると、伝染病が増える可能性があるってことなんです』


 私はすかさず答えた。


『聖光教会では、水は病気のもとだと言われているようですが、それは半分正しくて間違いなんです。

 むしろ綺麗な水をちゃんと活用しなければ、流行病は増えます。そもそも、水がなければ生き物は生きていけません。だから旧教教会は、清めた水を聖水として売ってるんじゃないですかっ』


 そう。

『水は万病のもと』だと触れこんだのは、旧教教会の利権絡みだ。

 真水というのはとても貴重なもの。無駄遣いさせないためもあったのだろうが、それでも聖水で金儲けを行っていたのも事実だ。



『でもそれじゃあ、ヒトはどんどん死んでいきます。このままだとまた、魔族と人間が争った時みたいに、何らかの流行病で滅びます!』

『なんだと小娘! 子どもだと思って調子に乗りよって!』


 軍人らしき人が、声をはりあげた。それを、シーナサップ公が手で制止する。


『……それで? そなたは、この国にどうしろと?』


『私の一族は、その水を浄化する方法を編み出しました。その末に生み出されたのが、これです』


 私は正方形にカットされたブロックを、ビーカーに入れた汚れた水の中に落とす。

 ブロックは水の中へ溶けていく。箸でかき混ぜると、あっという間に汚れは沈殿し、水が透明になった。


『…………は?』


 シーナサップ公が、目を丸くした。


『今は沈殿してますけど、もう少ししたら、沈殿した汚泥やヘドロを分解します』

『……マジで?』

『マジです』


 これには、警戒心を露わにしていた廷臣たちも、拍子抜けしていた。


『私は、これを提供しに来たのです』




■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪


「まさか、この食べ物を作る菌が、水質浄化に役に立つとは」


 そう言って、思い出しながら先生が手に持つのは――納豆。

 神々しく光に照らされた納豆は、まるで聖遺物のようだった。


「……常に持ってるの、先生。納豆を」

「これを食べないと生きていけない体になりまして」


 生徒からは評判が悪いですが、と先生は言った。そうだろうね。


「匂いもですが、ネバネバしているのが嫌だそうです」

「うん、まあわかるよ」


 私も食べられなくは無いけど、好きって程じゃないしね。





 さて、この納豆――納豆菌は、私のご先祖さまが異世界から持ってきたものらしい。

 とにかくこの納豆、ご先祖さまの民族には欠かせないものだったんだとか。

 ご先祖さまが残した言葉に、こんなものがある。


『納豆よ、永遠に』


 ……よほど好きだったんだろうなあ。


 しかし、この納豆菌、とんでもないシロモノである。

 まず――むちゃくちゃ増える。

 なんと16時間で40億倍という、脅威的なスピードで繁殖するのだ。なので【黒い森】では、パン屋さんや醸造所の職人さんは絶対に食べてはいけない食品の一つ。ワインやパンを作る酵母が駆逐されて、納豆菌で埋め尽くされるからだ。

 二つ目。むちゃくちゃ強い。

 大抵の菌は煮沸されると死ぬけど、芽胞というバリアに包まれた納豆菌は生きる。あとこの状態だと真空状態でも生きられるし、石鹸でも胃酸でも中々死なない。


 そして最後に、脅威的な凝固性と保水性。

 クモの糸のようにネバネバした菌糸は、納豆菌が出した酸の一種だ。それらは水中の小さな粒子を絡めとり、大きな塊にして沈殿させる。

 さらに、そのネバネバにある放射線を当てることで出来る納豆樹脂は、1gにつき5000倍の水を溜め込むことができるのだ。

 どれもこれも、数字にするとアホらしいレベルでやばい。

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