第12話 モクム市役所と差別の構造②

「ポルダー連合国は、さらなる造船のために、【黒い森】を伐採しようとしたの。それに賛成するものと、反対するもので【黒い森】は真っ二つ。結果、【黒い森】からはほとんどの人間が追い出されて、【黒い森】は魔族だけが残った」

「……それは、【黒い森】の伐採に反対するものだけが、残ったと言うことですか?」


 ユリアの問いに、私は目を丸くした。

 そっか。ユリアは森を大切にするエルフ族だから、同じく森に住む魔族が、【黒い森】の伐採に反対すると思ったのか。


「その逆だよ。人間の多くは、【黒い森】の伐採に反対した。賛成したのは魔族の方」

「な……なぜです!? なぜ、魔族が伐採に賛同したのですか⁉」


 驚くユリアに、思わず私は苦笑いする。

 ホール入口の上にある、三体の女神像を見上げながら、私は言った。


「まあなんというか、欲を覚えてしまったんだよね」


 魔族たちは、自分たちの手で何かを作りだすことをしなかった。

 魔力で作ることはしていたけれど、それは過程をすっ飛ばして結果だけを作る方法。だから、今までなかったもの、知らないものは作れない。

 もちろん、ドワーフみたいに、鍛冶や石工を得意とする妖精もいたけれど、それはだいぶ特殊な方だった。


「自分が知っているものをなんでも作れてしまうから、物々交換なんて発想は浮かばなかったし、ましてや自分たちのないものを遠いところから買うなんて言う、『貿易』の発想がなかった。

 知らないものを思いつけない彼らは、『貿易』という劇薬にはまってしまった」


 一方、ご先祖さまは、森林破壊が危険であることを理解していた。

 一つは、木はそう簡単に生えたりしないこと。元の世界でも森林伐採を行ないすぎたせいで、もうどうしようもないところまで来てしまったとか。

 けれどもう一つ。

 森の機能の一つである、防疫機能。

 ご先祖さまたちにとっては、こちらのほうが重要だった。


「当時ご先祖さまを追い出して就いた初代魔王は、莫大な魔力を持っていた。だから、貿易の要であるモクムに隣接する形で、【黒い森】を移動させることができた。

 材木を簡単に手に入れるようになったモクムの林業者や造船業者たちは、喜んでその森に入って木を伐採した」


 それが、すべての始まり。

 森を追い出されたネズミの中に、病原菌を持つノミがいた。彼らは人間の町に住み着き、一気に増殖した。その病原菌は、やがてノミに噛まれた人間に感染する。

 

 

黒死病ペスト――と呼ばれるそれは、モクム周辺の町や、モクムの貿易船を利用していた国を襲ったの」

 

 

 ユリアの表情が、まるでここに並んでいる彫刻のように固まった。

 ペストの恐ろしさを知らないものはいないが、そこから生まれる社会の軋轢を、彼女は想像したのだろう。

 ――資料によれば、患者が出た家は板で窓を封鎖し、出てこないよう見張りがついたという。また、まだ生きている人を、大量の死体と共に穴の中に捨てたとも。

 家族すら見捨てる中、聖職者たちは彼らを看病し、結果多くの聖職者が亡くなった。

  

「後は知っての通り。人間はバッタバッタ倒れていくのに、【黒い森】の魔族はピンピンしている。魔族の呪いだと思った人間たちは、魔族たちと戦争を始めた」

 

 本当は、人間領で静かに暮らす魔族の中には、ペストで死んだモノも少なくなかった。

 確かに魔族は人間より免疫力が高い。けれどペストに関しては、個体の免疫力より公衆衛生の影響が大きかった、と今は考えられている。

 【黒い森】では、衛生学がしっかり浸透していた。理屈を理解しなかった魔族だったけど、ご先祖さまが広めた手洗いやうがいなど、一度身につけた慣習をこまめにやっていたらしい。

 対して、モクムの衛生は悲惨だった。二百年前は街路に糞尿が放置されていたし、何より宗教上の理由から「水は悪魔や誘惑の象徴」とされていて、入浴や手洗い、洗濯などが忌避されていたのだ。

 そんな状態なら、ペスト以外の病気も流行る。

 それでも人間は、魔族のせいだと思った。

 魔族たちは樽に積まれて川へ沈められた。川などの水が瘴気を放ち、それが黒死病を招くと考えていたからだ。『魔女狩り』が酷く横行したのも、その時期だと聞く。

 勿論、魔族たちが黙っているわけがない。武力は魔力を持つ彼らの方が圧倒的に上だし、私のご先祖さまが残した科学技術もあった。彼らはその力で、人間たちを虐殺した。


 ……それが、後世の魔族への偏見に繋がることなんて、考えもせずに。


 血で血を洗う戦いによって、かつて『海洋の王者』と呼ばれていた姿は、見る影もなくなった。国力がほとんどない状態で、お隣のマリアンヌ帝国に属国化されたポルダー共和国には、人間と魔族の接触禁止令が出される。人間への虐殺により、魔族は恐ろしいものと認識されていた中、接触禁止令を機に、人間魔族問わず、外見への差別がより一層強まった。


 特に黒い髪や瞳、肌を持つものは、身内を殺した憎しみの対象から、いつの間にか『黒死病を蔓延させるもの』という意味へと変わった。


 それは、ただの風評被害じゃない。マリアンヌ帝国によって仕組まれた、情報工作だった。――マリアンヌ帝国含む他国は、人間と魔族が手を組んだポルダー連合国が恐ろしかったのだ。

【黒い森】などの魔族領が離反し、再びポルダー共和国に戻った人間の国。彼らから歯向かう力を無くすため、徹底的に人間と魔族が敵対するような社会構造を作った。

 それが今の魔族差別に繋がるというわけだ。



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『僕はさ、差別のある社会の方が、管理しやすいんじゃないかと思う時がある』


 いつだったか、アルトゥール君がそう言ったことを思い出した。

 あれは確か、風車で有名な村。子どもたちが遊んでいた時間だ。

 干拓地であるこの国では、風車は粉挽きのためより排水のために使われている。土地が海より低い場所にあるので、いつも海水が押し寄せてくるのだ。運河や地下水も、海水が混じりやすい。

 そのため海水を海へ押しやる風車は、この国の命綱だった。

 

『出会わないことで危険を回避することも出来るし、自分も相手も下手に傷つけずにすむ』


 その時子どもたちは、『黒い魔族が来たぞ』という遊びをしていた。黒い人がいたら、それは魔族。魔族は危険だから石を投げてすぐさま逃げろ、という歌だ。

 子どもたちが無邪気に歌っている姿を何度も見ると、悲しい、というほどではないけれど、だんだんと身体の力が抜けていく気がする。

 ――人間たちの記録には、魔族を虐げてきたことより、虐殺された方が強く残っているのだろう。私たちの悲しみや想いは、届いていない。

 それは魔族側にも言えたことだった。魔族たちは、人間を虐殺したことを悪い事だとは思っていない。当然の反撃、復讐だと考えている。

 歴史は、立場を変えれば全く違うように見える。相手が加害者に見えるし、自分たちは被害者だと信じて疑わない。


 けれど、虐げられた実感もなく、傷つける実感もなく、あんな歌をずっと歌わせることに、大人たちは何も感じないんだろうか。

 もし今、私の髪の色が金に変えず黒だったら、私も子どもたちから石を投げられていたのだろうか。


 そんなことを思いながら、私は返した。

 

『……その「管理しやすい」って感情は、恐怖から来るんじゃないかな』


 痛い思いをしたくない。痛い思いをさせたくない。

 死にたくない。死なせたくない。

 傷つきたくない。傷つけたくない。

 それは誰でも、大なり小なりあることで、でもきっと避けられない。


 私とは違う人が、世界にいる。

 私とは違う人と、出会う。

 そこには必ず、痛みや諍いが伴うし、それを学習するから恐怖も生まれるのだろうけど。

 

『私は、例えどんな恐怖に駆られても、乗り越えられると信じたい』


 だってそうじゃなきゃ、この世界はあまりに哀れだ。

 どんなに悲しいことがあったとしても、怖いことがあったとしても、希望があると信じてやるしかない。

 私は彼の顔を見ずに、そう言った。


『……そんなに皆、強くないよ』

 

 あの時そうつぶやいたアルトゥール君は、どんな顔をしていたんだろう。

 キャッキャという子どもたちの笑い声が、頭の中で反響していた。



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「だが結局、この国から、完全に人間と魔族の関係を断つことはできなった」


 後ろから突然、男の声が割り込んで来た。私ははっと我に返る。

 コツコツ、という足音が、市民ホールの中で響く。大理石に描かれた地図の上で、つま先の尖った黒いショートブーツがカツンと鳴らした。

 ブーツを覆う白いズボンは長く、まるで平民の服のようだけど、ズボンの裾には金の装飾がついている。

 

「そこで、この国の独立を考えていたシーナサップ公は、抵抗する戦力を得るため、ひそかに魔族領のものと通じた。それがそこにいる、元・『光の聖女』なわけだ。……っと」


 顔を上げると、王冠を被った男性が立っていた。

 フリルをあしらった立襟のブラウスに、金の刺繍が施されたクラバット、青いベストと白いコートを身に着け、黒いマントを羽織っている。白いコートは前立てやカフスがオレンジ色になっており、良く見ると金の糸で星の模様が織られていた。黒いマントには山形の縞模様シェブロン・ストライプをあしらった金のリボンが飾り付けられ、ふわふわのファーがマントの縁についている。

 王冠を被った黒い髪には、少量の白い髪が混じっている。けれど初老の白髪の印象はない。大きな青い目は顔を幼く見せ、不敵に笑う表情からは威厳を感じた。……が。


「いや、やっぱこれ重いわ。脱ぐわ」


 ぽぽーいと王冠とマントとコートを脱いで、青いベストとブラウスという恰好になる。


「ふー、肩が軽くなった」


 グルングルンと肩を回す。隣に控えていた秘書官が、脱ぎ散らかした服を回収する。

 うーん。どう見ても、気の良い商人の兄ちゃんにしか見えない。

 

「相変わらずラフですねえ、王様。王様らしく、王宮の奥でふんぞり返っていたらいいのに」

「えー、王様なんて、マリアンヌ帝国から独立する際に作ったとっつけなわけだし? うっかりパン焼いて『聖女』名乗る羽目になった貴姉と一緒だよ」


 アッハッハ、と私と王様は口を揃えて笑う。

 隣でユリアが、顔を青ざめて小声で言う。


「い、いいんですか師匠? 陛下に対して、あまりに無礼なのでは!?」

「だいじょぶだいじょぶ。そんなことで怒るようなヒトじゃないって」

「そうだ。だから、もっと気楽にしてくれ!」


 そう言う王様は、口調は厳ついものの、まるで早鐘を打つような声で喋る。あと純粋に声がでかい。

 市民ホールの中で、グワングワンと反響している。

 その声に抑揚がつくたび、ユリアがビクビクしていた。エルフ族は耳が大きいので、その分聴覚が敏感なのに。


「ちょっと王様! ユリアが怯えてるんだけど!」

「む、すまない。これぐらいの声量なら大丈夫だろうか」


 いくぶんか落ち着いた声で、王様が喋る。激しくユリアが頷いた。


「では、改めて。ポルダー王国国王、ニコラス・シーナサップだ」

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