第9話 神様のテーブル

「私がわかるのはさ。私は、神様のテーブルには入れなかったってコト。

 ほら聖書に、『神様に救われる全ての人間は、分け隔てられることなく神様のテーブルに招かれる』ってあるでしょ」

「ああ、聖餐ミサの由来ね。確か、福音書の五章二十七節から、三十二節だっけ」


 神様のテーブルは丸いらしい。

 格差も身分も門地も性別も人種も関係なく、皆が平等に食卓を囲むという意味だそうだ。

 

「日が暮れたら教会に行って、神様がその身を削って与えてくださったパンとワインに感謝し、神様と一緒に食べる。村全体を家族とみなし、みんな輪になって一緒にその日最後のご飯を食べるのが村の風習だった。

 でも私は魔法を使うから、人間じゃない。だから、神様のテーブルには座れない。

 何も無いところから火を出したり、水を操ったり、箒で空を飛んだりしちゃいけなかった。聖光教会の聖職者でなければ、許されない行為だった」


 聖女じゃなければ、パンが焼けなかったように。

 エレインはそう付け加えなかったけど、その言葉が聞こえたような気がした。



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 アルトゥールくんが、私を抱きかかえて森の中を走る。

 ピチピチと、小枝が頬の上でしなる。私は、彼とは反対の方向を見ていた。――追いかけてくるのは、暴走した魔猪だ。

 決して快適では無いアルトゥールくんの肩の上で、上下に揺れる眼鏡をなんとか抑えながら、その正体を見る。


『うわあ……やばぁ……アルトゥールくん』

『今とても余裕を持って君の話を聞ける状態じゃないが、どうした!?』

『あの魔猪、ラブドウイルス科リッサウイルス属のウイルスにかかってる。簡単に言うと狂気に陥る病気を引き起こすんだけど、この種類のウイルスは宿主の範囲が広くて……』

『すまん、結論だけで言ってくれ!』

『あー、爪とか牙とか、かすり傷負っただけで、あんな感じになる』


 私は、追いかけてくる魔猪を指さす。

 発症率は100%ではないけど、発症すれば致死率100%の病気だ。

 

『ゾッとしないな! どうすればいい!?』

『ウイルス自体は熱に弱いから、火魔法で消し炭になるほど殺したらいいと思う。だから先生かエレインを探さないと……』


 ちなみに、この時の私たち。二人とはぐれた状態だった。詰んだ。

 私は小心者なので、何時もならワー! と叫ぶんだけど、もうこの時は大分諦めの境地にいて、逆に落ち着いていた。


『私抱えながら逃げるの厳しいだろうし、ひとまず君だけでも逃げな? 多分ソラからもらった魔力総動員したら、一度ぐらいは結界で防げるだろうし……』

『ふざけるな! どこに仲間を見捨てる勇者がいると思ってるんだ!』


 アルトゥールくんが、そう言った時だった。


『お二人とも!! 伏せてください!』


 先生の声だった。いつもは優しい声が、射った矢のように飛んでくる。

 ほとんどノータイムで、アルトゥールくんが伏せて、私を覆うように庇った。


 青い火の咆哮が、アルトゥールくんの頭上スレスレを通って魔猪を包む。

 魔猪は悲鳴をあげる間もなく、あっという間に燃え尽きた。


 ガサ、と、命を終えた葉や枝のかすれた音がする。


『……』


 フードを被ったエレインが、黙って私たちを見下ろしていた。








 それは、『勇者』たちに出会って、間もない頃の話。

 今の王様に謁見するために向かっていた私たちは、途中の村で、暴走した魔猪を退治することになった。

 

『勇者様、牧師様、ありがとうございます!』

 

 私はその時、まだ聖女を名乗ってはいなかった。だからもっぱら、アルトゥールくんと先生が人気者だったっけ。

 私は状況を判断しただけだから、別に褒められなくてもいいんだけど、結局一人で魔猪を倒したエレインが無視されるのは、変だと思った。



『あ、エレイン。こんなとこにいた。』


 茂みをかき分けて探すと、エレインが野営の準備をしていた。


『なんで野営の準備してるの? 村の人たちから、ごはん誘われてるよ?』

『……や、私はいいよ』


 ふい、とエレインは視線を逸らした。


『なんで?』

『なんででも、……っていうか、私に関わんで、とっとと行きなよ』


 その頃エレインは、村人と関わることをしなかったし、私と目を合わせることもしなかった。

 それを見て私は、ずっとイライラしていた。

 私の周りによく居た、『好きなこと以外は興味を持てないから、人付き合いをしたくない』タイプだと思ったのだ。



『そんなんじゃダメだよ! もっと積極的に関わりなよ!』


 

 幼かった。その苛立ちを抱えたまま、無神経にも、そう言ってしまったのだ。――ハッパをかけたら、自分が正しいと思う方向に事態が進む、なんてことも思っていた。


『ちょ、やめて、やめてってば』


 エレインは私より年上なのに、腕や足は私より細くて、力もなかった。だから無理やり引っ張って、村の人たちがいるところまで引っ張った。

 彼女の手はあんなにも震えていたのに、私は気にも止めなかったのだ。



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 私は、『他人と違うから排除する』という環境を知らなかった。たとえ同じ種族でも、違うことが前提だと教わってきたからだ。

 知識として、そういう差別や偏見があることを知っていたけれど、目の前にいるヒトと結びつくかもしれないことが、まるで想像出来なかった。

 エレインの話を聞いて、私は初めて自分が恵まれていることを知った。そして、自分かいかに浅はかな思考をしていたのだと恥じた。

 

「でも私は幸せな方でさ、家族には恵まれてたし。私が石を投げられて怪我をした時点で、ここから出ることを決意してくれた。

 引っ越した先が所属する教会から援助してもらったし、そこに勤めてたパルシヴァルが色々手配してくれて」


 ああ、そこで先生と出会ったのか。

 初めて会った時、先生だけは異教徒だろうと魔族だろうと、最初からまったく態度を変えなかったのを覚えている。魔法使いを目の前にしても、助けるべき相手として親身に掛け合ったんだろう。想像にかたくない。

 

「だけど、その優しさが、私にとって辛かった。

父も母も姉も、魔法が使えない、普通の人間。パルシヴァルなんて、聖光教会の牧師だし。

 そんな人たちと一緒に同じパンを食べるたび、『自分は異物である』って、自覚せずにはいられなかった。私のせいで、この人たちが迫害されたとも思った」

「……」


『異物』なんて、悲しい言葉を使わないで欲しかった。みんな違って当たり前なのに、自分だけが輪の外にいるなんて、思って欲しくなかった。

 だけど、私に否定する権利なんてない。

 彼女の心の傷は彼女だけのもので、そこから考えたことは、彼女が一生懸命に生きてたどり着いた証だった。それを否定するのは、暴力だ。そして昔の私は、その暴力を使って、彼女を叩いた。

「なのにさ」とエレインは続けた。


「パルシヴァル経由で会ったトゥールには、勇者パーティに誘われるし。パルシヴァルは老人特有の、『若者は沢山食べるべき』理論で、食べない私にばんばん食べ物を与えるし」


 そう言って、エレインは私の体に軽くぶつかってくる。

 

「モルゲンなんか、こっちの都合も構わず、ぐいぐい関わってくるし? 『魔物退治のお礼にごちそうします』って言われても、魔法使いだから遠慮してた私を、無理に誘うとか」

「それは……ホントごめん……」


 今思うと、本当に無神経だった。自分を殺したくなるぐらい恥ずかしい。

 知識や想像力がなかったこともだし、例え本当に『興味を持てないからやりたくない』と思っていても、こちらの感情を押し付け、自分の思うように人を動かそうなんて、浅はかすぎる行動だった。

 そんな私の後悔には気づかず、エレインは微笑んだ。


「あの時、村の人から拒絶された時、別に悲しくはなかった。そりゃそうだよね、火を見るより明らかじゃんって」


 私には、火を見るまではわかっていなかったから、無理に誘ったんだけど。

 でもさ、とエレインが言った。

 

「そしたら、モルゲン、言ったじゃん」



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『じゃあ、私も食べません』


『魔法使いは、村に入れてはいけない決まりなんだ』そう言った若い村人に対し、私は言った。

 その時の私は、頭が真っ白になっていた。何か理屈を考えて、口にしていたわけじゃない。


 ただ、腹の底から怒りのようなものが、私を突き動かしていた。


『そんな偏見にまみれた人たちと、食べる気はありません。寝床も結構です。森で寝させていただきます』

『な……』


 呆気と、一瞬怒りの色をにじませた村人は、すぐにへらっとした笑みを浮かべた。


『勘弁してくれよ。いくらなんでも、お嬢ちゃんに森は危険だって。変な癇癪起こさないでくれよ』

『なら、エレインも危ないですよね。妙齢の女性だし』


 まあちっとも思わないけど。魔猪を消し炭に出来るぐらいだし、暴漢など一瞬で消し炭にしそう。


『そんなヒトを森に放り出すなんて、良心が痛まないんですか』

『ちょ、もう、良いって……』

『お前さあ、頭おかしいんじゃないの?』


 明らかに悪意をにじませて、嘲るように村人が言った。



『魔法使いは人間じゃねーよ。魔猪と同レベルのヤツを「人間扱い」って、ヤバすぎでしょ』



 言葉を失ってしまった。

 こんな風に悪意をぶつけるヒトが、この世にいるの?

 込み上げてくる涙が怒りなのか、絶望なのか、よくわからなかった。



『……存在自体を否定する人と一緒に食事するぐらいなら、私は何も食べません』


 私は、この悪意を認めたくない。加担したくない。

 本当はこのヒトに、分かってもらいたかった。それがどんなに酷い言葉なのか、理解して欲しかった。でも、私にそんな言葉は持ち合わせてなかった。

 だったらせめて、傷をつけて、エレインと同じぐらいの痛みを味あわせたかったのに。……何も言えなかった。

 泣きたいのはエレインなのに、泣いてしまう自分がカッコ悪かった。悪意に立ち向かえるほどの武器を持たない自分が悔しかった。涙をぬぐいながら、私は言い放った。


『これ以上お分かりいただけないのであれば、失礼します』

『では、僕もお断りします』


 アルトゥールくんが、手を挙げた。


『な、なんであなたまで!?』

『なんでって……わからないのか』


 氷のような声で、アルトゥールくんは言った。


『あなたが僕の仲間二人を侮辱したからだ。

 本当なら、今すぐこの村を立ちたいぐらい、僕はあなた方に失望している』

『そうですね。神も、そのようにお考えでしょう』


 先生が、アルトゥールくんの前に立つ。


『皆さん。主は、あらゆる人間を自分のテーブルに呼びました。

 神は、自らの肉から作ったパンを、多くの人に与えることを喜びます。特に、貧しい者、弱き者、共同体から孤立した者、悲しみにくれる者に与えることを。自らの手を離れたパンを、渡された者が隣人に分け与える行為を、特に喜びます。

 それなのに、あなたはなぜ、他者を招き入れることを恐れるのですか』

『お、恐れるって……これは村の掟なんです! 破る方が、神はお怒りになるでしょう!?』


『それは法の遵守者であって、義人ではありませんね。

 他者を憐れむこと、慈しむこと、愛すること、信じることを辞めた者の信仰に、一体なんの意味がありましょう』


 そう言って、先生は私の肩に手を置いた。


『彼女は正しい。迫害される者がいるのなら、義人は彼らと共に去るべきだ。

 ならば我々も、義に従って離れるといたしましょう』



 

 


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「私はあの日、あなたたちに神様を見た」エレインが言った。

 

「あの時、気づいたんよ。みんながいるところが、私にとっての神様のテーブルだなって。

 私のせいで、お父さんたちが追い出されたんじゃない。お父さんたちが、神様のテーブルだった。

 私、最初からそこに座っていたんだなって、そう思ったら、ようやく自分を許せた」


 そう言って、エレインは目を伏せる。


「まあそんなわけで、ちょっと色々思ってた時に、アル……吸血鬼の友だちが出来たんよ。

 ほら、吸血鬼って昼間は出られないでしょ? パン屋さんって、普通夜は空いてないじゃん。

 ちょっと考えたらわかることなんだけど、彼女に言われるまで想像もつかんかったんだよね」

「ああ、ね」


 吸血鬼族は、十字架、ニンニク、そして日光に弱い。特に日光は、浴びると命に関わる。

 くわえて、パン屋さんは今も聖光教会の管轄下にあるので、吸血鬼族が焼きたてのパンをパン屋さんで食べるのは不可能だろう。

 

「なんかさ、そういうのは差別とかとはちょっと違うけど。誰かの立場に立って、できないことがあるんだってわかったら、その『ちょっと』を誰かがしてくれたなら、とても嬉しいんじゃないかって思った。

 そういうの、与えられるんならさ。与えた方が、いいじゃん」

「……そっか」


 エレインの言葉を聞いて、私はサワー種のことを思い出した。

 菌は、異なるものを排除する性質を持っている。

 だけど同時に、異なるものと共存することがある。

 例えば酵母が持つ酵素は、小麦粉やライ麦をさまざまな糖類に変える。乳酸菌は酵母がつくった糖類の一つを代謝し、また新たな糖類を作るのだが、その糖類をまた酵母が食べ、酵母が生長するのだ。

 これはただ二つの種類が存在する「共存」じゃなくて、お互いに利益を作り循環させる「共生」だ。


 パン屋さんのサワー種は、代々受け継がれてきた、異なるもの同士の共生の形なのだ。


「私も会ってみたいな。エレインの友だち」


 私がそう言うと、エレインは微笑んだ。


「……うん。私も、二人を会わせたい」



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