第11話 モクム市役所と差別の構造①

 二百年前。モクムの商人たちによって建てられたモクム市役所は、数年前までお隣のマリアンヌ帝国の弟王の宮廷だった。なぜかと言うと、つい最近までポルダー王国の前身であるポルダー共和国は、マリアンヌ帝国の属国だったからだ。

 その後、この国はポルダー王国として独立。その時、この市役所はシーナサップ王家に譲渡されたのだけれど、国王が『基本モクム市民が好きに使ってくれ~』と言って市に貸し出したのだ。

 結局この建物は、豪華な市役所に戻った。


 

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 モクム市役所は左右対称の造形となっていて、正面から見ると鳥が翼を広げたような形になっている。両端と円頂塔のある入口が前にせり出ていて、特に入口付近から見上げると、その立体感と重量感に誰もが感嘆するだろう。

 遠くから見たらのっぺらと見える壁も、ルークのような形をした付柱や、花づなの装飾がされており、その影がより一層建物に重量感を与える。建物の階層を分ける水切りは、下から見ると蛇腹になっていた。

 細部には神が宿る、って言ったのは誰だっけ。ここに来ると、実感としてよくわかる。

 

「やはり、立派ですよね。モクム市役所」

 

 見上げたユリアが、しみじみつぶやいた。

 遠目からだと白一色に見える三角の破風ペディメントも、近くで見たら、群衆が押し寄る彫刻レリーフが施されているのがわかる。

 その三角の破風ペディメントの三点には、中央広場を見下ろす三体のブロンズ像が立っていた。

 

「あのブロンズ像、それぞれなんていうか知ってる?」

 

 私が聞くと、ユリアはいいえ、と答えた。

 私は指をさす。

 

「向かって右側は、『正義の女神』」


 そう言うと、「あれ?」と、ユリアは人差し指を唇に添える。これは、彼女が疑問に思ったり、考え事をする時に出てくるくせだった。


「『正義の女神』って、普通持ってるのは、『秤』と『剣』ではありませんか? それに、目隠ししていますよね」

 

 ユリアが言う通り、『正義の女神』は目隠しをして、秤と剣を持っているものが多い。目隠しは罪人の身分を見ない公平性を表し、剣を持つのは「剣(武力)のない秤(正義)は無力」とされるからだ。

 けれどモクム市役所の『正義の女神』は、しっかりと目を見開き、剣の代わりに目玉のついた杖を持っている。

 

「そう。で、向かって左側にいるのは、『思慮の女神』」


 今度は、右手で手鏡を持ち、左腕に蛇を絡ませたブロンズ像を指さす。

 

「『思慮の女神』……?」


 ユリアが首をかしげる。

 多神教を信仰する魔族領の中でもマイナーな神なので、人間領で生きてきたユリアが知らないのは当然だろう。


「『思慮の女神』は、知識と先見性を司るの。慎重に、注意深く真実を見極める。

 『正義の女神』が司法の女神なら、『思慮の女神』は立法の女神だね」


 手鏡は「自己認識と自律」、蛇は「知識と注意」の象徴だ。

 時に『正義』は、弱者を虐殺するような暴力性と、他者を弾圧した際に生まれる快楽性を伴っている。『正義』は、強者が作るものだからだ。

 だから『思慮』は、手鏡を見せる。自分が正義の暴力に溺れ、正義の快楽に泥酔していないか、確かめるために。


「昔、ここは議会でも、法廷でも、処刑場でもあったんだ」

「えっ」

 

 ユリアの顔がさっと青ざめる。

 

「ここって、幽霊が出てきたりしませんか」

「……そういう話は、私は聞いてないカナー?」


 そうだった。この子、幽霊が大の苦手だった。

 確かにモクム市役所では、時々白い影が現れるだの、ずっと話していた相手が忽然と消えて、後日同僚から「ずっと一人で喋っていて不気味だった」などと言われた、なんて言う怪奇現象もよく聞く。が、黙っておいてあげよう。話の本筋はそこじゃない。

 

「偏見なく裁こうと思っても、そもそも法が偏見で出来ていたり、強者だけの意見で出来ていたりするでしょ。

 あの二柱は、剣ではなく知性で、ちゃんとみんなの目を通して、正しくヒトが裁かれるように、って意味なの。……そして真ん中のブロンズ像」


 私は、『平和』を象徴するオリーブの枝と、『聖力』の象徴である伝令杖カドゥケウスを携えた女のブロンズ像を指す。女神の足元には、豊穣の角コルヌコピアが置かれていた。

 

「あれが、『光の聖女』だよ」

「え、あれ師匠なんですか⁉」


 違う違う。


「『光の聖女』は、各地の民間伝承に伝わる聖人だよ。私は、それを借用しただけ。……同じように名乗っていた、実在の人物もいたけどね」


『光の聖女』は、聖書には存在しない。おそらく聖光教が広まった際、その土地に存在した地母神と融合したのだろう。

 けれど各地では、根強い人気を誇る聖人だ。彼女は各地を歩いて正しい知識を広め、豊穣を届ける存在とされる。うっかり無許可でパンを作った身としては、とてもありがたい存在だった。


「ま、とりあえず、中に入ろうか。王様も待ってるだろうし」


 そう言って、私たちは七つのアーチのうち、一番右にあったアーチをくぐり抜けた。








 建物の中に入るだけで、どうしてこんなにも空気が変わるのだろう。

 玄関ホールは、決して暗くない。けれど空が閉ざされ、代わりに壮大で重厚な大理石の世界が広がる。暖かな太陽が降り注ぐ外は違い、ここでは冷たく平坦な影が落ちていた。

 コツコツ、と、ユリアの履いているラスコゥレの音が響く。ラスコゥレはエルフ族がよく履いている靴で、ソールが木製になった革靴だ。私の靴はラバー製なので、キュッキュ、と、心地よくない音が響く。


 赤いカーペットが敷かれた階段を登り切ると、周りの雰囲気は一変した。

 

 辺りが白い光の世界に包まれる。

 高い天井に、広々とした空間。壁には縦溝フルーティングが入った平らな付柱が並び、柱と柱の間には、窓と花づなの飾りが施された無名むめがあった。階層を区切るモールディングの上には、まるで教会のように半円アーチ形の窓があり、昼の白い光が差し込む。

 光芒は磨かれた大理石の床を弾き、壁にある多神教の彫刻を淡く輝かせた。

 ユリアが息を飲むのがわかる。このホールに心を奪われないヒトはいないだろう。


「これは……地図ですか?」 


 白い大理石の床の真ん中には、セピア色の丸い地図が描かれていた。その上に立って、ユリアが聞いてきた。


「そう。二百年前、ポルダー王国の前身であるポルダー連合国が、海洋進出をして世界を制覇したのは知っているよね」

「はい。新大陸や海洋諸国と交易したことで、『黄金時代』を築きあげたんですよね」

「まあ……交易、と言っていいのかな」


 他の地を侵略して植民地にし、ヒトを奴隷として売った歴史というのは、果たして『交易』と呼んでいいのか。それとも、それは『交易』の一部なのか。

 とにかく、干拓地ポルダーしかないこの地が、奴隷商売を含める『交易』で潤ったのは事実だった。


「経済、美術、そして科学の大成。特に、では初めての『微生物学』を作ったのも、この国だった」

「微生物学……それを作ったのは、確か」


 いつか話したことを、ユリアは覚えていたらしい。


「そ。私のご先祖さま」


 私のご先祖さまたちは、この世界の人間ではなかった。

 彼らはある日突然、【黒い森】に現れた。その多くは、黒い髪に黄色の肌を持った人間たちだったという。故に、【黒い髪の森】が、縮んで【黒い森】に変わったと私たちには伝わっている。

 その時は魔族たちもそこまで暮らしていたわけじゃなくて、ご先祖さまたちが奴隷になっていた魔族を連れてきて、共同体を作った。それが魔王城の始まり。

 ご先祖たちの世界には、ここよりずっと高い科学技術があったらしい。けれど、エネルギーや素材が足りず、魔力を持つ魔族や一部の人間の手を借りて、疑似的な道具を作り上げ、社会を発展させた。



「師匠のご先祖さまは、奴隷であった魔族の方々を救ったのでしょうか」


 ユリアの柔らかく透き通る声が、静かに響いて吸い込まれていく。

 ユリアは顔には出ない子だけど、声にはよく感情が現れていた。こういう声でこういうことを言うのだ。優しい子だと、つくづく思う。


「さあ。耳障りのいい言葉で伝えられているけど、私はあんまり信じてない。こういう美談的な歴史って、強者に都合の良い形で仕立て上げられていることが多いから」


 単に奴隷を買って、奴隷を使って築き上げた可能性もある。

 ただわかることは、私たちより長生きする魔族たちが、私たちのことを悪く言わないこと。おそらく世代交代の回数が少ない彼らの方が、正確な歴史が伝わっているはず。もし私たちの一族が彼らに非道なことをしていたのなら、彼らは私たちに対する憎悪を引き継がなかったということだ。――願わくば、私のご先祖さまに非が無いことを祈る。

 なにはともあれ、【黒い森】は、人間たちの国であるポルダー共和国と同盟を組み、ポルダー連合国になった。ポルダー連合国は、『海洋の王者』と呼ばれるほど強くなった。


 そこまでは、よかったのだ。

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